こんな都市伝説がある。
--電話番号の市外局番が「06」の尼崎市は、昔は大阪市だった--
それ、ほんま!? 真相を調べてみた。
◆ ◆
「遠い所の人には大阪出身って言います」
こう口にする尼崎人は少なくない。「兵庫って感じやないでしょ。市外局番も06やし」
そうなのだ。「アマは大阪」と思われる最大の理由は大阪市と同じ「06」。隣接しているとはいえ、これほどの大都市が府県を越えて同じ局番というのは珍しい。
尼崎市立地域研究史料館(当時)に足を運ぶと、担当者が意外な経緯を教えてくれた。
「尼崎市民にとって大阪局への編入は悲願だったんです」
尼崎の企業の多くは戦前から、商業の中心だった大阪市内に本社や取引先を持っていた。当時は市外に電話をかける場合、各電話局の交換手を通す方式だったが、大阪と同じ局内になれば手間が省ける上、料金も安くなるからだ。
明治中ごろの1893年、尼崎紡績(現ユニチカ)が最初に大阪局から電話線を引いた。しかし、全市編入には半世紀以上もかかっている。
こんな話がある。
空襲で大きな被害を負った戦後、電話の復旧は最重要課題だった。だが、海抜ゼロメートル以下の市南部にあった尼崎電話局は何度も水害に遭い、復旧が遅れた。
「待ってられへん」
復興を急ぐ商工業者は次々に、大阪の淀川局から自腹で電話線を引いた。当時の企業広告には「淀川局」と「尼崎局」の二つの電話番号が並んでいるケースが多い。
市全域が大阪局に編入したのは1954年。ダイヤル式になった1962年、初めて市外局番ができ、尼崎は大阪と同じ「06」になった。
「ですから、06は尼崎の高度経済成長を支えた誇るべき歴史なんです」と担当者。
アマが大阪市だったなんて、とんでもない。工都を支えた民の執念に、尼崎の底力を見た。
(2008年の連載から紹介しました)
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