ハロウィンがケルトの習俗に由来するというお話を、私は、この一週間の間に5回ほど聞かされた。
同じ話は、テレビでも紹介されていたし、ツイッターの@欄にも流れてきた。ナマの人間によるナマの解説も、二回ほど聴かねばならなかった。
なるほどケルトでしたか、といった感じで話題を聞き流しながら、私は、唇を噛んでいたと思う。そうしていないと
「うっせえな知ってるよ」
という言葉が、ノドの奥から飛び出してきてしまうからだ。
ケルトのお話が無意味な知識だと言っているのではない。いつだったのかは覚えていないが、はじめて聞いた時にはそれなりに感心もした。
でも、正直なところを申し上げるに、私は、こういう「トリビア」に属するエピソードを誰かに教えてもらうことに対して、かなり以前から、食傷している。
だって、そんな話は、いまこの場でググれば、いくらでも表示される話で、この話に限らず、もはやその種の「ちょっと耳寄りなお話」は、個人の体験に根ざしたナマの話やネットに上げられていないレアな情報でない限り、誰にとっても、何の意味も持っていないからだ。
このたった10年ほどの間に、わたくしどもの社会は、他人にものを教えるカタチでしかコミュニケーションを取ろうとしない人間の含有率を飛躍的に高めてきている。その変化に、私は、ちょっと呆然としている。
「公益法人への寄付金が税控除の対象になるって知ってた?」
誰もが、私にものを教えようとしている。
私は、
「だからそれがどうしたんだ?」
と言い返したくなる気持ちを我慢しながら暮らしている。だから、毎日、眠りに落ちる前に、一日の間に胸の中に溜め込んだ呪いの言葉を闇の中に吐き出さなければならない。
ツイッターのタイムラインに、フェイスブックのアカウントに、情報は、続々と届けられる。
「知ってる?」
「これ、豆知識なんだけどさ」
「拡散希望」
「お知らせ:来る11月24日。待望のイベントが……」
見知らぬ人々が、明らかな上から目線で、私に知識をもたらそうとしている。あるいは、彼らは、私のアカウントを通して、自分発の情報を広報しようとたくらんでいるのかもしれない。
おかげで、私は、ほかならぬ自分の言葉を疑いはじめている次第だ。
「こんな情報が必要なんだろうか」
そう思うと、タイピングの手が止まる。かくして、この10月のツイート数は、1年ぶりの低水準にとどまることになった。まあ、毎年恒例の秋の無気力月間と言ってしまえばそれまでなのだが、ともあれ、私は、不毛な情報のやりとりにうんざりしはじめているのである。
今回は、ネット時代の知識と情報について考えてみたい。
この話は、ほかの原稿の中でも、部分的に何回か触れたことがある。が、きちんと腰を据えて論じたことはたぶん一度もない。こういう話題は、思いついた時に断片的に取り上げるだけでは足りない。一度、きちんと集中して掘り下げないといけない。でないと、いつしか流れ去って、ハードディスクの藻屑と消えてしまう。
「集合知」という言葉が使われるようになってから、15年ほどが経過している。
最初にこの言葉が使われはじめた頃、この用語を好んで用いる人たちは、インターネット上に展開されるであろう知識データベースの将来について、非常に楽観的だった。たしか、立花隆さんが、「グローバル・ブレイン」という言葉を使ってインターネットの未来像を語っていたはずだ。個々の人間の知識が外部化され、連結し、統合された知の殿堂としてのインターネット。外部化された「万人の脳」としての知的資産。たしかに、前世紀の終わり頃、動き出したばかりのインターネットには、そう思わせる勢いがあった。
私自身がインターネットにぶらさがるようになったのは、95年頃(98年に自作のホーム・ページを立ち上げた)だったと思うのだが、あの頃のネットの世界には、独特の楽観主義が横溢していた。
楽観的で理想主義的で博愛的で利他的で寛大でありながら、その実、参画している各々のメンバーが、びっくりするほど強烈な選民意識を抱いている匿名のサークル――それが初期のインターネットだった。
だから、包括的かつ全面的な情報の共有を願っている学者のタマゴや、数少ない同好の士を求めて巷間をさまよっている市井の好事家にとって、国籍や、肩書きや、資格や、資産や肌の色や戸籍名による差別や許認可を排除した、情報と論理の交換だけで運営される情報空間たる初期のインターネットは、輝かしい理想郷に見えたものなのである。
私も、スミソニアン博物館のページから、イグアナ飼育のための100ページ近い英文の資料を無料でダウンロードした時には、自分がいっぱしの研究者になったような気がしたものだった。コロンビア大学の図書館やサンディエゴ動物園のページにも、度々顔を出した。英語が自在に読めたからではない。そういう場所に出入りしていると、自分が知の最前線に立っているような気分を味わうことができたからだ。
ちなみに、当時ダウロードしたダンボール箱にいっぱいの英文資料は、1ラインも翻訳しないまま、5年ほど前に廃棄した。どうして自分があんな資料を収集していたのか、いまとなってはわからない。私は、はしゃいでいたのだと思う。
で、あれから十数年が経過して、知識は、ネット上のあらゆる場所にあまねく存在している。
英語ベースで立ち上がったインターネットにも、ほどなく日本語のページが整備され、2年もたつと新聞社のホーム・ページが出揃った。そして、世紀の変わり目が近づいてGoogleが登場し、ウィキペディアがあらゆる固有名詞を網羅するようになってみると、たしかに、インターネットは、「グローバル・ブレイン」と呼んでさしつかえのない圧倒的な存在に成長している。
便利であることは間違いない。なにしろ、瑣末な情報を、自前の書斎に揃えておく必要がなくなった。地図でも、画像でも、個人の来歴にまつわる資料や書籍の目次でも、困った時に検索すれば、ダイジェストされた情報がその場で手に入る。
だから、取材に訪れる記者の中には、こちらに向かう地下鉄の中でウィキペディアを見てきたことが丸わかりだったりする若者が珍しくない。この件については、何人かの人間から証言を得ている。
「取材に来る若いヤツがウィキペディア読んできてるのって、なんかアタマ来るよな」
「いや、wikiを読んでるのは別にかまわないんだけど、それしか読んでないヤツが多すぎると思う」
「あ、やっぱりそんな感じなんだ」
「当然だよ。誰もオレの本なんか読んでないぞ」
「そうか。オレだけ粗末に扱われてるのかと思ってたけど、やっぱりみんなそうなんだ」
「たぶん村上春樹だって一緒だと思うな」
村上春樹氏が未読の記者のインタビューを受けているのかどうかは、私は知らない。
ただ、インタビュー記事を書く人間にとって、取材のハードルが下がっていることは事実だと思う。
「えーと、誰でしたっけ?」
と尋ねる取材者にはまだ会ったことは無いが、じきにそういう質問をするヤングマンが現れると思う。それほど、彼らの準備作業は順調に省力化されている。
インタビュー原稿の書き手に限った話ではない。
私のような先端的なトレンドとは最も遠いところで原稿を書いている書き手であっても、資料に当たる時間や、下調べに要する手間は、極端に減少している。
結局、この10年の間に起こった変化は、何であれ情報を扱う人間の作業工程から、様々な「文化的雪かき」に当たる作業が省略されるようになったということなのである。
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