見もの・読みもの日記

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もっと権利の主張を/若者のための政治マニュアル(山口二郎)

2013-09-05 21:44:16 | 読んだもの(書籍)
○山口二郎『若者のための政治マニュアル』(講談社現代新書) 講談社 2008.11

 8月13日に第3回『鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台』を聴きに行った。ゲストは山口二郎先生。このレポートは、つい書き逃してしまったが、大学の先生らしい、端正な講義だった。そして、なんとなく予想はしていたけど、山口先生が民主党の政策ブレーン(というか政治哲学ブレーン?)だったらしいことが分かった。そして、民主党政権の(特に対米政策に関する)失敗に対し、「あれほど稚拙とは…」と苦いものを思い出すようにおっしゃったのが印象的だった。

 さて、本書は「社会の荒廃で様々な被害を受けている若い人々に対して、政治のスキルを提示する」ことを目的に書かれたものである。きびきびとした文体で、平易で明快で、気持ちのいい本だ。政治の「スキル」と書いてあるけれど、目先の利益を手に入れるための「やりくち」ではなくて、政治の根本的な理念から説き起こされている。本当に手ごわい相手と渡り合うには、こちらに盤石の信念や理念が必要だからだ。

 政治の最も大事な目標は生命の尊重である。だから「あんなやつ(どんなやつでも)は死んで当然」という政治家は絶対に許さない、と著者は言う。戦争を肯定する政治家は無論。平和とは、単に戦争がない状態を意味するのではない。人間がモノとして扱われ、生きる希望を持てない社会を「平和な社会」と呼ぶことはできないのではないか。

 そこで必要なことは、政治参加と権利の主張である。権利(right)の主張と、特権(privilege)の要求は区別されなければならない。今までの日本の政治は、さまざまな特権が甘やかされる一方で、正当な権利が守られてこなかった。もっと自信を持ってわがままになり、みんなの権利が尊重される社会を作っていこう。

 著者の主張に私は共感する。だが、ちらっと確かめた奥付によれば、本書の刊行年は2008年で、当時の世論がどうだったか、正確には思い出せないのだけど、あれから5年、日本の社会は、ますます権利の主張がしにくくなり、生きる希望の持てない方向に進んでいると思う。

 では、猛々しい競争から、人間の尊厳を守ってくれる政治家はどこにいるのか。どうやって見つけ出せばいいのか。著者は、政治家の「言葉」への注目を促す。あやふやな言葉を使うやつを信用するな。ああ、その通りだ。でも、その見極めをつけるには、判断する側が、言葉に対する正しい感性を持たなければならない。空疎な言葉と実のある言葉を見分ける能力を持たなければならない。いまの国語教育は、その責務を果たしているのだろうか。屁理屈とこけおどしでディベートやプレゼンに勝つ能力の育成に、躍起になっているのではなかろうか。

 若者の政治的リテラシーが低いのも、政治への関心が薄いのも、実のところ、文科省の役人や文教族の政治家が、若者に政治に関心を持ってほしくないと思っているからではないか。これは、うがった見方のようで、なんとなく真相をついている気がした。それから、社会が抱える多くの問題から、政府が何を政策課題として取り上げるかという決定には、必ず「社会的偏見」が働くというフロー図も、当然のようで、新鮮だった。社会は不公正にできているのだ。だからこそ、権利は不断に主張し続けなけれなならない。

 最後に著者は、グローバル資本主義という病に冒された日本を変えるには、必ず世の中は変えられるという楽観的な進歩主義(理想主義)と、本当に世の中を変えるためには、一時の熱狂に踊らされず、策を慎重に練る保守主義(現実主義)が必要だと記す。民主党・鳩山政権の、あまりにも現実と乖離した、稚拙な失敗を経験した今、この箇所を読むのはつらい。でもまた、時代は巡ってくるだろう。「あとがき」には、著者に刺激を与えた若い知識人たちへの感謝が記されているが、その中に「今私の向かいの研究室にいる中島岳志君」の名前もある。

 本書に続いては、2013年8月に上梓されたばかりの著者の新刊も読んでみようと思っている。本書との間で、何が変わり、何が変わっていないのかを確かめながら。

コメント (1)
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