模型じかけのオレンジ

模型制作記を中心に、趣味の工作関連、車、オートバイ、その他色々についてロサンゼルスの生活事情と合わせて綴っています。

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私のヒーローが、、、

 こんばんは。

 

 ほんとうは明るく、楽しい話をするのが好きなのですが。

 出来るだけブログではそんな話をするようにしているのですが。

 

 また哀しい知らせがありました。

 

 

 自分が若かったころに聴いていた、見ていた、読んでいた人達が自分よりも歳を取っていたとしたら、その時から自分も随分歳を取ったのだから、それはそういう事も自然な事です。

 これからドンドンそういう事が増えていくのもまた自然な事です。

 というのは勿論分かっているのですが、ちょっと早いでしょう。

 65歳だったそうです。

 

 私が彼の演奏に出会ったのは、結構後の方なんです。

 上の写真のアルバムです。(Thin Lizzy他は後から追いかけて聴いていました。)

 ジョン・サイクスの音楽に出会ったのは、私の人生にとっては結構大事件です。

 もともと子供のころから音楽を聴く時には、パートに分解して聴くようなことを自然としていましたが、主に聞くのは主旋律です。

 ところがWhitesnakeのこのアルバムを聴いたとき、ギターのリフ*1のカッコよさにビックリ。

 主旋律そっちのけで後ろで流れる伴奏の方をずっと追って聴いてました。

 それ以来、音楽の聴き方がはっきり変わったと思います。

 どの楽器がどういうフレーズを弾いて、そこにどういう風に他の楽器が絡んでくるか。

 楽器単体ではパッとしないフレーズも、他の楽器が重なる事でどれだけ心躍る音楽になるか。

 まぁ、音楽の基本中の基本なのですが、和音の美しさがどこから来るのか を意識するようになったという事でしょうか。

 私の人生の中で音楽に関わる部分はジョンサイクス前、ジョンサイクス後 に分けられそうです。

 その後も心奪われたミュージシャンは何人か出現しましたが、たぶん私に取っての初めてのヒーローだったのだと思います、John Sykesは。

 

 

 John Sykesに関して、今思えばかなり凄い体験、というか思い出があります。

 もうだいぶ昔の事です。

 Blue Murderの2nd、Nothin' but Troubleがリリースされる直前くらいだったと思うので、30年以上前かな?

 某ギター雑誌の企画で、ニューアルバムのプロモーションで来日するJohn Sykesを迎えてのシークレットイベントに読者を抽選で招待 という告知がありました。

 場所は勿論明かされていませんでしたが、東京のどこか くらいは書いてあったのかな?

 滋賀県民の私にとっては、東京というともう外国の様なものです。

 そして私は方向感覚をどこかに忘れて来たのか と思う程、目的地に着く能力が低いので、単身東京に行くなんて恐ろしい事だったのですが、とにかくJohn Sykesに会えるかもしれない という事で、抽選に応募しました。

 そんなに大きなイベントでは無かったので、当選人数は限られていましたが、応募はがきに小さい字でビッシリとどれ程John Sykesに会いたいか というのを書き込んだのが良かったのか、見事当選。(すごくないですか?)

 当日、始発電車に乗って、米原で新幹線に乗り換えてイベントに行って来ました。

 会場はこじんまりしたクラブの様な場所でした。

 入ってみると、なんだか来ている人はみんな仲間連れみたいな感じで、グループも出来上がっていて、楽しそうに盛り上がっています。

 え?抽選で来てるから全員初対面じゃないの? と疎外感が凄かったことをよく覚えています。

 てか、皆さん初対面ですぐにあんなに打ち解けていたんですかね?

 私は社交的では無いので、そういう場面になると基本一人で誰とも話もさず木のようになっています。

 そうしていたら、こちらを見ていた綺麗なお姉さんと目が合いました。

 会場内は97%以上男性みたいな感じだったので、その方も身の置き場に困っていた様です。

 一人で来られたのですか? と話しかけてきたので、(え?みんな一人で来てるんじゃないの?とは思ったのですが、それは言わず)そうです、と応え、そのまま話すことに。

 そうしたら、まぁJohnSykes愛が溢れる方で、どの曲のどの部分が良いとか、あの時のアレがカッコよかった とか、ずっと話してらっしゃいました。

 

 そうこうしているうちに、いよいよ神の降臨です。

 でかっ!というのと、めちゃくちゃカッコいい という印象しか残ってないです。

 ご存じの方は納得してらっしゃると思いますが、John Sykesはカッコいいのです。

 もしかしたら何か弾いてくれるかも と思っていたのですが、進行の人曰く、この場ではギターは弾かない という事でした、残念。

 その場では握手会が行われ、順番に一人ずつJohn Sykesを前にすることが出来ました。

 みなさん、一瞬握手してすぐに次の人と変わる という流れだったのですが、私の番が来た時、John Sykesに一礼してすぐに隣に座るマネージャーに 通訳お願いします!と言って、どえらい遠くから朝一の電車で来たことや、どれだけ会いたかったかとか、一気に話して伝えてもらいました。

 そっかー、そんな遠くから来てくれたのか、ありがとう!みたいなことを言ってニッコリ笑って握手してもらえました。

 ものすごく手が大きかったです。

 完全に舞い上がってしまい、それくらいしか覚えていません。

 とにかく、後光がさしているくらい、キラキラしていました。

 

 先のお姉さん、握手の後に合流した時は、もう本当に目がハートになってました(笑

 さすが、John Sykes。

 

 その後、進行の人が この後、近くのライブハウスに行こう とJohnが言っているので、移動できる人はみんなで一緒に行きましょう! とアナウンスすると、みんな大盛り上がりになってました。

 しかし仕事の都合もあり、その日の終電に間に合うように滋賀に帰らないといけなかったので、残念ながらライブハウスに行く事は出来ませんでした。

 お姉さんは 行かれますか?と訊いてくれたのですが、無理だ と応えると、とても残念そうにしていました。

 せっかく捕まえた話し相手が居なくなっては、既に出来上がっている輪の中にまた入っていくのは大変でしょうから、ちょっと申し訳なかったです。

 それより

 もしかしたらライブハウスで飛び入りで演奏とかするのかなぁ というのが気がかりで仕方なかったです。

 米原駅に到着して、ローカル線に乗り換えるのを待つ間、米原駅周辺は真っ暗で、ホームには私一人だったような気がするのですが、周りが目に入ってなかっただけかもしれません。

 ずっとイベントの事を反芻しながら、夢のような時間の余韻に浸ると同時に あーライブハウス行きたかったなぁ、ギター弾いたのかなぁ とそんな事ばかり考えていました。

 当時はまだインターネットもそんなに普及していなかったので、その後どうなったのか知る由も無く、謎のままです。

 

 先月に帰国した時に、友の家に遊びに行ったとき、現時点で一番新しいレコーディングアルバム*2を聴かせてもらって、それについて話をしてました。

 以前と感じはガラッと変わって賛否両論だったようですが、私は カッコいいやん! と感じました。

 インターネットで調べた所、まだ新しいアルバムも制作する意欲もあったらしいです。

 残念です。

 

 書いている内に昔の事をどんどん思い出して、また取り留めも無く長く書いてしまいました。

 イベントの事は、いつか書こうとは思っていたのですが、こんなタイミングになるとは、、、

 昨夜は深夜に音量大き目でレコードを聴きました。

 今聴いても全く色褪せない。

 あの時のお姉さんもJohn Sykesを偲んで爆音で聴いてるのかな。 

 

 渡米した後に発表になったアルバムで手にしていないタイトルがまだ少しあるので、それを聴くのを楽しみにしよう。

 

 Rest in peace, John Sykes.

 

 

*1:バンド等の伴奏とかで演奏される短いフレーズみたいなものです

*2:といっても25年ほど前のアルバム