苦難とは? わかりやすく解説

く‐なん【苦難】

読み方:くなん

苦しみや困難。「—を乗り越える


苦しみ

(苦難 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/29 05:02 UTC 版)

苦しみくるしみあるいは 苦痛 (Suffering or pain)とは、悪的な心境及び物質様態から成る不快さに基づいた基礎的な概念である。悩み悲しみ、悔しみ、悪感、不安後悔緊張感情傷害などからなる精神辛さや、物質的傷害や生体科学傷害などからなる痛みや不快さに基づいた心身における悪的な様態を指す。の痛みにおける症状や、危害と結び付けられた嫌悪あるいは個人における危害の恐れを指す場合もある。

概要

苦しみは、第一に身体的過程か精神的過程のいずれに結びついているのかに依存しているゆえに、「身体的」あるいは「精神的」と呼ばれるかもしれない。身体的な苦しみの例は、痛み吐き気呼吸困難痒みである。精神的苦しみの例は、不安嘆き憎しみ退屈である。

苦しみの強さは全ての程度において、つまらない軽いものから筆舌に尽くしがたい耐え難いものに至る。生じた事態の持続性と頻度の要素は、しばしばその強さに従って考慮される。

痛みに対する人々の態度は、どの程度それが、軽いあるいは重い、回避可能あるいは回避不能、役に立つあるいは役に立たない、些細あるいは重大、適切あるいは不適切、選ばれたあるいは望まれない、受け入れられるあるいは受け入れられない、と見なされるかに従って非常に変化する。

「苦痛(痛み)」 (pain) と「苦しみ」 (suffering) という語は、混同されるし注意深い取り扱いが要求される。(1) それらは、しばしば同義語であり、交換可能である。 (2) それらは、しばしば相互に対比して使用される。 (3) 一方が他方が指示する様々なものをしばしば指示する。例えば、「痛みは身体的な苦しみである」とか「苦しみは激しい身体的ないし精神的苦痛である」等々。 (4) しかし、しばしば人々はそれらを別の仕方で用いたりもする。

全ての感覚をもつ存在者は、その生存の間に、様々な仕方でしばしば劇的に、苦しみをもつ。人間的活動の全ての領域が苦しみに関するあらゆる問題に関わるわけではないが、多くの事柄がその性質や過程、起源や原因、意味や重要性、その関係する個人的、社会的、文化的行為、その救済、取り扱い、使用等々に関わっている。

哲学的、倫理学的観点

倫理学理論としての快楽主義は、善きものと悪しきものは究極的に快楽と苦痛に存していると主張する。エピクロスのような多くの快楽主義者は、快楽の追求よりも苦しみの回避を強調した。なぜなら彼らは、最大幸福が苦痛から自由で快楽のわずらわしい追求や余計な帰結から自由な平静な状態(アタラクシア)のうちにある、と主張したからである。ストア派にとって、最大の善は理性と徳のうちにあり、魂は快楽や苦痛へのある種の無関心(アパテイア)を通じて最もよくそれに到達する。結果として、この学説はもっとも悪い苦しみを前にしてさえ自制することと同一視された。

ジェレミー・ベンサムは、倫理学、政治学、経済学において大衆的な学説である快楽主義的功利主義を展開した。ベンサムは正しい行為や政策は「最大多数の最大幸福」を惹き起こすだろうものであると論じる。かれは、いかに多くの快楽と苦痛がなんらかの行為から帰結するだろうかを規定するために、快楽計算あるいは幸福計算と呼ばれる手続きを提出した。ジョン・スチュアート・ミルは快楽主義的功利主義の学説を改善し推進した。カール・ポパーは、『開かれた社会とその敵』において、功利について語る際に幸福の増進よりも苦しみの縮減を優先させる消極的功利主義を提案した。すなわち、「倫理的な観点から、苦しみと幸福、あるいは苦痛と快楽の間のいかなる対称性も存在しないと私は信じる。 (…) 人間の苦しみは助けに対する直接的な道徳的な懇願を作る。何にせようまくやっている人の幸福を拡大することに対していかなる似たような使命も存在しない」。デイヴィド・ピアースの功利主義は率直に苦しみ(ここでは、「生物学的、神経学的、心理学的諸相」の下で見よ)の廃絶を要求している。多くの功利主義者は、ベンサム以来、存在者の道徳的状態は快楽と苦痛を感じる能力に由来しており、従って道徳的行為者は人間存在の利益だけでなく動物の利益も考慮に入れる、と考えている。リチャード・D・ライダーは、そのような見解を「種差別」 (speciesism) や「苦痛主義」 (painism) の概念において展開した。ピーター・シンガーは、彼の著作『動物の解放』 (Animal Liberation) や他の著作とともに、この種の功利主義の最先端を示している。

苦しみの救済に関わる他の学説は、人道主義 (humanitarianism) である(人道支援 (humanitarian aid) や人道的社会 (humane society) も見よ)。「人道主義的な努力が感覚を持つ存在者に対する積極的な付加物を見出すところでは、幸福なるものをより幸福にするよりはむしろ不幸なるものを幸福にする。 (...) [人道主義は]、多くの社会的様態の構成要素である。現代社会においては、様々な動機が見出されるので、それ自身で存在していると言えるものはほとんどありえない」[1]

悲観主義 (pessimism) は、アルトゥル・ショーペンハウアーがよく知られた形で述べるように、この世界を、悪化し止められない苦しみに悩まされる可能な限り最も悪いものとみなす。ショーペンハウアーは、芸術や哲学、生への意志の喪失や「苦しむ仲間」 (fellow-sufferers) についての寛容さのようなものに逃避することを勧める。フリードリヒ・ニーチェは、最初はショーペンハウアーの影響を受けたが、力への意志を称え、弱者への同情や哀れみを軽蔑し、最大の苦しみの「永遠回帰」を自ら受け入れるという全く別の態度を後に展開した。

痛みは、感覚知覚としては痛覚に集中するが、その内容の多くは苦しみ一般にも関わるのである。

脚注

  1. ^ Crane Brinton, article Humanitarianism, Encyclopaedia of the Social Sciences, 1937

関連項目


苦難

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 23:08 UTC 版)

ブラックフット族」の記事における「苦難」の解説

連邦政府雇われヨーロッパ系アメリカ人ブラックフット居留地残っていたバッファロー狩猟したため、1800年代半ばブラックフット食糧調達じり貧になっていった。開拓者たち部族領域侵入していた。バッファローを狩れないので、ブラックフット連邦政府からの食料供給に頼ることを強いられた1855年ブラックフットのレイム・ブル酋長連邦政府平和条約結んだ。レイム・ブルの条約の内容は、ブラックフット居留地移動する代わりに年間2万ドル支援をするというものだった1860年には、ごくわずかバッファローしか残っておらず、ブラックフットは完全に政府食糧援助依存していた。食糧が彼らのもとに到着する前に腐っていたり、または全く届かないこともしばしばあった。飢え絶望から、ブラックフット食糧求めて白人襲撃し双方無法者たちによる争い起きた1867年、若いピーガン族の戦士オウル・チャイルドがアメリカ人商人マルコム・クラークから数頭の馬を盗んだことが引き金となり事件起きたクラークはオウル・チャイルドを追跡し報復としてオウル・チャイルドの宿営地から丸見えの場所で彼を激しく殴打し屈辱与えた。ピーガン族の口述歴史によればクラークはオウル・チャイルドの妻を強姦したとされる。しかし、クラークはオウル・チャイルドのいとこでもあるCoth-co-co-naというピーガン族の女性長い間婚姻関係にあった強姦された女はその子供を産んだが、死産となったバンド年長者殺されとされる2年後1869年、オウル・チャイルドと彼の仲間数名夕食後にクラーク農場襲撃し殺害した彼の息子ホレス重傷負った。この事件知らせ聞いた人々激しく抗議しフィリップ・シェリダン将軍騎兵隊派遣することになった。オウル・チャイルドを追跡して捕らえ罰するための騎兵隊はユージン・ベーカー少佐率いた1870年1月23日騎馬隊はピーガン族の宿営地についての情報提供受けたが、誤って違うバンドを敵と認識してしまった。夜明けとともに200人前後の兵士キャンプ囲み奇襲準備をした。射撃号令が出る前、ヘビーランナー酋長宿営地の上積もった崖に展開する兵士たち警戒していた。彼は安全通証紙携え断崖の方へと歩いて行った。ヘビーランナーと彼のバンドのピーガン族はアメリカ人開拓者や軍と友好的な関係を築いていた。ヘビーランナーはジョー・コベルに銃撃され殺害された。彼の仲間のジョー・キップは誤り気づき、隊にシグナル送った。彼は騎馬隊友好的な人々攻撃した報告されることを恐れた。 ヘビーランナーが死んだ後、兵士たち宿営地襲撃した173人のピーガン族が死亡したが、騎兵隊死亡者落馬して足を骨折した後に合併症死亡した1人けだった犠牲者大半は、女と子供老人だった。若い男たちはほとんど猟に出かけていた。140人のピーガン族が捕らえられたが、すぐに解放された。宿営地所有物破壊された彼らは亡命者となり、フォートベントン向かったが、多く凍死した大虐殺報告徐々に東部にも認知され連邦議会議員メディア憤慨させた。ウィリアム・シャーマン将軍殺害されたのはほとんどがマウンテン・チーフに率いられ戦士だと報告した政府の公式な調査行われず大虐殺があった場所を示す記念碑存在しないウンデット・ニーの虐殺サンドクリークの虐殺比較して、マライアスの大虐殺広く知られていないまである。しかし、ユリシーズ・グラント大統領陸軍インディアン事務局引き継ぐことを承認せず、インディアン事務局堕落食い止めるように提案したグラント大統領ネイティブアメリカンとの平和政策を遂行するために、多数クエーカー教徒インディアン事務局任命したクリー族アシニボイン族バッファロー減少苦しんでいた。1850年までにはバッファローもっぱらブラックフット領域だけにしか見られなくなっていた。それゆえ1870年アイアン同盟複数バンド戦闘始めることによって、獲物を見つけるための最後努力をした。彼らは天然痘弱体化したブラックフット倒し、ウープアップ砦近く宿営地襲撃することを期待した。しかし、レスブリッジ近く起きたベリー川の戦いでブラックフット敗れ300人以上の戦士死んだ。冬になると飢えのためにブラックフット交渉することを余儀なくされ、最終的かつ永続的な和平結ばれた連邦政府ブラックフット不利な影響与え法案通過させた。1874年連邦議会ブラックフットとの話し合いをせずに居留地境界変更することを投票決定したブラックフット失った土地代替地補償を受けることはなかった。カイナイ族、シクシカ族、ピーガン族はカナダへ移動し、南ピーガン族(ピクニ)だけがモンタナ州残った1883年から1884年にかけての冬は政府からの物資届かずバッファローもいなくなったため、「飢餓の冬」として知られるようになった。冬の間に600人のブラックフット餓死したネイティブアメリカンヨーロッパ系アメリカ人生活様式同化させる目的で、政府1898年部族政府廃止し伝統的な宗教慣習禁止したブラックフットの子どもたちはインディアン寄宿学校に入らされ、部族言葉を話すことも、慣習を守ることも、伝統的な衣装を着ることも禁止された。1907年居留地土地を各家庭の主へ割り当て部族共有地廃止して家族ごとに農業を営むことを奨励する政策連邦政府承認した。各家庭65ヘクタール農地受け取り部族必要な土地より余分な残り政府公表し開拓のため公売かけられた。割り当てられ土地は、不毛な平原農業をするにはあまりに狭すぎた。1919年干ばつでは穀物枯れ、牛の価格上昇した多くネイティブアメリカン割り当てられ土地売却することを強いられた1934年フランクリン・ルーズベルト政権インディアン再編成法を可決し土地割り当て中止し部族が彼ら自身政府選択することを許可したまた、部族文化を守ることも認められた。

※この「苦難」の解説は、「ブラックフット族」の解説の一部です。
「苦難」を含む「ブラックフット族」の記事については、「ブラックフット族」の概要を参照ください。

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苦難

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名詞

(くなん)

  1. 苦しみ難儀

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