2025年1月23日(木)

災害大国を生きる

2025年1月23日

 2024年の元日、能登半島を襲った地震で、珠洲市は甚大な被害を受けた。その際、正院、蛸島、宝立、松波などの被災地の地名が報道されるにつれ、60代の元「読書少年・少女」の中に、古い記憶を呼び戻した人がいたはずである。

寒さで仮設住宅に引きこもってしまう高齢者も少なくない。こうした被災者たちのニーズはどのように把握すべきだろうか(WEDGE)

 半世紀以上前、奥能登を舞台にした『ひとりぼっちの政一』(牧書店)が1972年の青少年読書感想文コンクール課題図書(小学校高学年向け)に選ばれたことがあった。

 珠洲で祖父母と暮らす政一は、6年生になった時に、新設された「特殊学級」(現・特別支援学級)に入ることになる。突然、友達と離れ、下級生と一緒にされ、戸惑いながらも、政一は1年を過ごす。

 失禁したり、泣き叫んだり、どこかへ行ってしまったりなど、およそ勉強には向いていない子どもたちの中で、政一は疎外感と劣等感を抱きながらも、成長していく。その姿が、海沿いの集落の情景、波の音、風の匂い、祭りや正月など、季節の風物をおりまぜながら、実にいきいきと描かれていた。

 この本は、その後、「なぜ特殊学級に関する本が課題図書に選ばれるのか。偏見を助長するだけではないか」というような批判が出されて、物議をかもした。当時は、「一億総中流」と言われ、差をつけることが「悪」とみなされた時代であった。特別支援教育も黎明期にあり、試行錯誤を重ねていた。教育の個別化、つまり、児童・生徒のニーズに合わせようという発想自体が、平等主義者たちから「差別だ」と批判されるような風潮があった。

 政一の家庭は「機能不全」状態であった。両親は離婚し、父親は出稼ぎにいったまま戻らず、母親も遠方に去っていた。誰も政一の養育に責任をとろうとしない。祖父母が苦労して育てているけれど、貧しくて満足に食事も与えられていない。今なら、「ネグレクト」として、児童相談所が介入するケースである。

 政一のクラスメートも似た境遇で知的障害や発達障害、身体障害と思われる子もいる。それ以前に、手を洗う、歯を磨く、風呂に入る、着替えるなどの基本的な習慣がしつけられていない子どももいる。この子たちのために、子どもそれぞれのニーズに合わせた支援を行う必要があることは明白であった。

 さて、私は半世紀ぶりに本書を読む機会を持ったが、それは本書にも登場する珠洲市総合病院に勤務していた小児科医上野良樹先生(現・金沢こども医療福祉センター)が本書を古書店から発掘してくださったからである。この場を借りてご贈呈に感謝申し上げる。

 特別支援教育は、「特別なニーズには特別な支援を」といった個別化を狙っている。同じことは、「被災者のケア」についてもいえる。

 平時にも潜在していた弱肉強食原理は、有事に一気に露呈する。強者は、親族のつてを使い、人的ネットワークを利用し、情報を入手して、行政の支援を受けつつ、生き延びていく。

 しかし、弱者はそうはいかない。恵まれない境遇の人は、ますます恵まれない状況に追い込まれ、貧しき人は、いっそう貧しくなり、病める人はその持病を悪化させる。


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