見もの・読みもの日記

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双調平家物語の復習(おさらい)/院政の日本人(橋本治)

2013-09-01 21:56:10 | 読んだもの(書籍)
○橋本治『双調平家物語ノートII 院政の日本人』 講談社 2009.6

 今年の1~3月を読破に費やした『双調平家物語』16冊(中公文庫)は、「平家物語」の翻案としては、かなり独特のスタイルを持っている。その著者が、執筆の中で感じた疑問の数々は『権力の日本人』『院政の日本人』という2冊にまとめた、と記していたので、機会があれば読んでみたいと思っていた。たまたま本書を見つけたので、読んでみることにした。ノートIの『権力の日本人』は無かったが、IIから読み始めても問題ないだろうと判断した。

 全体としては『双調平家物語』の「おさらい」という感じで、特に新しい見解が述べられているわけではなかった。ただ、小説である『双調平家物語』は、小説としてのストーリーを前に進めていかなければならないので、突然、表舞台に出てくる人物の出自や姻戚関係をだらだら説明するわけにもいかず、文中に年表や系図を挟むわけにもいかない。地の文で著者の意見や解釈を述べるにも限度がある。なので、フィクションの楽しみよりも、この時代の「ひとつの解釈」を深く知りたいと思う読者には、本書をおすすめする。私自身は、本書もそれなりに楽しんで読んだが、血と砂埃の匂い、夜の闇の深さなど、小説『双調平家物語』の世界にひたる方が好みである。

 『双調平家物語』が、なぜか蘇我氏の時代から書き起こされていると同様に、本書の記述も、はるか古代の応神朝から始まる。そこで喝破されるのは「日本の無名な若者には、知恵と勇気でお姫様を手に入れ、新しい王様になりました」という夢を描く余地がない、という真実である。これ面白いな。王朝的な日本には「有能で無名な若者」の居場所がなく、有能な若者は、自分は「由緒正しい名門の生まれ」かもしれないという夢を見る。権力を手にした男たちは「娘を帝の后にして皇子を得、その皇子を天皇にする(天皇の舅となる)」ことを志向する。著者は、この志向が頼朝で消えることをもって「平安時代の終わり」と書いているが、いやいや徳川将軍家だって…。

 気になった箇所を適当に拾うと「絶対王政としての院政」というのも興味深い指摘だった。確かに白河法皇の時代は「フランス絶対王政の太陽王ルイ十四世に匹敵する」と思う。歴史の教科書がなかなかそこまで言わないのは、「院政」を「天皇制」の一時的な変種くらいに考える先入観を抜けきれないためではないだろうか。(白河)上皇は、平安時代中随一の「欲望を表明しうる人」となった。この「欲望」こそが、鎌倉時代を導き出す大いなる道標になったのだ、というのは、なかなか素敵な解釈だと思う。なお本書には「白河法皇の素晴らしい生涯」という年表あり(笑)。

 そういう白河法皇を祖父にもった鳥羽法皇は、万事に強引だった祖父への反動か、「上皇というものは、そんなに前に出るものではない(天下の中心は天皇と朝廷だ)」と考える人物だったという。ああ、なんとなく納得。あと「崇徳上皇は、気の強い人である」という端的な人物評も当たっていると思う。

 後白河法皇について、著者は「かなり早い段階で、平清盛という人物をわずらわしがっていた」と想像する。これにも同意。ただ、著者の描く清盛は、小説『双調平家物語』でもそうだったが、戦うことを知らない都の武士の一人で、全く凡庸な印象しか残らない。よくも悪くも、福原京遷都とか宋との貿易拡大とか、新しい事業に手をつけた歴史上の人物として、もう少し評価してあげてもいいんじゃないの?と私は思う。

 頼朝の挙兵以降、著者が注目する人物は木曽義仲である。小説を読んでいても、なんだか「通説」の義仲と描き方が違うなあ、と感じるところが折々あったが、「平家物語」以外の資料も突き合せて、けっこう大胆な(と思われる)解釈を施していることが分かって面白かった。義仲の存在は、鎌倉幕府の始祖・頼朝を脅かすものであったために『吾妻鏡』から活躍を消去されたのではないか。これを著者は「『吾妻鏡』の嫉妬」と呼ぶ。なるほどね。歴史の真実は簡単に手に入らないものだが、遠い歳月の向こうに想像を及ぼすのは楽しい。
コメント
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