漫画家アシスタントの馬鹿人生40年と、リタイア後のタイ移住生活。
( この写真は、1969年当時、Jプロが入っていたマンションの表玄関です。この奥に狭くて暗い階段があり、それを上っ
た3階にJ先生の部屋がありました・・・・・・《 2014年、5月、撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その23
《 漫画家アシスタントが・・・・蒸気爆発する・・・・!? 》
J先生( ※参照 )から弟子入りを許された加川さん( ※参照 )は、その翌日から漫画家アシスタントと
して、先生のマンションへ通う様になります・・・・・
仕事場は、新宿区中落合3丁目にある小さなマンションの一室( 3畳ほど )。先生は、隣の6畳の部屋
を仕事場にしていました。
加川さんより数週間ほど前にアシスタントに成っていたのが、16歳のK君( ※参照 )と17歳の仲田さ
ん( 仮名※参照 )の二人。
加川さんが19歳ですから、新入りとはいえ、彼が最年長者という事になります・・・・・・先生の
歳が26歳ですから、Jプロの平均年齢が19.5歳・・・・・美しいほどの若さです!( 1969年当時 )
ちなみに、現在( 2014年、スタッフ2名と先生 )の平均年齢が62歳ですから、当時は、信じられない
ほど若々しい職場だったわけです!
・・・・・・・・と言いますか・・・・・・・現在の方が歳を取り過ぎていると言った方が良いの
でしょう。
先日、加川さんと、45年前に17歳だった仲田さん( 現在は私より年上の61歳!)と中落合辺りをブラ
ブラと散歩したのですが、すっかり白髪頭になって歩く今の姿から、45年前の10代の青年を想像す
るのは困難を極めます・・・・・・・・。
さて、45年前に話を戻しましょう・・・・・
先生の仕事場とフスマを一枚隔てただけの仕事場で3人のアシスタントがせっせと背景を描きます。
フスマのすき間から先生が人物を入れた原稿をス~~と差し出すと、スタッフの一人がそれを受け
取って、背景を入れるという手順になります。
年長者とは言っても加川さんは一番後輩ですから、仲田さんの指示通りに仕事をします。
前に○森プロ( ※参照 )を夜逃げしていますから、Jプロでの初日は、緊張感と新鮮な気持ちで一杯だ
ったわけです。
ところが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「 何だよ・・・・・? 」
やけに陰気な小声が加川さんの耳に届きます・・・・・・・・
「 何だよ、それは・・・・・!? 」
驚いて前を見ると・・・・・・・17歳の仲田さんが、年下のK君の原稿を見ながら注意しているの
です・・・・・・・
長身( 180㎝以上 )で髪の毛の長い仲田さんは、クールでキリッとした印象、その冷めた眼と大柄な
体格には圧力があります。
まだ幼い表情の16歳のK君は、黙ってうつ向いたままです・・・・・・・・
その彼に、仲田さんは容赦しません・・・・・・・・ブツブツと陰気な声で絵について注意し続け
るのです・・・・・・・・・
19歳の加川さんから見れば、16歳のK君はまるで子供も同然です・・・・・・それが、痛ましい姿
に見えたのも当然だったかも知れません。
この時、加川さんが以前勤めていた○森プロで、先輩から毎日文句を言われ続けた屈辱が蘇って・・
・・・・血が逆流する様な思いに捉われます・・・・・・・・・・
瞬間的に沸騰したお湯が蒸気爆発する様に・・・・・・・・・
「 ふざけんなよ、コノヤロウッ! 」
思わずカッとなってしまった加川さんが仲田さんに食って掛かります。
「 てめェ、細けェ~ことグチャグチャ言ってんじゃね~~よッ! 」
驚いて茫然とする仲田さんに、反撃を許さぬ強烈な一撃を加えます・・・・・・
「 ネチネチ、いじめてんじゃね~~ぞぉおおッ! 」
突然、緊張状態に突入した仕事場に加川さんの罵声だけが響きます・・・・・・
「 てめェ、キンタマついてのかよッ! 」
・・・・・・・・・しばらくの沈黙の後に・・・・・・・・・( 初日から仕事どころじゃない! )
「 漫画家アシスタント 古い話で章 その24 」( 6月1日以降公開 )
★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その22」へ戻る 】
【 ※参照 】
・J先生・・・・・・・・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊
連載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2014年現在、71歳。1969年当時は26歳。
・加川さん・・・・・・・・・・・(仮名)中学卒業後、職業を転々としながら漫画家アシスタントに成る。
1969年にJ先生に師事。1978年に少年キングで連載を得て独立。1984年別冊漫画ゴラク連載。
・K君・・・・・・・・・・・・・・1969年当時、16歳、神戸出身、中学を出て東京で就職後、Jプロ
へ入る。
・仲田さん・・・・・・・・・1969年当時、17歳、横浜出身、高校を中退、職を変えながらJプロへ入る。
・○森プロ・・・・・・・・・・漫画界の大御所と言われた○ノ森章太郎先生の仕事場。1968年当時は
「幻魔大戦」などを制作していた。
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した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」
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【 各章案内 】 「第1章 改訂版」 「第2章 改訂版」 「第3章 改訂版」
「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
( この写真は、40年以上前にJ先生の仕事場があったマンションの内部です。階段も廊下も狭く、おまけにほとんど
日も差さないので薄暗く、ちょっと気味が悪いのですが、当時としては、「近代的」で「モダン」なマンションだ
ったのです。 ちなみに、写真中央のドアが先生の部屋『301』でした・・・・・・《 2014年、5月、撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その22
《 漫画家アシスタントが・・・・電話を待ち続ける・・・・!? 》
「 ここに名前を書け・・・・・ 」
J先生( ※参照 )は、そう言ってアシスタント希望者リストの下を示しました。
沢山の名前と住所が並んだ、その一番下に自分の名前と住所を記入しながら、加川さん( ※参照 )は
思います・・・・・・・
『 こんなに沢山の希望者がいるなんて・・・・・こりゃダメかもしれない・・・・・・! 』
先生の奥さんが笑顔で運んでくれた二杯目のコーラを緊張感と共に飲み干します。
「 困ったよなァ・・・・・アシスタントに成りたいって奴が沢山いてよォ・・・・・・ 」
「 ・・・・・・・・・・・・・ 」( 汗 )
「 ま・・・・・2,3日したら、連絡すっからよ、もし、無ければ諦てくれィ 」
前に勤めていた○森プロ( ※参照 )の経験からして、簡単にアシスタントに成れると考えていた加川
さんにとって、J先生は不可解な人物でした。
どうなるのか、さっぱり見当もつかないまま先生のマンションを後にします。
毎日、毎日、先生からの電話を待つ日々・・・・・・・・( 今度は、母親に見られない様にハガキ
ではなく電話で連絡を待っている )
2,3日で来るかと思っていたのに、一週間経っても電話がありません・・・・・・・・
『 こりゃ・・・・・・・やっぱり、ダメだったかな・・・・・・・・ 』
そう諦めようかとも思ったのですが・・・・・・・・・どうしても、諦めきれずにこちらから電話
をしてみる事にしました。
「 もしもし・・・・・・・加川ですが・・・・・・・・・ 」
J先生は、例の低い声で・・・・・・・・( 静かなのですが、迫力があります )
「 う・・・・・・・・おめィ~か 」
不安と緊張で受話器を持つ手はビチョビチョです・・・・・・・・・・
「 ・・・・・・仕事の・・・・・・事なんですが・・・・・・・ 」
「 待ってたぜ 」
「 ・・・・・・・・・! 」
「 明日からな 」
「 は・・・・・はいッ! 」
J先生は、他の先生とちょっと違っていて技術的な事でアシスタントの採用不採用を決めるのでは
なく、その本人の切迫感によって決める事が多いのです。
どれほど高い技術を持っていても、「 なんとなく 」とか「 アルバイト感覚で 」とかいった動機の
「 薄い 」人を雇う事はありませんでした。
「 あの時、電話をしなかったら・・・・・・ 」
加川さんは、当時を振り返りながら・・・・・・あたかも通って来た崖っぷちを振り返る様に話し
ます。
「 それで、終わっていただろう・・・・・・ 」
19歳の加川さんの新しいアシスタント生活が始まります。
9年後に連載漫画を得て独立するまで、J先生のアシスタントを勤めることになるのです・・・・。
ちなみに、先ほどの「アシスタント希望者リスト」ですが、あれはやっぱりJ先生の「 見栄 」( 創
作物 )だった様です・・・・・・・・・ホントに、何を考えているんだか分からない先生なのです。
「 漫画家アシスタント 古い話で章 その23 」( 5月20日以降公開 ) へつづく・・・・
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【 ※参照 】
・J先生・・・・・・・・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には
週刊連載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2013年現在、70歳。1969年当時は26歳。
・加川さん・・・・・・・・・・・中学卒業後、職業を転々としながら漫画家アシスタントに成る。
1969年にJ先生に師事。1978年に少年キングで連載を得て独立。1984年別冊漫画ゴラク連載。
・○森プロ・・・・・・・・・・漫画界の大御所と言われた○ノ森章太郎先生の仕事場。1968年当時は
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「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
( この写真は、池袋から仕事場のJプロへ向かう途中にある公園を撮影したものです。 一月前の満開の桜が一面の
新緑に変わりました。・・・・・・《 2014年、5月、撮影 》 )
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その21
《 漫画家アシスタントが・・・・コーラに驚いた・・・・!? 》
漫画家アシスタントに成ろうとする時に、大抵の人は、自分の画力と漫画家の背景画の難易度を計算
するものです。
『 俺には、こんな背景画は描けないなァ 』
・・・・・と、思えば諦めるし、加川さん( ※参照 )の様に・・・・・
『 この漫画家( J先生 )なら、俺でも楽に仕事が出来そうだなァ 』
・・・・・と、思えば気楽に漫画家の門を叩くことが出来ます。
徹夜の連続が嫌で○森プロ( ※参照 )を逃げ出していた加川さんにとって、Jプロ( ※参照 )のギャグ調
の作風は背景画として安易なものに見えたのでしょう。
また、事実、かなりいい加減な背景でもありました。
建物や室内、さらには主人公が乗っている自動車さえも、前のページと繋がらない様な( 前のページ
と違う自動車を描いてしまう )読者をなめ切った様な絵も多々ありました。
もっとも、背景画自体のクオリティーをJ先生( ※参照 )は、ほとんどチェックしないで通していたの
ですから、他の作家には無いクソ度胸があったと言えるかと思います。
「 明るくな! 」
私は、23歳でJプロに入りましたが、10年位の間に数回そんな風に言われましたが、背景画について
の細かい指示を受けた事はありませんでした・・・・・・今から考えても不思議ですが、本当です・
・・・・・・・。
背景画に対する指示は、ただ一言・・・・・
「 明るくな! 」
私の絵がよほど暗かったからかも知れませんが・・・・・・・・・!
さて、話を加川さんに戻しましょう・・・・・・
1969年の春、加川さんは、アシスタント希望者としてJ先生の仕事場を訪ねます・・・・・・・・
東京都新宿区下落合3丁目にある4階建ての小さなマンション( 当時としては中クラス )へ・・・・・・
マンションの玄関は薄暗く、階段も狭く窓もないので大変暗いわけです( 写真がありますので、次回、
公開したいと思います )。
各フロアには3世帯分のドアがあるのですが、とにかく小さいのです。廊下自体が畳で2枚分位しかあ
りません。
J先生の部屋は『 301 』・・・・・
加川さんにとってのマンションは「 高級 」なイメージ、さらに先生の部屋のドア前にはコーラの箱
( 20本ケース )が3段重ねて置かれています。
そのコーラの量を見て・・・・・
『 売れっ子漫画家は違うなァ・・・・やっぱり凄いや! 』
・・・・・と、思いながらドアの呼び鈴を押します・・・・・・・・
競馬好きの加川さんは、耳には赤鉛筆、手には競馬新聞という風体で室内に案内されます。
かなり世間ずれしているというか、なめ切っているというか・・・・・・・・
『 イ~加減な野郎だなこいつ・・・・ 』
・・・・・などと先生に思われたかどうかは、定かではありませんが・・・・・・・・
応接ソファに座ると、J先生の奥さんがさっそく冷たいコーラを出してくれました。
テーブルの上には、二つのグラスに先生用と加川さん用のコーラが置かれています・・・・・・・
奥さんがニコニコしながら台所へ戻ると・・・・・・・・J先生は突然、加川さんのコーラに手を伸
ばします・・・・・・
「 あっ!? 」
J先生は、茫然とする加川さんを無視して、そのコーラをゴクゴクと一気飲みしてしまいます。
そして、空のグラスを加川さんの手元に置くと・・・・・
「 おい、こいつったら、も~飲んじゃったぜ! 」
「 ! 」
目を丸くしたまま動けない加川さんをニヤリと見ながら・・・・・・・
「 ズ~ズ~シ~野郎だよなァ~~! 」
加川さんは、先生と空になった自分のコップに視線を行き来させながら・・・・・
『 何て人なんだ! この人は! 』
しばらくすると、J先生は一冊のノートを差し出します・・・・・・・
「 アシスタント希望者リスト 」
何やらたくさん名前や住所の記されたノートを目の前に置かれたのです・・・・・・・・
「 漫画家アシスタント 古い話で章 その22 」( 5月10日以降公開 ) へつづく・・・・
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【 ※参照 】
・加川さん・・・・・・・・・・・中学卒業後、職業を転々としながら漫画家アシスタントに成る。
1969年にJ先生に師事。1978年に少年キングで連載を得て独立。1984年別冊漫画ゴラク連載。
・○森プロ・・・・・・・・・・漫画界の大御所と言われた○ノ森章太郎先生の仕事場。1968年当時は
「幻魔大戦」などを制作していた。
・Jプロ・・・・・・・・漫画家J先生の仕事場。東京目白にあり、スタッフは現在2人。連載は1誌。
ちょっと淋しい今日この頃です。(バブル期には連載6誌、スタッフ6人)
・J先生・・・・・・・・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には
週刊連載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2013年現在、70歳。1969年当時は26歳。
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