■六カ国協議が予想通りの宜しくない流れになっているようです。拙ブログ『だから言ったじゃないの』で心配した通りに、共同文書には「拉致」でも「人権問題」でもなく、「日朝平壌宣言」に従って日本は頑張ってね!という一文を入れてお仕舞いという落とし所に追い詰められているとの報道が有りました。調印した当事者だった日本の代表は、それでは不足だ!心配だ!とゴネているというのですから、目も当てられませんなあ。こんな使い物にもならない作文を書いた張本人と思われる田中均さんが外務省を退官して、国際交流基金だかの「研究員」になると発表されたのが同じ日だというのは意味深です。「ゴメンナサイ」の一言も無く、石をぶつけられるでもなく、まだ税金から給料を貰って日本外交を研究をして下さるとは、嬉しくて涙が出ますぞ!
■貰える物は残らず貰って、失う物はほとんど無いという結果を得る為に北朝鮮はいつもの二枚舌と粘り腰で乗り切ろうとしているようですが、日本に恩を売っておこうと米国は「人権問題」の一言くらいは入れるように努力するかも知れませんが、元々「平壌宣言」にはこの一言が無いのですから北朝鮮側は絶対に受け付けないような気がします。あの宣言から「人権問題」の意味を汲み取ろうとすると、昔の日本が人権無視の悪行を山ほどやったという話にしかならないのですから、せっかくそんな「名文」を宣言にしたのですから、今回は核廃棄に関する文言だけで逃げ切ろうとするでしょう。日本の佐々江さんは米国のヒルさんに泣きついているかも知れませんなあ。
■しかし、核問題と関係の無い「人権問題」を余りしつこく追求すると、それを逆手に取って悪用される事が有るよ、とヒルさんは自分の国がキューバにしてやられて苦い思い出を佐々江さんにしんみりと話して上げたかも知れないのです。海を隔てて向かい合う社会主義国という共通性を考えれば、日本を米国、北朝鮮をキューバに当て嵌めると、案外この空想は現実化する可能性が高いようにも思えるのです。
1980年、同性愛者、精神的に病んでいる人々、及び、一部の犯罪者たちを国外追放とした。12万5千人のキューバ難民が発生した所謂マリエル事件である。
ハワード・ホークス監督の名作『暗黒街の顔役』をオリヴァー・ストーンが脚本、ブライアン・デ・パルマが監督して1983年にリメイクした『スカー・フェイス』という恐ろしい映画が有りますが、その冒頭には実写フィルムが使われていましたなあ。それが「マリエル事件」の様子を実に良く教えてくれます。少人数が、ぽつりぽつりとキューバから海を渡って来るたびに、難民として手厚く保護して外交的な圧力にしていた米国でしたが、一挙に12万人がフロリダ半島に殺到したのですから、対処に仕方を間違ってしまったのも仕方が無かったのでした。その結果、マイアミを中心としたフロリダが高級リゾートの地ではなく米国でも有数の物騒な場所に変ってしまったのでした。
■少しばかり、米国とキューバの関係を振り返って見ると、
1977/06/03,昭和52/06/03
アメリカとキューバが双方の首都に代表部を置くことで合意。
※1980年「マリエル事件」発生。
1986/03/11,昭和61/03/11
キューバと北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が友好協力条約に調印。
1989/04/02,平成1/04/02
ゴルバチョフ書記長がキューバを訪問する。
1989/04/04,平成1/04/04
キューバを訪問中のゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が、ソ連・キューバ友好協力条約に調印。
1991/09/11,平成3/09/11
ゴルバチョフ大統領、ソ連軍のキューバ全面撤退の交渉を開始することを表明。
1992/01/03,平成4/01/03
キューバ市民34人が、ヘリコプターでアメリカに亡命する。
1992/09/05,平成4/09/05
キューバ、カストロ首相がフラグア原発の建設を断念することを発表する。
1993/02/24,平成5/02/24
キューバで、共産党の1党独裁のもとで革命史上初の直接・秘密投票による人民権力全国会議(国会)議員選挙の投票が行われる。
1993/12/22,平成5/12/22
キューバのカストロ国家評議会議長の実の娘アリナ・フェルナンデス(37)がアメリカに亡命する。
1994/08/19,平成6/08/19
クリントン大統領が、公海上で救出したキューバ難民について、政治難民を除いてアメリカへの入国を認めない政策に転換することを表明。
1994/08/20,平成6/08/20
クリントン大統領が、キューバ系米国人からキューバ国内の親戚への現金の送金を禁止するなど、対キューバ圧力強化策を発表する。
1994/08/24,平成6/08/24
キューバのカストロ国家評議会議長が、クリントン大統領のキューバ難民急増問題への厳しい対応に対して非難し、難民の国外流出を事実上容認する姿勢を示す。
※バルセーロ事件発生。
1994/09/09,平成6/09/09
アメリカとキューバが、こじれていた難民流出問題で話し合い合意。1995/09/05,平成7/09/05
キューバの人民権力全国会議(国会)で、外国企業が同国内に100%出資の事業を行うことを認める外資法改正案が成立する。
1995/11/29,平成7/11/29
キューバのカストロ議長が初の中国訪問のため北京入りする。
1996/02/24,平成8/02/24
キューバからアメリカへ亡命してくる難民を支援するため活動している小型飛行機2機がマイアミ沖でキューバの戦闘機に撃墜され、4人が行方不明に。
1996/02/28,平成8/02/28
キューバ空軍による米民間機撃墜事件について、キューバのロバイナ外相が国連本部で記者会見し、「民間機は数度の警告を無視し撃墜するしかなかった」と述べる。米政府のキューバ軍機の交信は「ウソのものだ」と主張。
1996/07/07,平成8/07/07
キューバ軍将校のホセ・フェルナンデス中佐がキューバ国営航空機をハイジャックし、キューバ本島南端のグアンタナモ米空軍基地に強制着陸。
1996/08/19,平成8/08/19
キューバ政府が米利益代表部で人権問題を担当している米国人外交官に対して国外退去を命じたことに対抗して、アメリカ政府がワシントン駐在のキューバ人外交官1人を国外退去とする。
1997/03/03,平成9/03/03
リマの日本大使公邸人質事件でドミニカを訪問していたフジモリ大統領が、ドミニカを出発してキューバのハバナに到着。空港にカストロ首相が出迎える。会談後、カストロ首相は、日本とペルー両国政府の正式な要請があれば公邸を占拠しているMRTAのメンバーを受入れる用意があると表明。
1997/05/12,平成9/05/12
キューバとアメリカの間のフロリダ海峡単独遠泳に挑んでいたオーストラリア人女性のスージー・マロニー(22)が、ハバナを出発して24時間半、180キロ離れたキーウェストに到着し横断に成功。
■ドラム缶で組んだ筏(いかだ)でも渡れる狭い海峡は、運が良ければ泳いでも渡れるというわけですなあ。韓国のペクリヨンドという小さな島に、北方限界線(NLL)を越えてボロ船で北朝鮮の難民が続々と漂着しているという報道も有りますぞ!今のところは、飢えと圧政に絶望して逃げ出す人民を罰している北朝鮮ですが、万一、キューバのカストロの真似をして、強制収容所や刑務所を開いて「無駄飯喰い」でしかない人々を海岸に追いたてたらどうなるのでしょう?相手は「人権」に含まれる移動と居住場所の自由選択権を主張して来るでしょうから、「人権問題」を言い立てている側としては、大規模な掃討撃沈作戦は実施出来ません。更に、韓国に曳航して行こうにも、全員の保護を受け入れるとは限らないのですなあ。「しばらく預かっておいてね。」と言われたら日本はどんな交渉をするのでしょう?
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雲来末・風来末(うんらいまつふうらいまつ) テツガク的旅行記
五劫の切れ端(ごこうのきれはし)教の支流と源流のつまみ食い
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■貰える物は残らず貰って、失う物はほとんど無いという結果を得る為に北朝鮮はいつもの二枚舌と粘り腰で乗り切ろうとしているようですが、日本に恩を売っておこうと米国は「人権問題」の一言くらいは入れるように努力するかも知れませんが、元々「平壌宣言」にはこの一言が無いのですから北朝鮮側は絶対に受け付けないような気がします。あの宣言から「人権問題」の意味を汲み取ろうとすると、昔の日本が人権無視の悪行を山ほどやったという話にしかならないのですから、せっかくそんな「名文」を宣言にしたのですから、今回は核廃棄に関する文言だけで逃げ切ろうとするでしょう。日本の佐々江さんは米国のヒルさんに泣きついているかも知れませんなあ。
■しかし、核問題と関係の無い「人権問題」を余りしつこく追求すると、それを逆手に取って悪用される事が有るよ、とヒルさんは自分の国がキューバにしてやられて苦い思い出を佐々江さんにしんみりと話して上げたかも知れないのです。海を隔てて向かい合う社会主義国という共通性を考えれば、日本を米国、北朝鮮をキューバに当て嵌めると、案外この空想は現実化する可能性が高いようにも思えるのです。
1980年、同性愛者、精神的に病んでいる人々、及び、一部の犯罪者たちを国外追放とした。12万5千人のキューバ難民が発生した所謂マリエル事件である。
ハワード・ホークス監督の名作『暗黒街の顔役』をオリヴァー・ストーンが脚本、ブライアン・デ・パルマが監督して1983年にリメイクした『スカー・フェイス』という恐ろしい映画が有りますが、その冒頭には実写フィルムが使われていましたなあ。それが「マリエル事件」の様子を実に良く教えてくれます。少人数が、ぽつりぽつりとキューバから海を渡って来るたびに、難民として手厚く保護して外交的な圧力にしていた米国でしたが、一挙に12万人がフロリダ半島に殺到したのですから、対処に仕方を間違ってしまったのも仕方が無かったのでした。その結果、マイアミを中心としたフロリダが高級リゾートの地ではなく米国でも有数の物騒な場所に変ってしまったのでした。
■少しばかり、米国とキューバの関係を振り返って見ると、
1977/06/03,昭和52/06/03
アメリカとキューバが双方の首都に代表部を置くことで合意。
※1980年「マリエル事件」発生。
1986/03/11,昭和61/03/11
キューバと北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が友好協力条約に調印。
1989/04/02,平成1/04/02
ゴルバチョフ書記長がキューバを訪問する。
1989/04/04,平成1/04/04
キューバを訪問中のゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が、ソ連・キューバ友好協力条約に調印。
1991/09/11,平成3/09/11
ゴルバチョフ大統領、ソ連軍のキューバ全面撤退の交渉を開始することを表明。
1992/01/03,平成4/01/03
キューバ市民34人が、ヘリコプターでアメリカに亡命する。
1992/09/05,平成4/09/05
キューバ、カストロ首相がフラグア原発の建設を断念することを発表する。
1993/02/24,平成5/02/24
キューバで、共産党の1党独裁のもとで革命史上初の直接・秘密投票による人民権力全国会議(国会)議員選挙の投票が行われる。
1993/12/22,平成5/12/22
キューバのカストロ国家評議会議長の実の娘アリナ・フェルナンデス(37)がアメリカに亡命する。
1994/08/19,平成6/08/19
クリントン大統領が、公海上で救出したキューバ難民について、政治難民を除いてアメリカへの入国を認めない政策に転換することを表明。
1994/08/20,平成6/08/20
クリントン大統領が、キューバ系米国人からキューバ国内の親戚への現金の送金を禁止するなど、対キューバ圧力強化策を発表する。
1994/08/24,平成6/08/24
キューバのカストロ国家評議会議長が、クリントン大統領のキューバ難民急増問題への厳しい対応に対して非難し、難民の国外流出を事実上容認する姿勢を示す。
※バルセーロ事件発生。
1994/09/09,平成6/09/09
アメリカとキューバが、こじれていた難民流出問題で話し合い合意。1995/09/05,平成7/09/05
キューバの人民権力全国会議(国会)で、外国企業が同国内に100%出資の事業を行うことを認める外資法改正案が成立する。
1995/11/29,平成7/11/29
キューバのカストロ議長が初の中国訪問のため北京入りする。
1996/02/24,平成8/02/24
キューバからアメリカへ亡命してくる難民を支援するため活動している小型飛行機2機がマイアミ沖でキューバの戦闘機に撃墜され、4人が行方不明に。
1996/02/28,平成8/02/28
キューバ空軍による米民間機撃墜事件について、キューバのロバイナ外相が国連本部で記者会見し、「民間機は数度の警告を無視し撃墜するしかなかった」と述べる。米政府のキューバ軍機の交信は「ウソのものだ」と主張。
1996/07/07,平成8/07/07
キューバ軍将校のホセ・フェルナンデス中佐がキューバ国営航空機をハイジャックし、キューバ本島南端のグアンタナモ米空軍基地に強制着陸。
1996/08/19,平成8/08/19
キューバ政府が米利益代表部で人権問題を担当している米国人外交官に対して国外退去を命じたことに対抗して、アメリカ政府がワシントン駐在のキューバ人外交官1人を国外退去とする。
1997/03/03,平成9/03/03
リマの日本大使公邸人質事件でドミニカを訪問していたフジモリ大統領が、ドミニカを出発してキューバのハバナに到着。空港にカストロ首相が出迎える。会談後、カストロ首相は、日本とペルー両国政府の正式な要請があれば公邸を占拠しているMRTAのメンバーを受入れる用意があると表明。
1997/05/12,平成9/05/12
キューバとアメリカの間のフロリダ海峡単独遠泳に挑んでいたオーストラリア人女性のスージー・マロニー(22)が、ハバナを出発して24時間半、180キロ離れたキーウェストに到着し横断に成功。
■ドラム缶で組んだ筏(いかだ)でも渡れる狭い海峡は、運が良ければ泳いでも渡れるというわけですなあ。韓国のペクリヨンドという小さな島に、北方限界線(NLL)を越えてボロ船で北朝鮮の難民が続々と漂着しているという報道も有りますぞ!今のところは、飢えと圧政に絶望して逃げ出す人民を罰している北朝鮮ですが、万一、キューバのカストロの真似をして、強制収容所や刑務所を開いて「無駄飯喰い」でしかない人々を海岸に追いたてたらどうなるのでしょう?相手は「人権」に含まれる移動と居住場所の自由選択権を主張して来るでしょうから、「人権問題」を言い立てている側としては、大規模な掃討撃沈作戦は実施出来ません。更に、韓国に曳航して行こうにも、全員の保護を受け入れるとは限らないのですなあ。「しばらく預かっておいてね。」と言われたら日本はどんな交渉をするのでしょう?
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