あらすじ
不安と恐怖に駆られ、良心の呵責に耐えきれぬラスコーリニコフは、偶然知り合った娼婦ソーニャの自己犠牲に徹した生き方に打たれ、ついに自らを法の手にゆだねる。――ロシア思想史にインテリゲンチャの出現が特筆された1860年代、急激な価値転換が行われる中での青年層の思想の昏迷を予言し、強烈な人間回復への願望を訴えたヒューマニズムの書として不滅の価値に輝く作品である。
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印象に残った本ベスト5に入る。
特にスヴィドリガイロフがドゥーニャから拒絶されたシーンが印象に残った。スヴィドリガイロフはどんな人物だったんだろうか最後にわからなくなった。
愛を得ることができずに亡くなったスヴィドリガイロフとソーニャの愛によって救われたラスコリニコフを対比させて考えてしまった。
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監獄に入っても変わらなかったラスコーリニコフの思想が、ソーニャとの愛の力によって遂に崩れるという結末が好きだった。「どう終わるんだろう?」という興味で読み進めていたけど、考え得る中で最もよい終わり方だった(個人的な好み)。また、1860年代ペテルブルグの社会風刺や、ポルフィーリーとの対決といった、色んなおかずがある小説だと思う。ドストエフスキー自身の「暴力をも辞さない」思想がラスコーリニコフに投影されていることを知ってより好きになった。
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展開がドラマチックでハラハラ。
昔なぜ挫折したのかと思うくらい読みやすかった。
前半のマルメラードフ一家の悲惨なほどの貧しさと出口のない不幸さ。死を持ってしてやっと解放される苦しみが延々と続き、本当に哀れで哀れで…。
同じ貧しさでもラスコーリニコフの貧しさとはまたレベルが違うのだが、ラスコーリニコフは一線を超えてしまう。その描写が凄まじくリアリティがあり、何でこんなに殺人者の解像度高いわけ?と本当にしんどくなってしまう。
ラスコーリニコフの魂の救済はいつ訪れるのか、と思う一方で、彼の異様なまでの潔癖さ、信念の強さ、頑固さを見るにつけ、簡単に自白したり心を入れ替えるような奴ならこんな事件起こすわけないもんな、ポルフィーリィとの対決も負けんなよ、みたいな謎な気分になってくる。
なのでラストの場面は涙なくしては読めなかった。
罪と罰は登場人物のキャラ立ちが素晴らしく、全員語りたいのだが、その中でお気に入りだったのはラズミーヒン。
彼が出てくるとほっとする。登場人物で唯一と言っていいほど闇がなく、バカがつくほどまっすぐで心が美しい。女性陣も心は美しいのだが、それぞれに哀しみや苦しみがある中で、ラズミーヒンは何というか妙に明るいんだよね…。
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貧しい学生ラスコーリニコフが、金銭目的で高利貸しを殺害する。彼は罪悪感に苛まれ、精神的に苦悩する。
道徳、自由、救い、愛と友情の描写や、ポリフィーリーとの緊張感のある対峙は、読み応えがある。
Posted by ブクログ
ドストエフスキー著「罪と罰」
ロシア文学だけでなく世界的にも5指に入るだろうという有名な作品。
一番最初に読んだ時はまだ中学生の時で担任であり部活動の顧問でもある先生に読まされた。自分の人生で一番最初に読んだ外国人作家さんであり、思い出の詰まっている作品でもある。
今にして思えば何故あの先生が自分にこの作品を薦めてきたかが理解できる。多分自分の言動行動への意識付けをさせる為、植え付けさせる為だったのではないだろうか?
当時の自分は学校という集団の中で協調性が著しく乏しく、何事にも反発していた。簡単にいえば荒れていた。度がすぎる事も多々あり、その都度反省と後悔をしていたが繰り返す事によりその行為にも慣れが生じどんどん加速していった。他人や大人から見れば幼い利己的価値観全開の子供でしかなかっただろうと思うし、実際にそれだけだった。
その当時この「罪と罰」を読んだというか読まされた時は何も感じなく、長い作品でダラダラと上下巻合わせて900頁を読むのが苦痛でしかなかった。「なんて罰だ」と冗談交じりに周りにもらし、ただ眺める様に読み飛ばした記憶しかない。
それから数十年経ち30歳位でこの作品をしっかりと読んだ時には当然違う見え方がしていた。
己の過信から招く罪の罪深さとみっともなさ。その罪自身をはぐらかしてみたり、言い訳の様に回りに言いふらしたり、自身の正当性というマウントを取ったり、そのものから逃げたり。そのくだらない自己防衛のような行動の裏で罪の意識は常に残り罪を犯したという意識からは逃げられやしない。
流石に殺人やら窃盗やらの大それた犯罪を犯すことはなかったが、嘘や偽りといったくだらない幾つもがいくらでも罪として犯している様に思えた。その犯した罪に対して罪の意識がついてきてるのか?といえばそもそもそこに罪の意識が無かったといえる。
この作品を読み人間は簡単に罪を犯すという教訓を学ぶと同時にそこに意識を結び付けないといけないと意識する様になった。
そしてもし罪を犯したならば真正面から向き合いある意味で堂々としっかりと自分の非を受け入れないといけない。自分に正直になることで自分の心が閉じて蝕まれる前に認める事で解放せねばならない。タイミングを失って深みにはまる前に、自意識がしっかりとしているうちにしっかりと対処すべき事なのだと思う。
また罪を覆い隠す様に更にまた罪を重ねる罪のループほど非人道的に思えるし格好悪い人間の立ち振舞いにも思える。しっかりと非を認め反省する事こそが人としての道義であるだろうし、自分自身をしっかりと保つ為にも気付いた時には真っ先に非を認めるべきだ。
きっとあの先生はこの事を自分に教えたかったのだろうと、振り返るとそうとしか思えない。
そしてこの奥深く難しい「罪と罰」という作品を先生が中学生の自分に読ませる事で、その時は分からなくてもいずれ大人になった時に気付きを与える為に長い年月をかけた課題としてくれた、今後の人生と時間をかけた宿題を課せたのかな?と今では感じられる。年を重ねてやっと入り口が見えてきたという感覚だが。
この「罪と罰」という作品に関しては一般的には大衆古典文学なのだろうが、自分にとってはある意味で自分の成長の証がつまっている作品でもあり、自己啓発的な哲学書に近い感覚をも持っている。
いつの日か自分も「この本を読んでみろよ」と、あの日の先生みたいにかつての自分のような誰かにこの作品を薦める日が来るかもしれない。
その時がもしきたら自分もまた新たな成長の証をこの作品に新たに重ねる事がきっとできると思う。
もしかしたらあの先生も若い頃誰かにそう薦められた経験があり、巡り巡って自分に巡ってきたのかもしれない。そうであればこの作品は時代も国も超えて、遠く離れた日本で密かに脈々と受け継がれている作品なのかもしれないと思っている。
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圧巻だった。そこらの本とは一線を画してる。
読んでからいろいろ考えたけど、解説にほぼ書いてあったのであれ読めばここに書かなくていい。自然に考えさせられるってこと自体まで書いてあった。
翻訳は少し古い感じがするけど、そもそも作品自体も古いのであんまり気にならない。今だったら尼さんとは言わない気がする。
エピローグに入る前、本編の最後が本当に凄かった。あのあたりのどこか半ページだけでも星5は決まる。
スヴィドリガイロフが本当に良いキャラクター。あまりに下卑てるけど人間らしい。
覚えておきたいのはラスコーリニコフが後悔していないということで、罪の意識に苛まれて自殺するんだろうなという当初の予想とは全然違ってた。100人殺せば英雄、といった軽い言葉で片付けられるような思想じゃない。
ずっと内容が濃い。日本中の文系の卒論これだけで補えそう。
Posted by ブクログ
罪と罰は下巻が面白いと言うことを改めて認識した。上巻を辛抱して読んだものだけが味わえる。そのためには上巻も大事なのだが、あまり拘らずに読み飛ばす事が大切だ。
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罪と罰があることは救いだとおもう。どうしようもない、不確かで弱い自分に罰を与えることができるから。罰なんてなくて、罪を犯すことをしないまま腐っていく弱い人間。こんなやつを救えるのは理論でも、信仰でもなく、愛のみだと思う。人は愛によって愛されることで、罪も罰も受け入れることができるのかな。
Posted by ブクログ
長年読もう読もう思っていて、なかなか手が出せずにいた「罪と罰」を、ようやく読むことができて、まずは良かったと思います。固く重苦しい話かと思っていましたが、コメディ的な要素も多くあって、それなりに楽しく読めました。
マルメラードフが死にかけているところに、派手派手な格好でやってくるソーニャなんか、哀しいけれど、笑ってしまいます。ラスコーリニコフの母親のおろおろしたところもとてもコミカルで、これを楽しいと言ってしまっていいのかどうかとも思いますが、楽しいです。
文庫本の裏表紙にあるあらすじですが、全然本質をついていないように思いました。罪の意識とか良心の呵責とか、そういうことかなぁ。まぁ、広く言えばそうかもしれませんが、ラスコーリニコフのあれば、過剰な自意識とかプライドとかそういうところなのではないかと思いました。
登場人物の中では、やはりスヴィドリガイロフがいいですね。相当ちゃらんぽらんなことをしてきたのは間違いないでしょう。ですが、噂になっていること全てが本当とも思えません。ドーニャにそこまで嫌われるほどではなかったと思いたい。幼い婚約者(?)にお金をどっさりやって、去っていくところなんか、気持ち悪くも格好いいではありませんか。
スヴィドリガイロフにしても、ラスコーリニコフにしても、やっていることの振れ幅が大きすぎて、どういう目で見たらいいのかよくわからなくなります。人間の本性が合理的ではないってことなんでしょうかね。
なんやかんやで、結末はとても爽やか。めでたしめでたし、と言いたいところですが、本当にそれでいいのか? とも言いたい。夏目漱石の「行人」を読んだ時も感じたことですが、自身は勝手に救われたようになっていますが、周りの人たちは知ったこっちゃないんですよね。特に「罪と罰」では老婆とリザヴェータが亡くなっていますから。
そうはいっても、少なくとも一人の心が救われたわけで、それを喜ばしいと思うべきなのか、そして周りもそれを祝福すべきなのかとも思いました。まぁ、文字がみっちり詰まった上下巻の本をよんで、お腹いっぱいの大満足という感じです。
Posted by ブクログ
ラスコーリニコフを取り巻く人物たちが独特で魅力的だった。
ソーニャに出会い、気持ちが変わっていところはよかった。ソーニャのきれいな心に影響されたのか。上巻ではかなり勝手で気ままだったので、立ち直れてよかったと思った。
ピョートルは嫌なひとだったなー。妹別れて正解。
スビィドリガイロフは、話の中心ですらなかったのに下巻でいきなり第二の主人公のような扱いだったのでびっくりした!!
Posted by ブクログ
人名が長くて、ミドルネームも多くあるため、なかなかスムーズに話が頭に入ってこなかった。
それでも人物相関図を確認しながら、読み進めた。
複雑だからこそ奥行きの深い、読み応えのあるストーリーだった。ドストエフスキーの、作家として評価された理由が分かる気がした。
農奴解放などで、人々の思想や価値観が混沌としていた時代を背景に、「自分は天才だ」と盲信する青年が罪を犯す。青年は「1の罪は100の善行で償える」という独自の思想を持っていながらも、自ら犯した罪に対して良心が彼の心を蝕む。
愛する家族や、偶然出会った、どうしようもない不幸に苛まれていながらも心の澄んだ女性と出会うことで、少しずつ自分が犯した罪と向き合っていく…
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一言では言い表すことのできない様々な要素が絡み合った作品だった。
読者の心情を作品に投影し、自分が読み取りたいものを読み取るそんな読書体験もたまには良いものですね。
Posted by ブクログ
上巻からの勢いで読み進めたものの、本筋のストーリーがなかなか進まず途中で投げ出しそうになりながらやっと読破。重苦しい展開と難解さもあってしんどい大作でした。
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星野智幸の『俺俺』みたいな表現を借りれば、「俺」がいた。大仰な詭弁を実践してしどろもどろするロージャも、自分中心の行動の直後に他者へ施しをし自殺をするスヴィドリガイロフも、なぜか自分から苦しみを受けに行こうと自白をしたミコライも、全員「俺」だった。
裁判の最中に、盗った財布の中身も確認しなかったことを不審がる法廷の人々が描かれる。しかし読者にはロージャのその時の気持ちを知っているから、どうして不審がってあるのかが逆に不審にも思えてくる。そういう客観的な論理では説明できない感情を人間は(少なくとも私は)持っているのだと思う。
ドゥーニャにロージャが自分の思想を説明するシーンにも迫力や説得力があった。自分の中の思想を散々述べた挙句、今のは全部嘘なんだと口にするロージャの気持ちは、とてもよくわかる気がする。
「行くよ。いますぐ。ぼくはこの恥辱を逃れるために、川へ身を投げようとしたんだよ。ドゥーニャ、だが橋の上に立って水を見たときに、考えたんだ、いままで自分を強い人間と考えていたのじゃないか、いま恥辱を恐れてどうする」と彼は先まわりをして、言った。「これが誇りというものだろうな、ドゥーニャ?」
この後にドゥーニャは兄に誇りがあることを知って少しではあるが気持ちが和らぐ。恥とか、誇りとか、死への恐怖とか、あるいは自信とか、そういういろんな気持ちが混ざってるロージャの気持ちが分かるようなシーンだからとても好きだ。
何度も自白を躊躇うロージャが醜い。だけど分かる。なぜなら自分も躊躇うことを知っているから。一度心を決めて警察署へ向かったのに階段を降りて帰ろうとするロージャは本当に醜い。だからこそ私も彼を許したいし、私も許されたい。このときソーニャはどんな気持ちで彼を待っていたのだろう。
みんな弱いし、みんな強い。みんな何かに頼っている。そういう複雑な心理のもとに人々の暮らしはなされているし、だからこそ救いを求めてしまうのだと思う。
Posted by ブクログ
人を殺しても許される人間と許されない人間。
ラスコーリニコフは自分を特別な人間であり、前者だと考え、殺人を犯す。だが、実際は、バレるのではないかと精神的にも状況的にも追い詰められていく。神を信じる慈悲深いソーニャに愛し愛される事により、人間らしさを取り戻し、生きようする力を得る。
スヴィドリガイドフと運命を分けた事は何かを考えさせられた。
登場人物がクセのある人ばかり。貧しいが気位が高く、すぐに気がおかしくなり、なかなか理解が難しかった。
Posted by ブクログ
犯罪に対して罪の意識は感じないものの、誰にも責められずにいることもできず、とはいえ法律的な罰のもとで与えられる安心感には屈辱を感じ、自分で自分を罰することもできない苦しみを抱えていたが、ソーニャに懺悔し、それでも側にいてもらえたことがラスコーリニコフに安らぎをもたらしたように感じた。
数多くの人の命の上に功績を築いてもてはやされた偉人も存在するかもしれないが、人を対等な存在として考える以上、その命を奪ったり傷つけたりしたことに苦悩する事ができなければ「罪と罰」は存在しないし、今も語り継がれているような古典文学は存在しなかったと思う。
Posted by ブクログ
重厚な人生賛美作品
そして、信仰への回帰
読む前は、タイトルから勝手に連想して、
もっとドス暗い犯罪小説と思ってた、、(笑)
社会構造の上層も下層も、
もはや「人間性」は欠如しており、皆損得を勘定したり、他者は操作可能といったような思考にまで至ったりしている。
こと主人公においては、
"「合理的」であれば殺人も許される。"
と結論づけ、実行する始末。
結果的にソーニャは勿論、ラズミーヒンや母妹などの「愛」によって全ては再生し、浄化されていく。
………途中書き
Posted by ブクログ
かなり身構えていたが思ったより読みやすく、面白かった。読んでいる最中はただ夢中で読み進めていたけど、最後の解説により頭の中がかなり整理されありがたい。
警察担当の記者としては、ミコライのようないわゆる「供述弱者」、やっていないことを自ら供述して冤罪をかぶることって普遍的にあるのだなという点を興味深く思った。
近年もそういう裁判あって再審無罪を勝ち取った女性がいたよね。
Posted by ブクログ
青空文庫で読んだので下のみ登録。
元々海外文学はカタカナの名前が覚えられず苦手だったんだけど、ロシア文学は輪をかけて覚えられない!あだ名もあるので呼称がコロコロ変わるし。長いけど、結構駆け足で読んでしまったので何度か読み直すべきだなあと思った。話の流れをさらったから次はもう少しかみ砕いて読めそう。まあ長いからなかなか手が出しづらいけど……。以下、感想。
・皆貧しく悲惨な暮らしだけど、みんな発狂していくので、貧しさに伴う不安っていうのは人間を狂わせるものなのかなと思った。自分に置き換えて考えても、お金がない時の焦燥感といったら尋常じゃない。官吏の奥さんとか気の毒過ぎた。
・罪を犯した後のラスコーリニコフの描写がリアルでよかった。罪の意識に耐えられないものなんだな、人間は。逃げ続けて時効に至った人とかすごすぎると思う。何かが麻痺しているのか。
・スヴィドリガイロフといいルージンといい、ドゥーニャはカス男に好かれすぎではないか。スヴィドリガイロフの「15歳くらいの嫁を貰おうとしてんだぜ~(ニヤニヤ)」トークは本当にきつかった。ドゥーニャも何もされなくてよかったけど、スヴィドリガイロフの自殺はどれだけショッキングだったろうと思う。
・最終的にはラスコーニコフもきちんと裁かれ、良い兆しを抱いて終わったことはよかった。お母さんには幸せに死んでほしかったけど。ソーニャの兄弟たちも幸せに暮らしているといいね。
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貧しいエリート学生ラスコーリニコフが、殺人を犯した罪と如何に向き合うかを描いた作品。
彼は、大いなる善行のためには、その過程において一つの悪行も厭わないことが必要であると考える。また、真の英雄であれば、悪行に対して、罪の意識を負わないはずであるとの思想を持つ。
水面下で激動する帝政ロシア末期において、社会主義的思想ばかりが先行し、人間として大切なものが見失われていることを指摘した作品と理解した。
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恐怖で終えた上巻に続き、一体どんな不幸がやってくるのだと恐れていたが、ラズミーヒンの人柄とレベジャートニコフに救われた。レベジャートニコフって誰だっけ、、、?だったけども。
マルメラードフみたいな人はよくいるものなんだろうか?「カラマーゾフ」のドミートリィとか、「白痴」にもこんな自己破壊的人物がいた気がするのだが。なんでやねん、と言いたくなる。程度ってものがあるでしょう!と。
ドストエフスキーは、イワンやラスコールニコフのような思想を支持していたのだろうか。考えてはいたと思うけども(でなきゃ書けない)、それを是非どちらに捉えていたのだろう。
読み終えた後にWikiで時代背景やら名前のロシア語意味とか読んで、少し、何が書きたかったか分かったような気はするものの、本人の考えはどうだろうか。
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長い上にちょっと難解だな〜と思いつつ、なんとか読み終えました。重かった!笑
凡人の私には、一読では理解できなかった部分も多かったかもしれないです。
追い詰められていくラスコーリニコフの苦悩と病的な精神の描写が痛々しく感じた。
偏った主義や思想に囚われると人はどこまでも落ちていけるのかもなぁとも。
Posted by ブクログ
ロシア文学の最高傑作と言われる「罪と罰」。長編かつ難解なので読むのに時間がかかった。主人公の動機が不純だと感じたので感情移入は出来なかったが、「悪を罰するのに一部の選ばれた者は罪を犯してもよい(それがいずれ正義となる)」という考えは、ドストエフスキーが投げかけた一つのテーマでもあるのだろう。
刑事との心理戦は正直長いと感じたし、罪に苛むまでの時間も悠長だと思ってしまった。とはいえ、ニヒリズム、社会主義思想、キリスト要素など沢山のテーマが散りばめられているのは流石だった。そしてヒューマニズムが失われることへの警鐘も。
最終的に愛の力(と言うと安っぽく聞こえてしまうが)が垣間見えたのは少し気恥ずかしかった。そこで救われるんかい!というのが率直な気持ちだが、教養のためにも読んでみてよかった。
Posted by ブクログ
古典文学に挑戦してみようと思い読みはじめたがなんとか読み切ることが出来たって感じです。
少しは時代背景だとかロシアのこととか調べてから読んだら少しは違ったのかも。
とりあえずラスコーリニコフとロジオン.ロマーヌイチはどうやら同一人物らしい事はわかった。
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読み始めてからきっと酷い終わり方を迎えるのではないかと予想しながら読んでいたのでラストは少し拍子抜けした部分もあったが、救いのある終わり方でよかった。
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ドストエフスキーの言葉
「苦しむこともまた才能の一つである。」
ラスコーリニコフは非凡人(天才)ではなかったかもしれないが、自らの罪に苦しむという才能はあったのだと思う
そしてその果てにソーニャという罰(自首)を選択した
標題の「罪と罰」とは2人の事なのかな
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第4章
主人公の妹の婚約破断。友人に母と妹を託す。
それぞれに別れを告げ、判事との再対決に向かう。
第5章
主人公の恋人の母親の狂乱。妹の元雇い主の策略。
追い詰められ、自首を考える。
第6章
最後の判事との頭脳戦。未来のため自首をすすめる。で、シベリア流刑となり、恋人の献身により、ようやく罪を償う気持となる。
空想的な非凡人の罪の許容という思想から、殺人を犯すが、偶然居合わせた殺すべきでない人間をも殺したことで、罪に綻びがでる。優秀な判事との対決や自暴自棄の告白から発覚を恐れ、精神を崩していく。彼を信じて支えようとする家族・友人。
遂に、自首をするが、その時点では、主人公は虚栄心も自尊心も捨てきれていない。
シベリア流刑が決まり、恋人は近くに来て、献身的に彼を支える。彼女の信仰心、無償の精神に徐々に、罪と向き合う。
第4章は、半狂乱となった女性を中心に当時の社会風俗の描写が多い。
また、キリスト教の教え「ラザロの復活」が重要なテーマとなり、無償のの愛の在り方を説いている。
メインは主人公の罪と罰。そして、当時の社会風刺。主人公と恋人、妹と友人の恋愛。
何かに、演劇として読むとわかりやすいと書いてあった。なるほどって思う。