宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
僕のように、劣等感が強く、自分が劣っていると認識して落ち込む傾向のある人間は、常に自分と他人を比較している。逆方向に考えれば、こういう人間は自分が優位に立ったとき、自分が優れていると認識してうかれる傾向があると言える。自分と他人とを比較して優劣を付けなければ生きていけない、差別主義者予備軍なのだと言えるだろう。
こういう危険な人間は、劣等感を感じさせ続けることのできるような地位という牢獄に閉じこめてコントロールしておくのが、社会のためなんじゃないだろうか、そんな風に思うことが時々ある。自分が這いあがろうとすることは、社会秩序に仇なすことに繋がるんじゃないだろうか、そんな風に思うことがある。
劣等感を感じているから、他人と自分をどうしても比較してしまうんじゃないですか?ほんとうに自分が優位に立ったら(という言い方は好きじゃないけど)、心に余裕が出来て、他人との優劣なんかあまり気にかけなくなるんじゃないかなぁと思います。どうでしょう?
キッカケというか一番最初の要因としてはそういうものもあるかもと僕も思います。
ただ、性質的に劣等感を感じやすいのが、実際に劣等感を感じることによってその因子が発動して、差別主義者予備軍として覚醒する、みたいな、負のスパイラル的なものもあるのではないだろうかという気もしていて。
>心に余裕が出来て、他人との優劣なんかあまり気にかけなくなるんじゃないか
・最初から状況的に恵まれてて(大金持ちの家に生まれた、とか、実際に「優れて」なくても、劣等感を感じずに済むような環境にいた、とか)最初から心に余裕のある人は、そうなんじゃないだろうか
・でも一度「堕ちて」しまったら、なかなかそうはなれないんじゃないだろうか
……と考える自分は悲観的すぎますかね。
単に、自分を変えない・現状から変わろうとしないでいることを良しとするためのエクスキューズを、無意識のうちに考えてしまっているという説もあるかも。
ちょっと悲観的な気がします。でも、性格的にセンシティヴなんでしょうね。梅田イーマとか阪神百貨店とか、私もあのへんは庭みたいなものなので(言い過ぎ?)、つい親近感を持っちゃうんですが、買い物に行ったのはいいけど、お友達と自分の差を感じて泣けちゃう話ね、なんでそこまで?って私なんか基本がズーズーしいから、そんなことで泣く人いるのかって想像はできるけど、本当にはわかんないです。人は人、自分は自分、ってどこかでいつも思ってて。
思うに、自分を肯定するための材料を、自分の内側に求めないと、外側を変えてもやっぱり人と比べて劣等感をもつスパイラルに陥るんじゃないかしら。えっと、批判してるとかじゃなくて、「そんなに自分を情けなく思う必要あるの?」って話なんです。仕事もして、社会人で、ちゃんとものを考えられる頭があって、自分をもっと良くしようという向上心があって、そういう自分を自分でもっと肯定的に見てもいいんじゃないかなって。
>思うに、自分を肯定するための材料を、自分の内側に求めないと、外側を変えてもやっぱり人と比べて劣等感をもつスパイラルに陥るんじゃないかしら。
「プライド」「自尊心」とは本来そういうもののことを言うんでしょうね。「だれそれよりこれだけ優れている」ということではなくて、オンリーワンであること。
ただ、オンリーワンであることそのものを祝福してくれる他人は原則としていない(親は祝福してくれるかも)ので、それが祝福に値することであるとどうすれば信じられるのか、どうすれば誰に引け目を感じることなく(ただのナルシシズムじゃないか、という批判をかわして)そのような確信を持てるのか、というのが僕にとっての課題なのだと思います。
の末尾に2020年11月30日時点の日本の首相のファミリーネーム(ローマ字で回答)を繋げて下さい。例えば「noda」なら、「2006-01-23_sabetsu.trackbacknoda」です。これは機械的なトラックバックスパムを防止するための措置です。
writeback message: Ready to post a comment.