ことし2025年のNHK大河ドラマは「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺」。江戸の歓楽街・吉原を舞台に18世紀後半の江戸の出版プロデューサー蔦屋重三郎を描いたものだ。花魁ったいのカラフルな衣装は、平安時代に劣らず美しい。
昨年2024年の「光る君へ」から、時代はいきなり一気に平安時代から江戸時代へと飛ぶことになるが、ことしのテーマは面白いので昨年に引き続き視聴するつもり。
その前に自分なりに、平安時代から江戸時代へとアタマを切り替えておきたいと思い、昨年末から年初にかけて『『源氏物語』を江戸から読む』(野口武彦、講談社学術文庫、1995)を読んでみた。京都から江戸へのシフトでもある。
この本は、『源氏物語』が江戸時代にどう読まれたのかというテーマで書かれた諸論文を再編集して1冊にしたもの。江戸時代の人間は、どうやら『源氏物語』のことは、「好色もの」として受け取っていたようだ(笑)
江戸時代前期は元禄時代、俳諧師の井原西鶴の『好色一代男』は、『源氏物語』のパロディ的二次創作でありながら、オリジナリティを打ち出した傑作であり、江戸時代後期の柳亭種彦による『偐紫田舎源氏』もまたそうであった。その他、同様のテーマの二次創作が多数あったらしい。
「好色」というテーマは「不道徳」である、そう主張したのが謹厳な儒者たちであったが、いやいや「好色」とはありのままの人間の本性の発露だと主張したのが、本居宣長に代表される国学者だったわけだ。「もののまぎれ」を「もののあはれ」と読み直したのである。
そのような江戸時代の思想史を踏まえた『源氏物語』の受容のされ方を論じた本書は、20世紀以降の現代人が『源氏物語』をどう受け取ってきたかを考えるうえでも興味深い。
古くは『更級日記』での女性たちが「音読」を聞く風景から、近世になって木版による活字本が流通するようになって以降の「黙読」に至るまで、受け取られかたが大きく異なることは言うまでもない。
古典というものは、それが制作された時代だけでなく、読まれてきた時代で大きく異なる受け取りかたをされてきたものだなと、つくづく思うのである。
というわけで、時代は江戸時代にワープする。発禁になった『偐紫田舎源氏』の作者で戯作者の柳亭種彦(1783~1842)は、出版プロデューサーの蔦屋重三郎(1750~1797)とは、作家と版元という関係性にあっただけでなく、江戸に生きた同時代人である。
はたして、ドラマに柳亭種彦は登場するのだろうか? 楽しみだ。
目 次まえがき第1部 『源氏物語』を江戸から読む最初の密通はいつおこなわれたか/くもる源氏に光る藤原/英才教育のイロニイ/都会文学としての田舎源氏/江戸王朝の栄華の夢第2部 江戸源氏学入門「もののまぎれ」と「もののあはれ」/注釈から批評へ/「語り」の多声法/古典文学の通俗化/江戸儒学者の『源氏物語』観/「語り手」創造初出一覧学術文庫版あとがき(1995年)
著者プロフィール野口武彦(のぐち・たけひこ)1937年6月28日 - 2024年6月9日。文芸批評家。東京生まれ。早稲田大学を経て、東京大学文学部国文科卒業。同大学院国語国文学科博士課程中退。大学院在学中より小説・評論を発表。1967年(昭和42)には小説「価値ある脚」で東大五月祭賞を獲得している。評論では『三島由紀夫の世界』(1968)、『谷崎潤一郎論』(1973)などを発表し文芸批評家としての評価を得た。1969年からは神戸大学に勤務し、1971年から2年間アメリカのハーバード大学に留学。その後は、専門である江戸思想史に軸足を置きながら、近世から現代に至る文学・文化の様相を斬新(ざんしん)な視点からとらえ直す試みを続けた。著書多数。(コトバンク情報に加筆)
Wikipediaには以下の記述がある
『「源氏物語」を江戸から読む』で、村田春海の著として論じた「源語提要」は、五井蘭洲の著であることを中村幸彦が既に指摘しており・・
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