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よく「ファッションのために音楽を聞いてる」っていう言い方ってあるじゃないですか。「洋楽聴いてる俺カッコイイ!! 邦楽聞いてる一般人カッコ悪い!!!」と自己満足に浸るためだったり、「なに、君たち邦楽なんて聞いてるの? ダサイねえ。洋楽聴いてる俺の方がかっこいいぜ!!!」と自慢げに語るためだったり、そういう理由で洋楽を聴いてるという。洋楽に限らず、マイナージャンルなら何に対しても言えることだけど。
僕はさあ。自分がファッションのために音楽を聴いていたのか、本当にその音楽のことが音楽として好きだったから聴いていたのか、分からないんですよ。
そして、他人のことを「ファッションで音楽聴いてる奴ダセえプギャー」と指差して言ってる人が、その人自身はファッションで音楽聴いてないと自信を持って言えるのか、ということも疑わしく思ってしまう。
仮に、自分もまたファッションで音楽を聴いていると自覚しているのなら、どうして自分に跳ね返ってくる言葉を他人にも平気で投げられるのかも、僕には理解できないです。僕はブーメランが怖いから自分が該当すると気付いた言葉はそうそう他人に投げられない。それとも、自分に跳ね返ってくることを覚悟の上で言っているの? 自分がダメージを受けても相手にダメージを与えるために毎回特攻してるの? それとも、自分はもうダメージを受けても平気な状態だから気にせず特攻できてるの? それなんてゾンビ?
話を戻すけど、自分が音楽を選ぶ時に、それを「本当に好きだから選んだ」のか「ファッションとして選んだ」のか、それってどうやって区別したらいいんだろう。メジャーな音楽を選ぶ時、それはメジャーな価値観に迎合するために買ってるわけじゃないんだ、話題についていくために買ってるわけじゃないんだ、って言いきれる? マイナーな音楽を選ぶ時、それはメジャーに背を向ける俺カコイイと言いたいためじゃないんだ、これを理解できる俺カコイイと言いたいためじゃないんだ、って言いきれる?
音楽だけじゃない。映画でも漫画でも、何にでも。
ファッションは人に見せるもの。自分が社会の一員だと再認識するためのもの。
自分が楽しめたらファッションじゃない。
それで良いんじゃない?
ファッションだけなら、やっぱり自分自身に違和感があると思う。
レコード屋のアルバイトのお姉ちゃんが可愛かったから、流行のレコード買いました、それはファッションかな。
の末尾に2020年11月30日時点の日本の首相のファミリーネーム(ローマ字で回答)を繋げて下さい。例えば「noda」なら、「2008-11-10_music.trackbacknoda」です。これは機械的なトラックバックスパムを防止するための措置です。
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