ジャンルとして確立しているのかどうかは知らないけど、僕の中で「罵倒系」のブログというものがあります。
批判系に近いのですが、より負のベクトルが強く、なおかつ、ブログ主に批判先との歩み寄りの姿勢を感じないもので、語気を荒さによるインパクトがあるものが多いです。
高度な文章力と運営能力があると、ある種のエンタテイメントになって、面白くなる可能性を秘めているのですが、残念ながら、僕が罵倒系のブログと思うものの中で面白いと思うのは、真性引き篭もりしかありません。
罵倒系のブログ(ブログ全体でも、記事単位でも)って、素人が手を出すようなものじゃないと思うんですよ。
ここで、その罵倒系とはどうして発生するのか考えてみました。
さっとこんな感じです。
エンタテイメント化を図る場合を除くと、ブログとしては、あまり望ましいものではないと思います。
それでも罵倒系で行きたい、という人のために指針になれば良いなと思い、罵倒系ブログを行う際に注意したほうが良いことをいくつか考えてみました。
読み手の多くがエンタテイメントとして受け入れてくれるものであれば、別段問題はないでしょう。
ただし、罵倒系をエンタテイメントにまで昇華させるのは、非常に難しいものです。
誰か(あるいは、何か)に対してネガティブに評論すると、少なからず相手に嫌悪感を与えるものです。言っている事が正論で、相手(或いは相手側の読者)に「なんかムカツクけど、あいつの言っている通りだしなぁ」と思わせることが出来たら、それは大成功だと思うのですが、大多数に「ただウザイだけ」と思われるのであれば、読み物としての完成度が低いのです。
テレビに出ているお笑いタレントにも、罵倒系と称される人がいますけど、彼等の場合、理不尽な逆ギレや、大げさなアクション、あるいは過剰に頭の悪さを演出する事で、しっかりとキャラクターを作り出し、周りの者からツッコミを入れやすいようなパターンを作っています。
罵倒系の記事を書く人が、読者からの突っ込む余地を与えないのなら、これはただの幼稚なストレス発散の場になってしまう危険性が大。まさにチラシの裏というやつで、読む人には不快以外のなにものでもないのです。
真性引き篭もりのhankakueisuuさんは、記事の中でさんざんある事象をなじっておきながら、最後にそれを自分が行う事で、オチとして成立していることが多いから、不快感を感じないのです。
読者にツッコミどころを残しておく事で、エンタテイメントになっているのです。
罵倒系を書き続けるのなら、それをネタとして理解してもらう為に、コロコロと自分のキャラを変えてはいけません。
ブログは記事単位で読まれるもの、ということで、記事毎に違う自分を演出するのは良いのですが、一つの記事で人間性が変化すると、書いてあることに説得力がなくなります。
何かを罵倒する記事を書いたとき、その罵倒が「ある層」に対しては、納得させる力を持っていた場合、コメント欄には、その考えに賛成する人と、反対する人が出てきます。これはよくある話。
で、反対のコメントには、記事のスタイルと同様に、烈火の如く怒りのパワーを振りまき、口汚い言葉を浴びせるのですが、これはまぁ「そういうキャラ」を演じているのであれば、分からなくもないことです。
ところが賛成のコメントには、いたって紳士的に振舞い、むやみに低姿勢だったりする事があったりします。
これでは、せっかく作り上げた罵倒系キャラが台無し。
見る人には「なんだ、こいつ、ただ‘気にいらないものを排除したい’という我侭なだけじゃん」と思われることでしょう。
こうならないためには、
個人的にはhankakueisuuさんのように、「コメント欄には顔を出さない」のがベストだと思います。
そうした罵倒系の人のブログにも、きっと何人かの「常連さん」がいることでしょう。
もしかしたら、相互にコメントをつけあっているのかもしれません。
しかし、上で書いたように、罵倒系はキャラを維持することが大切だと思います。相互訪問先のコメント欄で、妙に馴れ合っている場合は、やはりキャラクター作りに失敗していると言えるでしょう。
それでも、この場合は、キャラ作りに失敗しているだけで、たいした迷惑をかけているわけではありません。自分のブログの面白さを損ねてしまっているだけです。
これが、「キャラクターの維持」に執着して、相互理解の無いブログに対してまで、出張って歩いては、いささか問題アリ。
気にいらない相手の所に、罵倒系キャラのまま参上して粘着的にコメントを残していけば、これはもう、ただの荒らしです。
中には荒らされる側にも、若干の問題がある場合もありますが、その不快感を表す為に自分のブログ内でのキャラクターをそのまま他人のブログに持ち込む行為を、正当化できるものではありません。
どうしてもそのキャラのまま文句を言いたいのなら、トラックバックを用いて行うべきでしょう。
ただし、その内容があまりに馬鹿げている場合、誰も相手にしてくれない事は明白ですけど。
これが一番大事なんじゃないかと思いますが、結構多いのです、「自分はさんざん人を罵るくせに、自分が同じように罵られたら、途端に中傷誹謗扱いする人」
他人を罵る、ということは感情的な問題が発生しやすく、たとえそこで罵られている本人でなくとも、コメント欄で反論する際、相手と同じ口調になってしまう事が多いものです。
それが是か非かというと、あまり是ではないとは思うものの、仮にそうなってしまった場合、罵倒系の記事を書く運営者が、コメント欄で更なる罵倒で「罵倒コメントがつけられた事」を批判するレスを入れると、途端にオコチャマ度がアップします。これは要するに「俺は他人を批判するけれど、俺の事は批判をするな」と同じですね。
人気ブログに対してトラックバックなどを送りつつ、相手を罵倒しつづけると、結構なアクセス数を稼ぐことが出来ます。
相手のブログのアクセス数が多い場合、その中にはたいてい、そのブログアンチが含まれているので、援護射撃をしてくれる場合もあります。そういうアンチをうまく取り入れ、場合によってはタッグを組んで相手を煽り、一気にアクセス数を増やす事も出来なくはありません。
実際、アクセスアップ法を謳うブログの中には、それを最終手段として勧める所すらあります。
しかし、多くの場合、その方法では結局自滅してしまうようです。安定した人気ブログには何故読者が多いのかを考えれば、すぐに分かるはずなのですが、やはりそうしたブログには支持者が多いのです。
その罵倒によって、そこの支持者をも見方に付けられるような、見事な論理展開で喧嘩を売れば、もしかしたら読者を引き入れて、立場を逆転する事もできるかもしれませんが、恐らくは「バカ・キモイ・イタイ」の類義語を並べているだけの文章では、もともとそのブログを嫌っていたアンチ君を見つける事ができるくらいで、たいした収穫はありません。
そればかりか、人気ブログに喧嘩を売る事でアクセスランキングの上位を狙ったと思われてしまうかもしれません。
もし、自分が正義と信じて、人気ブログに罵声記事からのトラックバックを送る場合でも、アクセス厨とうたがわれない為に、ブログランキングなどには登録せず、また、訪問者数を示すカウンターなどの設置もしない事をお勧めします。
昨年の春、僕がこのブログを始めた直後、ある面白い罵倒系ブログがありました。
そのブログは、livedoorブログに存在した某ブログ。
ある対象を徹底的にこき下ろし、罵声の限りを尽くすのですが、それなりに筋が通っており、愛読していました。しかし、やがてこのブログは批難を浴びて更新停止、閉鎖に至ります。
それは、後に「やってはいけない罵倒」を繰り返したから。
その対象が何であったのか、ちょっと記憶には無いのですが、確かに「その罵倒は人としてどうよ?」と思うようなものであったはずです。
容姿などの身体的特徴、あるいは生まれついてのしょう害や、事故による後遺症を嘲笑うような罵倒は、もっとも「やってはいけない」ものでしょう。
批判系に近いのですが、より負のベクトルが強く、なおかつ、ブログ主に批判先との歩み寄りの姿勢を感じないもので、語気を荒さによるインパクトがあるものが多いです。
高度な文章力と運営能力があると、ある種のエンタテイメントになって、面白くなる可能性を秘めているのですが、残念ながら、僕が罵倒系のブログと思うものの中で面白いと思うのは、真性引き篭もりしかありません。
罵倒系のブログ(ブログ全体でも、記事単位でも)って、素人が手を出すようなものじゃないと思うんですよ。
ここで、その罵倒系とはどうして発生するのか考えてみました。
- ただの批判だとインパクトがない、罵倒することでエンタテイメント化を図る
- 仲間内で形成されるコミュニティのスタイル
- ただ単に罵倒相手が嫌いなだけ
- コミュニケーション能力の著しい欠如
さっとこんな感じです。
エンタテイメント化を図る場合を除くと、ブログとしては、あまり望ましいものではないと思います。
それでも罵倒系で行きたい、という人のために指針になれば良いなと思い、罵倒系ブログを行う際に注意したほうが良いことをいくつか考えてみました。
ツッコミ所を残しておく。
読み手の多くがエンタテイメントとして受け入れてくれるものであれば、別段問題はないでしょう。
ただし、罵倒系をエンタテイメントにまで昇華させるのは、非常に難しいものです。
誰か(あるいは、何か)に対してネガティブに評論すると、少なからず相手に嫌悪感を与えるものです。言っている事が正論で、相手(或いは相手側の読者)に「なんかムカツクけど、あいつの言っている通りだしなぁ」と思わせることが出来たら、それは大成功だと思うのですが、大多数に「ただウザイだけ」と思われるのであれば、読み物としての完成度が低いのです。
テレビに出ているお笑いタレントにも、罵倒系と称される人がいますけど、彼等の場合、理不尽な逆ギレや、大げさなアクション、あるいは過剰に頭の悪さを演出する事で、しっかりとキャラクターを作り出し、周りの者からツッコミを入れやすいようなパターンを作っています。
罵倒系の記事を書く人が、読者からの突っ込む余地を与えないのなら、これはただの幼稚なストレス発散の場になってしまう危険性が大。まさにチラシの裏というやつで、読む人には不快以外のなにものでもないのです。
真性引き篭もりのhankakueisuuさんは、記事の中でさんざんある事象をなじっておきながら、最後にそれを自分が行う事で、オチとして成立していることが多いから、不快感を感じないのです。
読者にツッコミどころを残しておく事で、エンタテイメントになっているのです。
キャラクターを大切に
罵倒系を書き続けるのなら、それをネタとして理解してもらう為に、コロコロと自分のキャラを変えてはいけません。
ブログは記事単位で読まれるもの、ということで、記事毎に違う自分を演出するのは良いのですが、一つの記事で人間性が変化すると、書いてあることに説得力がなくなります。
何かを罵倒する記事を書いたとき、その罵倒が「ある層」に対しては、納得させる力を持っていた場合、コメント欄には、その考えに賛成する人と、反対する人が出てきます。これはよくある話。
で、反対のコメントには、記事のスタイルと同様に、烈火の如く怒りのパワーを振りまき、口汚い言葉を浴びせるのですが、これはまぁ「そういうキャラ」を演じているのであれば、分からなくもないことです。
ところが賛成のコメントには、いたって紳士的に振舞い、むやみに低姿勢だったりする事があったりします。
これでは、せっかく作り上げた罵倒系キャラが台無し。
見る人には「なんだ、こいつ、ただ‘気にいらないものを排除したい’という我侭なだけじゃん」と思われることでしょう。
こうならないためには、
- コメント欄には顔を出さない
- 実は低姿勢キャラである事をアピールし、どのコメントにも「ははぁ、仰るとおりでございます」で通す
- 反対に、賛成意見の者に対しても罵声を浴びせる事で、キャラの統一性を図る。「媚売っているんじゃねぇよ、キモイよ」などと返すと、効果的
個人的にはhankakueisuuさんのように、「コメント欄には顔を出さない」のがベストだと思います。
むやみに出歩かない
そうした罵倒系の人のブログにも、きっと何人かの「常連さん」がいることでしょう。
もしかしたら、相互にコメントをつけあっているのかもしれません。
しかし、上で書いたように、罵倒系はキャラを維持することが大切だと思います。相互訪問先のコメント欄で、妙に馴れ合っている場合は、やはりキャラクター作りに失敗していると言えるでしょう。
それでも、この場合は、キャラ作りに失敗しているだけで、たいした迷惑をかけているわけではありません。自分のブログの面白さを損ねてしまっているだけです。
これが、「キャラクターの維持」に執着して、相互理解の無いブログに対してまで、出張って歩いては、いささか問題アリ。
気にいらない相手の所に、罵倒系キャラのまま参上して粘着的にコメントを残していけば、これはもう、ただの荒らしです。
中には荒らされる側にも、若干の問題がある場合もありますが、その不快感を表す為に自分のブログ内でのキャラクターをそのまま他人のブログに持ち込む行為を、正当化できるものではありません。
どうしてもそのキャラのまま文句を言いたいのなら、トラックバックを用いて行うべきでしょう。
ただし、その内容があまりに馬鹿げている場合、誰も相手にしてくれない事は明白ですけど。
自分が罵倒しているのだから、相手から罵倒されることも認める
これが一番大事なんじゃないかと思いますが、結構多いのです、「自分はさんざん人を罵るくせに、自分が同じように罵られたら、途端に中傷誹謗扱いする人」
他人を罵る、ということは感情的な問題が発生しやすく、たとえそこで罵られている本人でなくとも、コメント欄で反論する際、相手と同じ口調になってしまう事が多いものです。
それが是か非かというと、あまり是ではないとは思うものの、仮にそうなってしまった場合、罵倒系の記事を書く運営者が、コメント欄で更なる罵倒で「罵倒コメントがつけられた事」を批判するレスを入れると、途端にオコチャマ度がアップします。これは要するに「俺は他人を批判するけれど、俺の事は批判をするな」と同じですね。
ランキングには参加するな
人気ブログに対してトラックバックなどを送りつつ、相手を罵倒しつづけると、結構なアクセス数を稼ぐことが出来ます。
相手のブログのアクセス数が多い場合、その中にはたいてい、そのブログアンチが含まれているので、援護射撃をしてくれる場合もあります。そういうアンチをうまく取り入れ、場合によってはタッグを組んで相手を煽り、一気にアクセス数を増やす事も出来なくはありません。
実際、アクセスアップ法を謳うブログの中には、それを最終手段として勧める所すらあります。
しかし、多くの場合、その方法では結局自滅してしまうようです。安定した人気ブログには何故読者が多いのかを考えれば、すぐに分かるはずなのですが、やはりそうしたブログには支持者が多いのです。
その罵倒によって、そこの支持者をも見方に付けられるような、見事な論理展開で喧嘩を売れば、もしかしたら読者を引き入れて、立場を逆転する事もできるかもしれませんが、恐らくは「バカ・キモイ・イタイ」の類義語を並べているだけの文章では、もともとそのブログを嫌っていたアンチ君を見つける事ができるくらいで、たいした収穫はありません。
そればかりか、人気ブログに喧嘩を売る事でアクセスランキングの上位を狙ったと思われてしまうかもしれません。
もし、自分が正義と信じて、人気ブログに罵声記事からのトラックバックを送る場合でも、アクセス厨とうたがわれない為に、ブログランキングなどには登録せず、また、訪問者数を示すカウンターなどの設置もしない事をお勧めします。
罵倒しちゃいけないものもある
昨年の春、僕がこのブログを始めた直後、ある面白い罵倒系ブログがありました。
そのブログは、livedoorブログに存在した某ブログ。
ある対象を徹底的にこき下ろし、罵声の限りを尽くすのですが、それなりに筋が通っており、愛読していました。しかし、やがてこのブログは批難を浴びて更新停止、閉鎖に至ります。
それは、後に「やってはいけない罵倒」を繰り返したから。
その対象が何であったのか、ちょっと記憶には無いのですが、確かに「その罵倒は人としてどうよ?」と思うようなものであったはずです。
容姿などの身体的特徴、あるいは生まれついてのしょう害や、事故による後遺症を嘲笑うような罵倒は、もっとも「やってはいけない」ものでしょう。