徴用工も蒸し返す、韓国人の歴史観とは
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問われる「国のかたち」
こうした「歪曲」を「正す」ことが歴史の「進歩」なのであり、自分たちはその闘いを先導しているのだというのが、文政権の自負する「国家の正統性」である。不正な権力者を「我ら大韓国民」(大韓民国憲法前文)という主権者自らが放逐した「ろうそく革命」によって誕生した以上、大統領も国会も、代議機関はすべからく「民心」に従うべきであり、それこそが「国らしい国」を新たに築き直す礎になるというのである。
さらに、文大統領は「親日派は三代末まで栄えるが、独立有功者は当初より
現行の大韓民国憲法の前文には、「我ら大韓国民は3・1運動によって建立された大韓民国臨時政府の法統」を「継承」するとうたわれている。この規定は、民主化運動の熱気の中で1987年の改正時に初めて盛り込まれたが、「3・1運動の崇高な独立精神」という62年の改正以来の文言を、「三一運動によって大韓民国を建立」という48年の制定時の文言に近づけたものである。
どの国でも、憲法前文にはこうしたマニフェストや国としての「擬制」がうたわれるものだが、韓国の場合、それに裁判規範性が伴うのが特徴である。大法院が徴用工問題について、「日韓請求権協定によって個人請求権は放棄されていない」としたのも、「徴用(令)自体が日帝強占に直結し不法であるとする憲法に背理するため」である。
文大統領は、2018年6月に予定されている統一地方選挙に合わせて、憲法改正の国民投票を実施すると改めて表明した。「帝王的大統領制」に対する批判が朴前大統領に対する弾劾・罷免の過程で高まり、統治構造を改めなければならないという国民的コンセンサスができている。
米国のような4年2期の大統領制になるか、フランスや台湾のような「半大統領制」になるか、日本のような議院内閣制になるかはまだ分からないが、韓国という「国のかたち」が今まさに問われている。その中で、文政権は「1919年建国」を憲法前文に書き込み、2019年を「建国100年」として迎えようとしている。
「もはや無効」という賢慮は「もはや無効」?
韓国統治/「日帝強占」期の法的性格は、日韓両国が国交正常化交渉において最も激しく争った点である。日本は、正当か不当かはともかく、韓国併合条約(1910年)は合法的に締結され、少なくとも敗戦までは有効であったと主張した。韓国は、この期間は「日本という帝国主義勢力によって強制的に占領されていた」にすぎず、不当で不法、「そもそも無効(null and void ab initio)」であると反論した。
双方、論理的には決して折り合いがつかない固有の法的立場があったが、「もはや無効(already null and void)」(日韓基本条約第2条)という文言で政治的に決着を付けた。
日韓両政府とも、それぞれ自らに都合よく解釈して自国民に対して説明する一方で、相手国では全く異なる解釈や説明がなされていることを重々承知していた。それを二国間の外交交渉の場や第三国に対して問題にしないというのは、「互いの立場の違いを認め合おう(Let’s agree to disagree)」の典型である。
これを「賢慮」とするか、「野合」とするかは評価の問題だが、こうすることで初めて65年に日韓国交正常化が成立したのは厳然たる歴史的事実である。
それ以来、日韓関係はこの土台の上で双方の実践が積み重ねられてきた。2015年末の慰安婦合意も、日韓請求権協定で個人請求権が「完全かつ最終的に解決された」(第2条第1項)かどうかの評価には踏み込まず、日韓両政府が協力することで慰安婦問題が「最終的かつ不可逆的に解決される」ことを確認した。
くしくも、来年は、日韓両国が「過去を直視しつつも、相互理解と信頼に基づいた未来志向的な関係を発展させる」ことを誓った日韓パートナーシップ共同宣言(1998年)から20周年を迎える。「過去」と「未来」の間で現在、どのように釣り合いをとるのかは『歴史とは何か』(E・H・カー)に関わる問いだが、日韓の場合、45年以前だけでなく、65年以降の「過去」、特に90年代以降の河野談話やアジア女性基金などをどのように再評価するかによっても左右される。
日本政府も当時は、「日韓請求権協定では政府の外交保護権を相互に放棄したが、個人請求権が消滅したわけではない」(柳井俊二・外務省条約局長の参議院予算委員会における発言、91年8月27日)という見解を示したことがある。
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