1938年の相撲
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1938年の相撲(1938ねんのすもう)は、1938年の相撲関係のできごとについて述べる。
できごと
[編集]本場所
[編集]誕生
[編集]- 1月15日 - 北ノ國仁(最高位:前頭10枚目、所属:立浪部屋)[3]
- 1月30日 - 宮ノ花秀輝(最高位:前頭12枚目、所属:二所ノ関部屋)[4]
- 2月1日 - 30代木村庄之助(元・立行司、所属:出羽海部屋)[5]
- 2月11日 - 開錦豪藏(最高位:十両16枚目、所属:錦島部屋→時津風部屋)
- 2月15日 - 栗家山恵三(最高位:前頭5枚目、所属:佐ノ山部屋→高砂部屋→佐ノ山部屋)[6]
- 2月18日 - 佐田の山晋松(第50代横綱、所属:出羽海部屋、第7代日本相撲協会理事長、+ 2017年【平成29年】)[7]
- 3月13日 - 栃ノ海晃嘉(第49代横綱、所属:春日野部屋、+ 2021年【令和3年】)[8]
- 3月27日 - 扇山民雄(最高位:前頭5枚目、所属:時津風部屋)[9]
- 4月10日 - 大蛇川覚(最高位:十両4枚目、所属:二所ノ関部屋、+ 1985年【昭和60年】)
- 6月8日 - 三瓶山征夫(最高位:十両4枚目、所属:中村部屋→二所ノ関部屋)
- 6月16日 - 追風山裕邦(最高位:前頭6枚目、所属:追手風部屋→立浪部屋、+ 2014年【平成26年】)[10]
- 7月3日 - 雲仙山尚敏(最高位:十両7枚目、所属:二所ノ関部屋)
- 8月10日 - 康夫(元・立呼出、所属:花籠部屋→放駒部屋、* 2012年【平成24年】)[11]
- 10月20日 - 若十勝正雄(最高位:十両10枚目、所属:花籠部屋)
- 10月29日 - 吉ノ岩義行(最高位:十両7枚目、所属:二所ノ関部屋)
- 11月29日 - 柏戸剛(第47代横綱、所属:伊勢ノ海部屋、+ 1996年【平成8年】)[12]
死去
[編集]- 1月22日 - 大ノ里萬助(最高位:大関、所属:若松部屋→湊川部屋→出羽海部屋、* 1892年【明治25年】)[13]
- 2月19日 - 10代木村玉之助(元・立行司、所属:中村部屋、年寄:岩友、* 1873年【明治6年】)
- 6月21日 - 陣幕嘉七(最高位:大関(大阪相撲)、所属:小野川部屋、年寄:陣幕、* 1885年【明治18年】)
- 12月4日 - 玉錦三右エ門(第32代横綱(現役没)、所属:二所ノ関部屋→粂川部屋→二所ノ関部屋、年寄:二所ノ関(二枚鑑札)、* 1903年【明治36年】)[1]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 59頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 314頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 166頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 159頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 362頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 158頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 154頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 152頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 160頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 153頁
- ^ 放駒部屋 - 財団法人日本相撲協会公式 大相撲ホームページ - ウェイバックマシン(2003年6月2日アーカイブ分)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 148頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 44頁