エレキギター、歌、ダンス、絵画、演技…これらの活動に共通していることは、プロアマ問わず
「やりたいからやっている」
ということだろう。
その意味で、表現のレベルや活動に対する考えは千差万別なれど、
「志の低い人間は一人もいない」
と言える。
だからレベルや考え方の壁を超えて同好の士として、更には仲間になれる可能性も、少なからずあるわけだ。
もちろん、どの活動だってキレイなことばかりじゃないのは百も承知なつもり。
どんなに頑張っても「つまらない」「ダサい」の一言で切り捨てられることは全然珍しくないだろうし、妬み僻みみたいな話だって無いわけ無いと思う。
でも好きだから続ける、というかやめられない。
それだけで本当に素敵だと思うし、これ以上ないくらい輝いている。
その眩しさが、心底羨ましい。
えー、そんな大げさな…と思うかもしれない。
しかし、幼少からスタートしないとプロになれないような一部の楽器やスポーツでは、この「志の高さ」が当たり前ではないという現実がある。
わかり易い例では、確かWBCだったと思うけど、野球のことが大大大大大好きなイチローが、松坂に厳しく対峙していた話がある。
要するにイチローがプロとかどうとか関係なく、辞めろと言われようが、仕事として続けられなくなろうが辞めない気満々なレベルで野球が好きなのに対し、松坂はむしろ「仕事でやってるだけ」感が前面に出すぎていたと。
つまり純粋な野球好きとして「それで満足するとか、本当に野球が好きならそうはならんやろ」「てか、なんで好きでもないのに野球やってんの?」と思わずにいられず、ああなったわけだ。
そりゃ筆者含め、仕事については適性があったから食うためにやっていることだし…と割り切っている人は珍しくないというか、それが大多数だと推測される。
なんなら「こんなことして食うなんてやめたい」くらい仕事を嫌っている人も普通にいるだろう。
そして幼少から始めないとプロになれない技芸というのは、親が子の適性とか素質を見込んで、外堀を埋める形でプロになるよう頑張る以外に道がないルートに追い込み、そこで生き残れた人だけがプロになる流れだ。
そこで本人の好きかどうかなんて気持ちは顧みられないというか、なんなら本人がどこかでその感覚をかなぐり捨てて取り組んできたまであるので、好きでやってる人を探すほうが多分難しい。
その意味では、松坂のスタンスも同じ社会人として、共感できる部分がないわけではない。
しかしながら、楽器やスポーツはそれを趣味としてやっている人がいて、そういう人からするとプロが一般の仕事と同じくらい「割り切って」やっている現実を目の当たりにすると、なんとも言えない気持ちになるわけで。
少なくとも自分は、自分が趣味にしている楽器についてその現実を知ったとき、そういう一部のプロの演奏なんて聴きたくもなくなったくらいには落胆させられた。
しかもそのきっかけが、全く適性が無いながら自分の演奏にどうしても納得できずレッスンを続け、気がつけば音大受験レベルの曲を弾けるくらいになったタイミングで、何人かの配信者の演奏を聴いて違和感を覚えたことからだったり。
無駄に耳が肥えてしまったせいなのか、「確かに上手いし弾けてるし、リスナーが大満足なのも間違いない。でも本当にその楽器が好きなら、そんな大味な音で絶対納得するはずがないんだけどな…」と思わされる演奏が非常に多いことに気づいたと。
そしてそれは全然気のせいじゃなく、「上手いけど、楽器が好きじゃない」人の出す音なんだと確信するまで、そう時間はかからなかった。
聞けばプロの現場で指揮者が最も苦労し、かつ演奏者と対立する点もまさにそこで、最悪「弾けて当たり前なのはいいけど、やっつけ仕事まで当たり前にしないで欲しいんだが」VS「なんだコイツ、何にも知らないくせに」みたいなギスギス展開も珍しくないと。
ちなみにアマチュアの出す音というのは、海外では"Funny Noise"と言われているらしい。
でもそれは決して侮蔑ではなく、むしろ好意や敬意を備えた意味なんだろうなーと、最近は思うようになった。
好きでやっていることは素晴らしい!というのを、こんな形で実感したくはなかったけどね。