司法試験論文合格モーニングゼミ

笹瀬健児の司法試験論文合格モーニングゼミ

来年合格をめざすみなさんへ

2006-04-23 06:20:39 | Weblog
以前に私が書いた記事をネット上で見つけました。伊藤塾の「塾便り」に書いたものです。少し書き直して転載しました。


一.はじめに
今回は、答案はどのように書いたらいいのかについて、述べてみたいと思います。

二.答案はどのように書いたらいいのか
1 心をこめて書くこと
情緒的な言い方かもしれません。でも大切なことだと思います。
心のこもっていない答案は、たいがい、なぐり書きで書かれていたり、漢字で書くべきところを、ひらがなで書いてあったり、略字が用いられていたりします。論理も雑で、投げやりです。読む気がしなくなり、不愉快になります。
答案もコミュニケーションの一形態であり、当然に礼儀をわきまえたものでなければなりません。
おそらく、心のこもっていない答案を書いてしまう原因は、途中であきらめて投げ出してしまうことにあるのではないでしょうか。何を書くべきかについて考えてはみたものの、やはり良く分からないから、もういいやと投げ出してしまって、雑になってしまうのでしょう。このような投げやりな答案はとても印象がわるいものです。
司法試験は精神力が要求される試験です。決して途中であきらめたり投げ出したりしてはいけません。

2 必死で考えること
もっとも大切なことです。
受験生のなかには、答案の書き方のノウハウを身に着けることのみに躍起になっている人が、まま見受けられますが、悲しいことです。司法試験はそんな姑息なテクニックだけで乗り越えられるほど生易しい試験ではありません。
また、覚えたことを吐き出しさえすればよいと誤解している人もいます。しかし、司法試験は暗記だけの試験でもありません。
もてる力を最大限に振り絞って、勢いをつけてドカンとぶつからなければ、合格の扉は開かないのです。必死で考えることが求められており、ノロノロと考えていたのでは、埒があかないのです。
ところで、「考える」とは、何を、どのように、考えることをいうのでしょうか。

(1)問われていることは何か、を良く考える。
問われていることだけに答えること。問われていないことについては、絶対に書いてはいけません。余事記載をしてしまうのは、問題文を良く読んでいない証拠です。
よく問題文を読んで、何が問われているのかをしっかりつかんでください。知識をひけらかしてはいけません。みっともないことです。何となく書いてしまうということでは、いけません。問われているからこそ書くのです。
問われていることが分かったら、そこから逃げてはいけません。知らないことが問われるでしょう。知っていることに逃げ込みたい気持ちもわからないではありません。でも、それでは問われていることに答えたことにはなりません。真正面からいかなければいけません。

(2)具体的に考えること。
問題の所在、当事者の利益、結論の妥当性などについて、具体的に考えることです。具体的に考えなければ、結論も出てこないはずです。自分なりの価値判断を下して初めて、論ずべき点も明らかになるし、論ずべき量も分かってくるのです。価値判断のない法律構成をしても説得力がありません。価値判断は法律構成に先行するのです。
抽象的な議論に終始している人は、よく考えていない人です。自分のすべての知識や経験を総動員して、自分なりに具体的に考えることが求められているのです。
受験生の中には、抽象的な概念をそのまま使って事足れりとしてしまっている人がたくさんいます。たとえば、「三権分立原理に反するから許されない」とか「手形取引の安全を害する」とかいうフレーズをたくさん使っていながら、実はその具体的内容が十分に分かっていない人が多いように思われます。もう一歩踏み込んで、自分の頭で考えること。自分の言葉で理解を示すこと。

(3)読み手にどのように伝えるのかを考えること。
何が言いたいのかよく分からないことを書いてしまう人がいます。このような人は、よく考えていません。読み手に伝えようということを意識して書かれていない文章は、ひとりよがりの文章です。文章は、読み手に読まれ理解されてこそ、書かれた目的を達成できるのです。読み手が読むのに苦労する文章や、何とおりの意味にも読めてしまう文章も、駄目な文章です。言いたいことをどのように書いたら読み手に分かってもらえるだろうか。それを必死で考えることが大切なのです。また、どのように項目を立てたらいいのか、とか、接続詞を揃えたり語尾の反復を用いるなどして読み易く工夫しよう、とかを考えることも大切です。

(4)どうすればすっきりとした答案になるか考えること。
(3)とも関連しますが、「自分の伝えたいこと」と、「相手に伝わること」との間には、予想外に距離があります。自分の伝えたいことを全部伝えることは不可能です。どうしても伝えたいことだけに絞り込んで、それだけをわかりやすくすっきりと伝え切るだけでも大変な作業であり、そのためにはどのようにしたら良いかを考える必要があります。
起承転結のはっきりした答案を書くことは、とても大切です。自分の主張が答案全体の中に、太い一本の筋として出ているような答案が、すっきりとした答案なのです。
量を書く必要はありません。ただ、伝えたいことを丁寧に伝え切るには、ある程度量が増えてしまうのが普通です。

3 嘘を書かないこと
嘘は絶対にいけません。ここで嘘とは、知識的な誤りを書くことをいいます。
ちなみに、自分なりに筋を通して論理的に考えたことは嘘ではなく、書いても構いません。いわゆる論点でないところでは、筋を通してぐいぐいと書けば良いと思います。
他方、いわゆる論点については、あなたの説が判例や学説にはない独自の見解であれば、なかなか評価してもらえないだろうと思います。規範定立部分については、あまり考えてもメリットはなく、考えたとしてもなかなか理解してもらえないので、ここは学者や判例の仕事だとわりきって、予備校のテキストに全面的に依拠して論じれば十分です。このような部分がおそらく答案の8割から9割を占めるはずですから、この部分を正確に書けるかどうかが大きく答案の出来不出来に影響してしまいます。

4 一気に書くこと
考え考え書く人がいますが、勢いのない答案になってしまいます。勢いのある答案は、十分に考えたあとで一気に書くことによって生まれるのです。

5 楽しんで書くこと
答案がコミュニケーションの一形態であることは前にも述べましたが、そうだとすれば、書き手の気持ちも読み手には伝わる訳です。十分に内容・構成の練られた答案を書くのは、実に楽しいものです。陶工が自分の納得のいった器を作るような作業であり、完成後の答案は実に感動的な答案なのです。書き手が楽しんでいることが読み手に伝わり、読んでいても思わず嬉しくなってしまうのです。
論文の答案を書くことは、実に創造的な作業です。決して無味乾燥な作業ではありません。辛いけれども楽しい作業です。これが分かった人は、もう確実に合格を手にいれているといえます。
みなさんは法律家の仕事についてどのようなイメージを持っているのでしょうか。
私は、法律家に近いのは、作家だと思っています。作家は取材をしてその取材の成果を小説という作品に仕上げます。法律家の仕事も同じです。弁護士と検察官は証拠収集のため人に会い、現場を調査し、そして集めた証拠から一定の主張を構築し、その主張を文章化して証拠と共に裁判所に提出するのです。裁判官は証拠を調べ、判断をやはり判決という文章の形で当事者に示すのです。
だから、書くのが嫌いならば、法律家には向かないと思います。書くのが楽しくなければ、この仕事は辛いものとなってしまいます。この受験生の時期に、書く楽しさに出会うことは、これから法律家として生きていこうとしているあなたにとって、とても大切なことだと思います。

三.さいごに
良い答案の背後には、一個の自立した個性が強烈に輝いています。その答案は、自分の思考過程を堂々とアピールし、その発言に責任を持っています。問われていることから逃げず、書いたことについても、決して誤魔化したり言い訳をしたりしていません。
あなたは、自分の発言に責任をもてますか、自分の思考過程を信じることができますか。他人の人生に大きくかかわる法律家という仕事をするうえでは、自分を信じることができるかどうかということが、問われているのです。
借り物ではないあなた自身を発見するために、答案を書いて下さい。