時間の関係で、帰りは坂本へのケーブルカーを利用しました。以前は大原のほうに下ることが多かったのですが、道を見失った経験があり、最近はいつも滋賀県側に歩いて下りていたのです。
このコースの魅力のひとつに眼下に顔をだす琵琶湖があります。この日はちょっともやっていましたけど、鏡のようにキラキラ光る湖面はほんとうにきれいです。
比叡山は下のほうには大きな木は少ないのですが、うえに上がるほど巨木が . . . 本文を読む
延暦寺の開祖・最澄伝教大師が眠っている御廟が浄土院です。比叡山のなかでももっとも神聖な場所で、弟子の円仁慈覚大師が中国の五台山竹林院を模して建てた、と説明がありました。山西省の仏教聖山・五台山で修行した人ですね。
でも、建物はいかにも日本式に私の目にはみえます。念のために、インターネットで中国の竹林寺を検索してみましたが、でてくる写真は中国的なものばかりでした。比叡山の建物の多くは信 . . . 本文を読む
にない堂のまえにかなりの面積、コケがしっかり育っています。コケも種類が多いそうで、私には見分けはつきませんが、スギゴケのなかまであるのはまちがいないでしょう。やわらかい雰囲気があって、なかなかいいものです。コケがあることで、時間の流れを感じることができます。 . . . 本文を読む
以前の私は神社仏閣をみても、その木組みに関心をもつなんてことはありませんでした。中国での緑化の活動に取り組んでからですね、じっくりとみるようになったのは。大同の近くには、たとえば応県の木塔などのように巨大な木造建築物が存在します。これこそ、この地方に森林と木の文化が存在したことの証拠なんですね。このようなすぐれた木造技術が、単独で存在するわけはないんですよ。たくさんの木造建築物があり、その技術の . . . 本文を読む
延暦寺西塔の中心は、この釈迦堂だろうと思います。どっしりとした風格のあるお堂です。織田信長による焼き討ちのあと、豊臣秀吉によって圓城寺(三井寺)から移築されたもので、延暦寺のなかではいちばん古い建物だそう。
中国のお寺を見慣れていますので、大きさという面ではなにをみても驚きませんけど、優美さではまさっていると思います。とくに軒のかたちがいい。その点について、法隆寺の宮大工だった西岡常一さんが . . . 本文を読む
比叡山の山頂にある延暦寺は、東塔、西塔、横川という、3つの部分に分かれています。そして全体の中心はなんといっても東塔のなかの根本中堂。私が比叡山に登りたくなるのはなぜか1月の寒い季節。この根本中堂にはいると、ピリッとして、いっそう身がひきしまるような気持ちになります。
この日、お堂にはいると、団体の先客がいて、お坊さんがその人たちに説明していました。織田信長の焼き討ちにあったあと、いまの根 . . . 本文を読む
比叡山には、京都がわと、坂本がわと、両方から登れます。以前は京都がわから登ることが多かったんですけど、最近はずっと坂本がわから。どちらからもケーブルでかんたんに登れますけど、この山道を歩いて登るのがたのしみです。今回は時間の関係で帰りはケーブルに乗ってしまいましたけど、ほんとうなら往復とも歩きたい。
私は宝塚市に住んでますので、六甲山に登ることも多いんですけど、あの山はやせているんですね。数 . . . 本文を読む
山のふもとに、1本の大きなスギが生えています。幹周りが5mくらいはありそう。「遮那王大杉」「紗那王大杉」という2つの看板が建てられています。紗那王は、源義経の幼名ですよね。だとすると、この名がぴったりするのは鞍馬山のような気もするんですけど、ここにもなにかのいわれがあるのでしょう。その説明はありませんでした。
巨大なスギなんですけど、幹の分かれているようすをみると、何本かの木がくっつ . . . 本文を読む
黄土高原レポートの本題とほとんど関係ないんですけど、書かせてください。1月11日に比叡山延暦寺に登ってきたのです。強いてこじつければ、この比叡山で第3世天台座主に就任し、慈覚大師と呼ばれる円仁さんが、中国山西省の五台山で修行し、『入唐求法巡礼行記』を書き残していることくらい。これは日本人最初の旅行記といわれるもので、ものすごくおもしろいですよ。私が比叡山に行きたいと最初に思ったのはそのためです。 . . . 本文を読む
文廟のすぐ北にあるのが、関帝廟です。三国志で有名な関羽をまつっています。関羽といえば仁義に厚い、ということなんですけど、その後の中国ではお金もうけの神さまになってしまいました。
文廟で味を占めた私たちは、つづいてこの関帝廟にも進入をこころみたのです。右側の入口から、1人の人がはいっていったのにつづいて、私たちも入ろうとしました。ところが、警備の人に見咎められて、「はいってはいけない!」と厳し . . . 本文を読む
大同の文廟は明代初期に建てられたもののようです。別名の孔子廟あるいは孔廟が示すとおり、孔子と儒教の聖人をまつる廟です。なかに大きな孔子の石像があるんですけど、工事期間中の保護措置でしょう、頭部は布でおおわれていました。
以前からの建物も、木造です。内部にはいってみました。太柱があり、斗■と梁による木組みで建てられています。(■=木へんに共) 彫刻や彩色もほどこされ、創建当時はどれほどきらびや . . . 本文を読む
さらに奥にすすむと、新築中の楼閣がいくつもありました。せっかくですので、その1つに登らせてもらうことにしたのです。なかでは大工さんが忙しそうに作業をしてたんですけど、私たち闖入者をチラッとみただけで、なにもいいません。3階まで登って、となりで建築中の同じような楼閣をパチリ。いまは白木のままですが、柱その他の木部がそれらしく着色されると、以前からの建物とあまりちがいがわからなくなります。
私た . . . 本文を読む
ほら、中国の古代建築で、こういうのをよくみるでしょう。とてつもない大きな石に龍などが彫刻されている。その両脇には石段があり、その中央は皇帝だけしか通れない、といったふうに説明されることが。皇帝は彫刻の上を歩くのではありません。皇帝は輿に乗り、輿を担ぐ人たちが、両側の石段を登るのです。北京の故宮(紫禁城)でみたその石の巨大さにどぎもを抜かされたことがあります。
彫刻しているところをみることがで . . . 本文を読む
華厳寺に次ぐ規模で再建途上にあるのが、文廟です。もとは第6中学校の校内にありました。より正確にいうと、文廟の敷地が中学校として利用されていたんですね。そのころ、私は1回、そのなかに入り込んだことがあります。
ここも再建中だというので、みにいくことにしました。でも、日本の常識だと、再建中の建物なんて、近づくこともできませんし、シートでおおわれていて、みることもできないでしょう。ところが、なんと . . . 本文を読む
このあともしばらく大同における寺や廟の再建についてレポートしたいと思います。宋・金代以前の木造建築物が山西省には206か所現存し、それは全国の70%を占めるそうです。いま再建されているのもほとんどが木造建築物。そのためには大量の木材が必要ですけど、寺廟の建築に必要な大径木は山西省にはほとんどありません。
建築現場の近くで、木材が積み上げられているのをみると、その大部分がモンゴリマツ(樟子松) . . . 本文を読む