1358話)私のこどものころ 梨

 梨

 ずっと食べ物のことを書いてきたのに、前回、かいこのことを書いたのは、それがないとうまくつながらなかったからです。かいこの飼育には桑が欠かせません。その桑の栽培に支障がでたのです。葉が萎縮して育たない伝染病です。かなりの収入を養蚕に依拠していた実家にとってはかなりの痛手だったと思います。 
 
ダメになった桑畑の転作を迫られました。多少の空白があったと思いますが、つぎにはじめたのが梨です。二十世紀梨を主とし、授粉樹として新世紀梨を少し混ぜていました。梨栽培は手間がかかりますね。春先、新世紀梨の花を集めて、花粉を用意し、それを筆先につけて人工授粉していました。

幼果が着きすぎると、一個ずつが大きくなりませんから、摘果をします。間引くわけですね。大同で最初の協力拠点・環境林センターをつくったところは、リンゴナシの果樹園だったところです。小さな実をたくさんならせていましたよ。それでいいんですね。ところが日本は果物を進物につかうので見栄えがよくないといけない。

袋かけをするのも、見栄えのためでしょう。1個ずつを袋で包むんですね。しかも2回もそれをする。たまに袋をかけ忘れた果実があります。それがおいしいんですね。こどもたちはそれを探して食べます。面倒な作業をして、わざと不味くするのはなんのためだろうと、こども心に不審でした。

梨の栽培は父親にとって生きがいのようになりました。父親はふつうの農業が好きではなかったと思います。米も麦もその他の野菜も、栽培の適期から後ろにずれていたよう。梨栽培はいろんな技術や工夫を必要とするので、それがうれしかったんですね。品評会などで何度も賞をもらったようです。足が不自由になってからも、苦労して通っていました。
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