同じ世界を生きているはずが周りのみんなが見えてる景色とあみ子が見ている景色が少し違っているようで。そのズレは正せるものではないけれどその歪がいつのまにか周囲の人を傷つけたり人を遠ざけてしまう現実に他人事ながらなんだか打ちのめされそうになる。
本人に悪意がなくても人の心情の機微に気付けないということは、周囲の目には横暴な人間に映るし他人の脅威にすらなり得る。流産した「弟」の墓を立てることが母親をどんな気持ちにさせるかなんてどう言葉を尽くしても伝えられるもんじゃないもの。でも何よりその特性はあみ子があみ子自身を守ってやれないからあみ子にとっても脅威なの。おばけがいるんじゃないかって恐怖心もまともに取り合ってもらえず、音が聞こえないようにより大きな声で歌を歌ってかき消すしか手立てがない、そんなことがこれからの人生どれくらいあるだろう。あぁ無邪気なだけなのに、いやでもその無邪気さ故に手加減のない言動となって時に大きな破壊力を持ってしまうなんてあぁやるせない。「応答せよ、応答せよ、こちらあみ子。」の言葉に無垢なSOSが聞こえてくるようだった。大丈夫という返答がまた彼女を孤独に追いやってしまいそうで、大丈夫なんて言わないでおくれよって感じだ。隣の席の坊主くんみたいな優しさを渡り歩いてってほしいな。
監督が主演の大沢一菜さんを評した「あみ子を超えた」という表現に納得。あと小学生の母親役で尾野真千子の右に出る役者はいないね。素朴ながらなかなか破壊力のある作品。