政治学者がはまった「古墳めぐり」の魅力
(『中央公論』2025年2月号より抜粋)
- 晩秋から冬、春までがシーズン
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晩秋から冬、春までがシーズン
JR逗子(ずし)駅から乗ったバスの終点、葉桜バス停から息せき切って住宅街を抜け20分ほど。最後の上りはきつい。だがいつもと同じく、来てよかったと思った。2024年10月31日、朝の8時半。誰もいない後円部頂上の西の相模湾越しに、はっきりと富士山が見えた。初冠雪はまだだったが、天気予報で晴れと知って駆けつけたのだ。被葬者も見たであろう雄大な景色だ。
長柄桜山古墳1号墳(神奈川県逗子市・葉山町、著者撮影)
この前方後円墳、神奈川県逗子市と葉山町(はやままち)にまたがる長柄(ながえ)桜山古墳群の1号墳である。標高127mの尾根に築かれ、その長さは91・3m。前期古墳(3世紀半ばから4世紀後半)としては2号墳も含め有数の規模だ。行政によって10年かけて整備された墳丘は、草刈りも終わり緑の姿が美しい。葺石(ふきいし)はなかったとされるので、築造当時の姿に近いはずだ。500mほど離れた長さ88mの2号墳まで続く雑木林の道は足音が聞こえるほどの静けさで、日ごろの喧騒を忘れさせてくれる。
実は古墳めぐりは晩秋から冬、春のはじめまでがシーズンだ。草は枯れ、木々の葉は落ち、墳丘がよく見えるからだ。もっとも、夏場でも草刈り直後の幸運に当たるという例外もある。
古墳めぐりを始めて丸13年が過ぎた。前方後円墳の北限の岩手県から南限の鹿児島県まで、訪ねた数は約730基。うち古墳時代後期(5世紀末から7世紀初)に多い横穴式石室は430基余で、その大半に入室できた。私がルールとして決めているのは、鉄道、バスといった公共交通機関を使って古墳の近くまで行き、現地では徒歩でめぐることである。
現代の政治や外交を専門とする私がなぜ古墳めぐりなのか、不思議に思う方も多いかもしれない。理由はいくつかある。
まずは大学の授業での気づきだ。大教室での討論で、学生たちはもちろんだが、私自身、日本史の知識の乏しさを思い知って愕然とした。これではいけないと、退職間近になり片っ端から関連書物を読み漁ったのだが、古墳時代はあまりに興味深く、夢中になった。というと聞こえはよいが、それは結果論。はじめは聞いたこともない古墳名がずらりと並ぶ専門書を開いても、頭に入らない。ならば、政策過程やODAなど、私が専門分野の研究で行ってきたのと同様、現地に足を運び、見聞きすれば糸口が見つかるのではないかと考えた。これが大正解で、すっかり古墳にはまってしまった。同時に、朝日カルチャーセンターで広瀬和雄さん(国立歴史民俗博物館名誉教授)の講義を聴き続けてきたことも大きい。「草野さんほど古墳を歩いている人は研究者でもいない」と言われ、煽(おだ)てに弱い私はその気になってしまった(実際にははるかに多く訪問している先輩諸氏が存在する)。
二つ目のきっかけは、2010年9月の肝臓がんの手術だ。それまで、C型肝炎の治療を15年続けていた。体調は悪くなかったが、主治医から電話がかかってきたときには、ついに来たかと思った。ステージ3と4の間だったが、7時間の手術は成功した。その後、C型肝炎ウイルスの特効薬が登場し、ウイルスは除去されたが要観察で、今でも2ヵ月に一度の検査が欠かせない。幸い、体調は良好である。もともと運動音痴の私だが、長距離走は得意でジム通いを続けていることもあって、歩くことは嫌いではなかった。そう、徒歩での古墳めぐりは健康維持に大いに役立っているのだ。
(中略)