「となりのトトロ」が昨日、金曜日にスウェーデンで封切となった。トトロといえば1988年作。宮崎駿の映画がスウェーデンへ入ってきたのは、オスカー賞受賞で世界的に有名になった「千と千尋の神隠し」が2003年に上映されたのが初めてで、その後「ハウルの動く城」が続く。これらのアニメ映画がスウェーデンでもヒットしたために、スウェーデンの配給会社は宮崎駿の過去の作品も徐々に(年一本ペースで)公開していく予定らしい。
スウェーデンでは新聞や雑誌が、新しい映画の公開に先駆けて映画批評を書き、だいたい1~5で採点するが「トトロ」は平均4.6も獲得している(だいたい4以上を獲得する映画は上出来)。スウェーデン語のタイトルは「Min granne Totoro」。私の隣人トトロ、もしくは、近くに住んでいるトトロ、といったところか。
宮崎駿のアニメがどうしてそこまでウケるのかというと、同じアニメとは言ってもディズニー映画とは全く違うタッチなので、新鮮に受け止められるのらしい。良い者と悪者がハッキリしていて勧善懲悪的なテーマを扱うディズニーに対して、宮崎駿の映画の場合は、より複雑で、良い者・悪者の区別がはっきりせず、敵にもそれなりの論理といいところがある、というアンビバレントさが特徴だという。
それから、もう一つは独特のファンタジー世界。ある批評家はこう端的に書いている。
“Något stimmar till och skingras blixtsnabbt när man öppnar en dörr som länge varit stängd. Inte damm, utan ett levande, förtätat mörker. Sådant kan …Hayao Miyazaki …. ge ansikte och namn.”
「長いあいだ閉じられていた扉を開けたとき、何か物音がして、すばやく消え去る。埃ではなく、何か命を持った、凝縮した暗闇。宮崎駿はそのようなものに顔かたちと名前を与えてくれる。」
即物的なものと相対する形而上的なもの。ありふれた日常に隠れた、ふとした神秘的なもの。幼い時に抱いた夢の世界に対するノスタルジー(それとも、メランコリー?)。彼の映画の中に、水で覆われた世界が描かれていたり、その中を一本の鉄道が走っているようなシーンがあったと思うけれど、あのような心象世界は誰でも描けるものではないのかもしれない。
さらには、彼が大きなテーマとしてアニメの中で扱っている「技術・自然・人間」の関係についても大きな関心が寄せられている。
スウェーデンでは新聞や雑誌が、新しい映画の公開に先駆けて映画批評を書き、だいたい1~5で採点するが「トトロ」は平均4.6も獲得している(だいたい4以上を獲得する映画は上出来)。スウェーデン語のタイトルは「Min granne Totoro」。私の隣人トトロ、もしくは、近くに住んでいるトトロ、といったところか。
宮崎駿のアニメがどうしてそこまでウケるのかというと、同じアニメとは言ってもディズニー映画とは全く違うタッチなので、新鮮に受け止められるのらしい。良い者と悪者がハッキリしていて勧善懲悪的なテーマを扱うディズニーに対して、宮崎駿の映画の場合は、より複雑で、良い者・悪者の区別がはっきりせず、敵にもそれなりの論理といいところがある、というアンビバレントさが特徴だという。
それから、もう一つは独特のファンタジー世界。ある批評家はこう端的に書いている。
“Något stimmar till och skingras blixtsnabbt när man öppnar en dörr som länge varit stängd. Inte damm, utan ett levande, förtätat mörker. Sådant kan …Hayao Miyazaki …. ge ansikte och namn.”
「長いあいだ閉じられていた扉を開けたとき、何か物音がして、すばやく消え去る。埃ではなく、何か命を持った、凝縮した暗闇。宮崎駿はそのようなものに顔かたちと名前を与えてくれる。」
即物的なものと相対する形而上的なもの。ありふれた日常に隠れた、ふとした神秘的なもの。幼い時に抱いた夢の世界に対するノスタルジー(それとも、メランコリー?)。彼の映画の中に、水で覆われた世界が描かれていたり、その中を一本の鉄道が走っているようなシーンがあったと思うけれど、あのような心象世界は誰でも描けるものではないのかもしれない。
さらには、彼が大きなテーマとしてアニメの中で扱っている「技術・自然・人間」の関係についても大きな関心が寄せられている。