運のいい人はこうなんですねえ! アンズの下にいるのは加藤登紀子さん。2004年7月に国連環境計画(UNEP)親善大使として、大同を訪れてくれました。そのとき、渾源県呉城村へ案内したら、ちょうどアンズの収穫期だったのです。しかも、この年は大豊作! たった1回で、タイミングがあう。私なんか20年間かよって、しかもかなりの期間滞在しても、アンズの花の満開、アンズの収穫期にであうことって、めったにないの . . . 本文を読む
これが呉城村のアンズ園の夏のようすです。繰り返しますけど、黄土高原の雨は6月半ばからの3か月ほどのあいだに集中します。ときとして1時間70mmもの豪雨になり、土を流します。この浸食谷も、そうやってできたもの。ほぼ垂直の壁になります。
ところがこうやってとなりの木と枝葉が重なるまでに、アンズが茂ってくると、降った雨も直接大地をたたくことがなくなります。枝葉で受け止められ、幹を伝って地面にたっし . . . 本文を読む
アンズで成功した村が、渾源県の呉城村です。私たちが協力したのはほんのちょっとですが、村の人たちは300ha以上に植え広げました。25万本もあります。花もきれいなのですね。桜よりは、ピンクがちょっと薄いくらい。
一度なんか、渾源の県城で昼食のさいにビールをちょっと飲み、バスのなかで居眠りしているうちに、呉城村の現場に近づいてしまいました。満開の花がキラキラキラキラ輝いて、まるで湖面のようにみえ . . . 本文を読む
小学校付属果樹園の建設をつうじて、村の人たちや、こどもたちとの関係がずっと密接なものになりました。いっしょに汗を流したあと、農家にホームステイさせてもらう、といったこともはじめたのです。
その反面、植樹の内容は、ずっとむずかしいことになりました。マツなどを植えるのにくらべ、ずっと手がかかります。植えること自体をていねいにしないといけませんし、植えたあとの灌水、除草、病害虫の防除など、いろんな . . . 本文を読む
私の師匠の友人に浦田勝美さんというかたがいらっしゃいます。私もずいぶんとお世話になりました。数奇な運命をたどられたのです。戦争中は中華航空というところで整備士をしておられたそう。日本の敗戦で帰国しようとしたら、寮の先輩から「帰ってもしごとはない。中国に残ったら、自分たちの腕を生かして、生活できる」と誘われたのだそう。
着いたところは張家口の八路軍部隊。そのあと国民党軍に追われて太行山に逃げ込 . . . 本文を読む
小学校付属果樹園建設のために、私たちは苗木代のほか、整地費用、植栽費用を支援しました。すると村の人たちは、その整地費用、植栽費用の部分をプールし、ほかからも資金の提供をうけて、小学校の校舎を建て直したのです。1994年の秋にこの村を訪れると、すでに校舎は完成していました。もうこどもたちは、寒い思いをしなくてすみます。
私たちにとっても大きな収穫がありました。マツなどを植える防護林の建設は長期 . . . 本文を読む
思いついたのが、小学校に付属果樹園をつくる、ということです。どこの村でも、果樹を植える希望があります。その希望をかなえ、収入があがるようになったら、その7~8割は管理した農家の取り分とし、残りを学校に集めて、失学児童の就学保障をはじめ、教育条件の改善につかってもらう、ということです。
青年たちはすぐに賛成してくれました。ところが、村の長老たちから猛反対をくらったそう。ここは日本軍にひどい目に . . . 本文を読む
1993年秋のことです。大同市青年連合会副主席の劉懐光と2人で霊丘県にいきました。そのとき劉懐光は、別件で貧しい村の小学校にいくといいます。私もついていきました。上寨鎮の村なんですけど、それまでこれほど貧しい村はみたことがなかった。一人あたりの年収が230元だといっていました。当時のレートで6000円弱でしょうか。
零下30度近くになるのに、窓は障子張りで穴だらけ。屋根は波うっています。薄暗 . . . 本文を読む
2005年ごろまではアブラマツ(油松)は2年生、モンゴリマツ(樟子松)は3年生の小さな苗を植えていました。地上部が10~15cm。それがいまは4~5年生の大きな苗に。この大きさになると裸根では活着しませんので、ポリ袋に培土を詰めたもので育てています。効率もコストパフォーマンスも、ずっと落ちました。
いちばんの原因は、ノウサギの食害です。被害が集中するのは草が芽生えるまえの春先。青いものはマツ . . . 本文を読む
たった4か月で2倍にも伸びたので、これは絶対に実用化したいと思いました。そのころ私たちの苗圃は南郊区平旺郷の環境林センターだけでしたが、ここの土は粒子が小さすぎて、針葉樹の育苗には向きません。
大同県国営苗圃が砂地にあり、マツの育苗の経験が豊富だったので、ここで委託生産してもらうことにしました。大同事務所の技術顧問、侯喜さんが目を光らせてくれたんですね。彼は大同市林業局で40年を過ごしたベテ . . . 本文を読む
講演会「被災地における海岸林再生に中国での経験が生かせるか?」
講師=小川眞さん(白砂青松再生の会会長、日本バイオ炭普及会会長、
緑の地球ネットワーク顧問)
日時・6月16日(土)13時30分~15時
会場・大阪市立総合生涯学習センター第1研修室
(大阪駅前第2ビル5階、06-6345-5000)
この講演のあと、緑の地球ネットワ . . . 本文を読む
結果がでたのは、4か月後の9月初めです。胞子液をかけたグループは、そうでないものにくらべ、大きく差をつけて成長しました。とくに根の生育がよく、これからまだ伸びる白い根があります。乾燥してからその重量をはかると、2倍もありました。
BS朝日の取材があったとき、小川先生のまねをして、私がやってみたんですね。2008年の春と秋です。大きくなることはなったんですけど、2倍まではいきませんでした。あとにな . . . 本文を読む
采涼山プロジェクトは、武春珍所長の話によると、地元の技術者は成功の見込みがないと、気乗り薄だったそう。それをここまで成功させたのは、第1に、この地方独特の整地法があります。小さな苗を植えるのに、こんな土木工事は必要ないんじゃないかといって、いろいろ実験してみましたけど、なにをやっても、この方法にかないませんでした。
第2の要因は、菌根菌の接種です。その方面の第一人者、小川眞先生が1997年4月に . . . 本文を読む
この写真、わりと最近、このレポートに載せたような気がするんですけど、ごかんべんください。昨年7月に、北京にある日本大使館の特命全権大使、丹羽宇一郎さんが私たちのプロジェクトを視察してくれました。前回の写真と1~2年の差ですけど、ずいぶんと大きくなってますでしょ。いまごろいくと、さらに大きくなっているのはまちがいありません。いま大同にいっている前中久行代表の連絡では、ことしはよく雨が降っているそう . . . 本文を読む
いきなり時間が飛んでしまいまして、これは2010年夏の写真です。そして、ここのモンゴリマツは采涼山プロジェクトの2年目、2000年春に植えたものですから、11成長期をへています。こんなふうに、ピューと伸びると、うれしいんですけどね。現実はそうはいきません。
たいていマツは1年に1節ずつ伸びます。たいていと書いたのは、旱魃の年などに、1回成長を止め、その後、また芽を出して伸びることがあるからで . . . 本文を読む