いくつかの長ったらしい病名と薬を与えられて、
二十と数年の人生に判子が捺された。
薬を飲むと、ぼんやりとする。
思考は奪われ、やる気も起きず、
加えて、嘔吐感。
それがまた私を不安にさせて、夜に眠れなくなる。
いや、そんなことはどうでもいいのだ。
動機もするし涙も出るし、不眠にもなる。
人生だ。
これまで積み重ねてきたはずの人生が、
重く重くのしかかっているのだ。
そういうことができない子どもだった。
他人が悲しんでいる時に、
なぜ悲しんでいるのかわからない。
泣いているというステータスを人に見せつけて、
誇張無く、嘘偽り無く、
ということを、精神科医と話して初めて知った。
そして言われたのが
「それは普通じゃ無いんですよ」
という類の言葉だった。
他にもいろいろなことを話し、
いくつもの違いを指摘された。
そしてその後語られた症例が、
その時に初めて知った。
そう、知ったのだ。
この時は知っただけで、まだ何も考えられなかった。
それからとりあえず
「いい薬があるから」
私のこれまでの人生はなんだったんだろう、と。
私は熱に浮かされたような状況だったから、
まともに何かを考えることは、当然できていなかった。
そしてそれは治療できるというのだ!
なんと素晴らしいことだろう!
そう考えていた矢先、ふと、思ってしまった。
私のこれまでの人生はなんだったんだろう。
それを薬を飲むことで治療できるとして。
その先にある、正常な私は、
これまでの人生を歩んできた私と同一なのか。
それを裏切らないように、生きてきた。
行動は全てそれに準じている。
それは私のアイデンティティであり、
でも、これまでの話を総合すると、
病気によって生じた柱をもとに、二十数年を歩んできたのだ。
これまでの人生は、案外悪くなかった。
親とは不仲だし、顔を合わせたくもないし、
そんなことはどうでもいいくらいには、
親との不仲も、いじめの原因も、
結局は病気由来だったことも判明したのだけれど、
それを含めても、まあ、歩いてきたなと思う。
社会人になって大きく躓いた。
激務に次ぐ激務だったが、
他の人間には、それができていた。
でも自分にはできなかった。
限界を感じていた。
そして仕事で失敗をして、
巡り巡って精神科医にかかることになったわけだけれど。
そして今回発覚したのが、病気だったということだ。
それを「治療」することが、途端に怖くなった。
これまで意識をしたことはもちろん無かったが、
薬を飲んで治れば「普通の人」になることができる?
いままで歩いてきた人生はすべて間違っていたのか?
怖くて仕方がない。
でも、このままでは、生きていくことが難しいのだ。
お金も無い。人とのつながりも無い。親には関わりたくない。
きっとこのままなら、職も失う。
私は何を選べばいいのだろう。