2024-12-18

バトルものファンタジーなどで能力ステータスを数値化すると途端に陳腐に感じる

少年漫画とか特にそう

わかりやすいのは、七つの大罪における「闘級」みたいなもの

序盤は数値化していなかったものを途中から数値化すると、一気に冷めてしま

もちろん単に「強い」だけだと何がどう強いんだろうってことで、読者に伝わりやすくて説得力のある数値化をしたいのもわかる

けどそれは大体悪い方にしかかわないと思ってる

物事の強弱を数値で表そうとすると数値の増減で物語が作られがちになる



例えばブリーチ死神を中心とした異能トルファンジーだけど、作中での登場人物の優劣や技の強弱なんかはあまり数値化していない

護廷十三隊隊長格で誰が一番強いかは時と場合によるだろう

破面(アランカル)は番号で序列が作られているが、逆に言えばそのくらいでしかない

実際に1番と10番がどれほどの格差があるかは数値化されていないが、それでも何となく想像できるのは話の展開があってこそだ

主人公の成長を数値以外で表すとしたら、心理描写戦闘シーンのカッコよさ、頭脳戦を取り入れる、必殺技を使える、などなど

まあブリーチはバトル漫画の中でもかっこよさに全振りしているのでおしゃれじゃないってのと、ご都合主義には数値化が邪魔だってのが本当のところだろうが

逆にがっつりと数値で強弱が決められている場合、その数値だけを追い求めがちになる

たとえばドラゴンボール孫悟空が、戦闘能力1万を1万5000に上昇させたとする(数値はテキトー

じゃあこの戦闘能力5000の差はどこにあるのか

修行によるもの覚醒によるものなのか、その日の機嫌なのか

仮に5000アップしたら敵を倒せたとして、次の敵が戦闘100万だったらどうするのか

その敵に勝とうとして修業したらなんやかんやで戦闘力150万になったとして、じゃあ5000の上昇なんて誤差だったじゃんとなる

数値化はわかりやすい反面、そこに物語としての意味を持たせるのは結構しんどい

能力などを数値化するとわかりやすい反面、どういう基準や上限にするか、その数値にどんな意味があるかを誤ると現実離れしすぎる

さらにその数値だけを上げれば見た目や過程を省いても強くなったと結論付けられてしまうため、物語の厚みが意味をなさなくなる

あるいは数値の大きい相手に不意打ちで勝ちましたって展開にした場合、だったらその戦闘力なりステータスが何のためにあるんだって話になる

下手に巫力や戦闘力やらに数値という理由付けをしたら、それを裏切るような展開は目に見える矛盾となる

では数値の優劣で勝敗が決定するなら、それは単調な修行シーンになりやす

マンキンとか

あえてボカシてその場のノリで勝敗を分けた方が意外と面白くなる気はする

だいたいなろう系はステータスに走りがち



なろう系というか浅いバトル作品は大抵の場合ステータスオープンする

それでやってることがオール無限とかなので、こっちはこっちでわかりやすければ物語なんてどうでもいいって感じなんだろう

ただ、俺だけレベルアップとかのように勝つごとにステータスが上昇するのは、そんなに悪くないとは感じていた

現実ゲームのような展開なので親しみがわいたのだろうか

数値化が最も都合がよいのはカードゲーム


遊戯王ヴァンガードのような数値を比較して対戦するカードゲームは、この手の数値化が抱える問題クリアしていると思われる

これは主人公の強さ自体ではなくあくまでもカードの強さだからだろうな

アクセスコード攻撃10,000で相手を倒しても、それはアクセスコードが強いからってのもあるがそこに持ってきた主人公の力量も大きく関係する

相手の行動を先読みしつつ、わざと攻撃受けて返しのターンで捲るとかだとすごくかっこいい

そういうシーンを描きつつも、数値の優劣で勝敗が分かりやすいという点で、カードゲームメディアミックスに優れているんだと思う

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん