旅限無(りょげむ)

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北京五輪の内と外 その弐百九拾九

2008-08-18 16:06:17 | チベットもの
■幸いにも、「ウイグルに負けるな!」と決起に逸ってテロ攻撃を始めるチベット人は、今のところ現われていないようです。現地では相当の警戒圧力が掛かっているのも一因なのでしょうが、やはり信仰の問題も大きいかも知れませんなあ。弾圧と懐柔と脅迫と差別が半世紀も続けば、感情に任せた単発的な暴動が「点」として起こるだけで、それが「線」になって「面」へと展開するような地盤はすっかり失われているようですから、鎮圧する方では重点を絞って小さな「点」を包囲して潰してしまえば、暴動程度なら押さえ込めるのも道理です。

■とは言っても体外的な評判がガタ落ちになるのは避けられず、鳴り物入りで「チベット観光化」を目論んで開通させた世界一高い鉄路も大きな打撃を受けているようです。暴動見物や弾圧見物などという悪趣味な旅行者が少ないというのは、多少の救いになるような気もします。


中国鉄道省の王勇平報道官は16日、記者会見し、チベット自治区ラサと青海省西寧を結ぶ「青蔵鉄道」について、3月にラサで起きた暴動などの影響で3~7月の乗客が前年同期と比べ32万7000人減少したことを明らかにした。……暴動について「ダライ集団が引き起こした暴力行為」と指摘。乗客の減少は「比較的大きかった」と述べたが、「運行に影響なかった」と安全性をアピールした。

■無関係な旅行者を巻き込む鉄路を狙う「無差別テロ」などを、不殺生の教えを破ってまで仕掛けなくとも、怪しげなメンテナンス技術が破綻したら大きな事故が起こる恐れが指摘されている鉄道ですから、テロよりも一般的な鉄道事故を心配した方がよいかも知れません。3月の暴動でも、観光客が標的になった例はないようですし、利用者が減ったのは物々しい警戒体制が旅情を減退させるからでしょう。


青蔵鉄道関連の新路線として2010年までに青海省ゴルムド-甘粛省敦煌、ラサ-ニンチー、ラサ-シガツェの3線、2020年までにゴルムド-新疆ウイグル自治区コルラ、ゴルムド-成都、青海省西寧-甘粛省張掖の3線をそれぞれ完成させる計画を明らかにした。
2008年8月16日 産経ニュース

■大変に「ご苦労様」な大計画でありますなあ。沙漠の蜃気楼のように建設された軍事都市ゴルムドが交通網の新拠点になっているのが非常に気になります。観光目的と言いながら、実際には戦車を含めた大規模な軍隊を一挙に輸送する切り札にする心算なのでしょうなあ。ウイグル自治区のコルラまでの建設となりますと、ツァイダム盆地の縁を通って崑崙山脈の東端を北上し、アルチン山脈の峠を越えてタクラマカン沙漠の東を天山山脈の麓までを鉄路で結ぶということです。シルクロードで有名になった楼蘭やロプノールを東に見ながらの北上ということになりますが、あんなところも一般人向けの観光地にしてしまう心算なのでしょうか?

■終着駅に想定されているコルラは西域北道でクチャと結ばれた交通の要衝!あの公安襲撃テロがあったクチャ!工事中から警戒は厳重を極めそうですが、運行時にはどうするのでしょう?上客のほとんどはウイグル人でしょうに?!各駅で丸裸にして身体検査でもするのでしょうか?こうした無謀とも思える大工事も、北京政府はウイグル自治区の経済発展が目的なのだ、と言い張るのでしょうが、仮に工事が完成して多少でも観光客が増えたり、地下資源の輸送量が増えたとしても、儲かるのは漢族の金持ちと幹部役人と高級軍人だけのような気もしますが……。


2008年8月16日、北京五輪組織委員会は外国人記者を招いて会見を開いたが、その席上、国家民族事務委員会の呉仕民副主任は記者からの質問を受け、チベットや新疆に対する政府の姿勢について説明した。……「中国政府はこれまでチベット自治区や新疆ウイグル自治区など少数民族が暮らす地域の発展に尽力し、経済発展の促進と人々の生活水準の向上に努めてきた」と発言。

■有り難くって涙が溢れるようなお話ですが、「生活水準の向上」の目安がさっぱり分かりませんので、実際に現地の人達がどれほどの恩恵を被っているのかを把握するのは困難なのであります。でも、命懸けでテロ攻撃を仕掛ける者が出るという現実から導き出されるのは、決して喜ばしい「発展」ではないということなのでしょうなあ。各種の経済格差が指摘される中で、大体、民族間の格差は最後に数えれる傾向がありますから、世界のマスコミもこの問題が最も厄介なことを知っているのでしょう。最初に指摘される沿岸部と内陸部との格差が、異議申し立てをする人数の多さが圧倒的で、開会式の翌日に北京市内で殺人事件を起こした人物も、その格差から凶行に走ったのでした。

■限られた予算で各種の格差を手当しなければならないのですから、こちらを立てればあちらが立たず、そのまた裏側では既得権を握って話さない腐敗しきった官僚組織のネットワークがあるのですから、チベットやウイグルに「名目上の支援金」の高を誇って見せたところで、やっぱり焼け石に水でしょうし、決して報道されない「中抜き」される金額の大きさを考えれば、「発展」を感謝しろ!と言われても困りますなあ。


「公正な心を持ち客観的に物事を見ることができる人やメディアは、このことを肯定してくれるものと信じている」と話した。呉氏はさらに「政府の努力にもかかわらず、これらの地域には経済的発展の遅れなどの問題が今なお存在している」と認めたうえで、その原因について「高さ3000m以上もある海抜や砂漠などの地理的条件」や「改革開放を東部地域から始めた政策」、「教育事業の遅れなどによる文化的な落差」の3つを挙げて、これらが西部地域の発展を阻害していると説明した。
8月18日 Record China

■地形と地勢の問題は自然現象ですから仕方がありませんが、歴史的にチベット高原にしてもウイグルの砂漠地帯にしても、自然条件に適合した生活形態を確立して暮らして来たのですから、そこに漢族がぞろぞろと移住して行ったら現地は大混乱になるのは当たり前です。「改革開放政策が東部から」始まったのも、少数民族が暮らす地域の伝統と歴史を否定するのに、まだまだ時間が必要だからでしょう。その目的を達成するために「教育」政策が重視されるわけですが、一党独裁国家の「教育」というのは政権政党を正当化する「宣伝」が中心になりますから、若者の知的エネルギーを馬鹿馬鹿しい宣伝話を棒暗記することで消耗させて新しい知識を吸収する前に力尽きるような悲喜劇が起きてしまいます。

■チベット人にとっては仏教の、ウイグル人にとってはイスラムの知識と教養は何よりも大切なものなのに、それを一切認めないから、本来の民族融和は実現しませんし、劣等民族として蔑視されるような深刻な差別問題がどんどん大きくなります。それを「教育」で解決しようとすれば、逆にますます問題はややこしくなりますなあ。でも、巨大な専門集団がいますから、学校での宣伝工作を止めることなど半永久的にないのでしょうなあ。

北京五輪の内と外 その弐百九拾八

2008-08-18 16:05:22 | チベットもの
■柔道ならぬ「JUDO」で初の金メダルを獲得した内モンゴル自治区のお話が続きます。

■ナイダン・ツブシンバヤル選手が取った金メダルは、勿論、中華人民共和国が掻き集めていた35個(8月17日午前まで)のうちの1個には違いありませんが、内モンゴルでは「民族の英雄」として褒め称えたいところでしょうなあ。でも、うっかり「国境」の存在を忘れて祖国の旗などを振ったらエライことになります。かつて毛沢東は、「外モンゴルもやがて祖国に復帰する」と公言していましたから、今でもチャイナが奪回すべき「歴史的に自国の領土」の中に今のモンゴル国が含まれているわけです。建国当時はソ連を利用し、第二の建国とも言える民主化の後はしっかり米国と軍事演習までする仲になって、熱心に日本との経済交流も進める「保険外交」に熱心です。

……五輪開催にともない、フフホト市でも警戒が厳しくなっているが、街は平穏。テロなどに対する不安は感じられないという。中国では内モンゴルを中心に、黒龍江省、遼寧省、吉林省、甘粛省、青海省、新疆ウイグル自治区などにモンゴル族が住んでいる。内モンゴル自治区だけでも、モンゴル族人口は421万人(2005年)と、モンゴル国の295万人(07年)より多い。ただし、中国領内のモンゴル族にはモンゴル語を話せないなど、民族的特徴がほとんどなくなった人もいる。(上記女性の母語はモンゴル語)。内モンゴル自治区の人口の78%は漢族。漢族は大都市や農業地域に多く住む。広大な遊牧地域ではモンゴル族が多いが、人口密度は低い。……
8月17日 中国情報局

■言語を失い、生活習慣も思想も掘り崩されて、日々の教育や商取引の中で漢化と共産党支配が強められて行く。つまり、秘かに中国共産党が進めているチベット政策の成功例が内モンゴルに存在しているとも言えるわけです。たまたまチベットには仏教文化とダライ・ラマ制度という民族精神の中核が存在しているので、なかなか簡単には飲み込まれないという違いはありますが……。

■俄かにチベット、次にウイグルについて集中豪雨のような解説報道が日本の巷(ちまた)にも溢れましたが、モンゴルもなかなか複雑な歴史を背負っております。記事中にある通り、「青海省」にも間違いなくモンゴル人が暮らしておりまして、自治県も存在していますが、今でも外国人の立ち入りを認めない「未解放地域」になっている所が多いようです。実際に現地で聞いた話によりますと、青海省から北京に国内留学した或るモンゴル人が、偶然に内モンゴルから来ていた学生と会った時に、相手は「そんな所に同じモンゴル人がいるのか?」と非常に驚いたのだそうです。国内で民族間の連絡が取れないように巧妙な分断統治政策が続いている証拠でありましょう。因みに感動の再会?を果たした二人のモンゴル人は、幸いなことにモンゴル語で心行くまで語り合ったそうです。

■黒龍江省、遼寧省、吉林省、甘粛省、青海省、新疆ウイグル自治区など、記事の中に並んで居る地名を注意深く眺めれば、チンギス汗以来の大モンゴル帝国の誕生時期から元朝時代を経て、あまり日本人には馴染みのない「北元」時代から清朝の時代へと、モンゴルは南下した後、北の草原に逃げ帰ったのではなく、しっかり過去の歴史を刻み込むように分散して定住しているのですなあ。人口密度の低さと定住した場所が互いに離れているので「再統合」は出来なかったのですが、満洲帝国が建国された頃には外モンゴルと内モンゴルとの統一計画もあったようですが、女真族の祖国だった満洲を併合した毛沢東は、モンゴルを南北に分割して南半分を取ったという経緯があります。地図を見れば内と外とがきれいに一筆書きで囲めますなあ。

■もしも、北のモンゴルが民主化に成功して経済的にも或る程度発展するような時代になったら、内モンゴルにも何らかの動きが生まれるのかも知れませんが、漢族の圧倒的な人口圧力で押し潰される可能性が高そうです。