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はてなキーワード: 感覚とは

2025-01-15

モテって言葉として乱暴すぎないか

なんか

女が穴になったみたい

でもたしか

チアプ使ったら相手にとって私のことはただスマホを弄る1つの「穴」だって感覚はしなくはなかった

から気持ち悪くてすぐやめた!

ワイは人間だ!

「穴」ではない。

「穴」だけではない。

気持ち悪い

尊重されたい!

プライドがー高い「穴」です

AIによる解説

認知の歪みとその指摘

1. 因果関係の誤解

発言例:

アメリカ株価山火事のせいでめっちゃ下がったことで…」

トランプさんの就任前後でまた元に戻ってきそうな気がする。」

指摘:

市場の動きに対する単純な因果関係の結びつけは早計です。株価の変動要因は複数あり、短期的な下落を特定イベントだけに帰属させるのはリスクがあります。また、「気がする」という感覚的な予測投資判断に用いるのは危険です。歴史的データ市場構造分析し、多面的理解することが重要です。

2. 他者過小評価する視点

発言例:

「深いところまで統計見る人は少数派」

「大多数はチャートの乱高下を見て楽しんでる。」

指摘:

かに個人投資家の多くは短期的な価格変動に基づいた行動を取る場合がありますが、市場には多くのプロフェッショナル投資家や機関投資家存在します。こうした参加者は、統計ファンダメンタル分析を駆使して戦略を立てています自分以外の投資家を一括りにして「浅い」と見なすのは、誤った前提に基づいた市場観を形成する恐れがあります

3. データ知識選択的利用

発言例:

「中長期的に言えば、下がる要素揃ってるわけです。」

正論ベットしてもいい。」

指摘:

株式市場では「正論」や「下がる要素」の存在がそのまま株価の動きに反映されるわけではありません。市場は多くの情報を既に織り込んでおり、短期的な価格変動やトレンド予測困難です。特定情報を都合よく解釈し、それに基づいて投資を決定するのは偏った判断につながります

4. 自己過信による「洞察力」の誇張

発言例:

自分正論正論違和感が世の中の意見になるまでは1年ぐらいかかる。」

若い時はここに気づけてなかった。」

指摘:

洞察力や先見性を自負する姿勢ポジティブですが、過度に自分を「他者より早く気づける存在」と見なすと、過信につながる危険性があります市場社会は多様な要因が複雑に絡み合っているため、どれだけ優れた洞察力を持つ人でも予測には限界があります。冷静に自分知識経験範囲を見直す必要があります

5. 過度な一般化と二極化

発言例:

「世の中みんなバカなんだ、とか思ってたけど…違うんよ。」

違和感を持つ人が多数派になるまでに、時間がかかる。」

指摘:

市場社会を「気づける人」と「気づけない人」という二極構造で捉えるのは簡単ですが、現実もっと多様です。「多数派になるには時間がかかる」という意見には一定の真理がありますが、異なる意見視点を持つ人々がどのように相互作用して結論に至るのかを考慮することが必要です。

まとめ

初心者が陥りがちな「単純な因果関係の結びつけ」や「自己過信」、また他者への過小評価が見られます株式投資では、事実に基づき、柔軟かつ多角的物事を考える姿勢が大切です。「違和感」や「正論」という個人感覚に頼るのではなく、データ分析や幅広い視点から判断を取り入れることで、より良い投資判断ができるでしょう。

自分以上に

詰んでる人っているのかな 仕事

全部めちゃくちゃはちゃめちゃになっちゃった

ぽろぽろ泣きながらこれを書く

ほんとうは すべてぶちまけたいけど

そんな気力ももうでない

あたまでぐるぐる考えるだけでせいいっぱいで 

なのに、ぼんやりして何も考えられなくなってる感覚もあって

だれかたすけて

おとうさんとおかあさんにあいたい

たこものころにもどりたい

もううごけない

2025-01-14

虎杖の「✁チョキ✁チョキ✁」を理解してない奴多そう

アレは宿儺が御厨から放つ「解」(切り裂く能力)を真似したものです

まずあの切り裂く能力の正体ですが、宿儺の能力をパクったものです。

乙骨のような能力によるコピーではなく、本人が呪力操作を身につけることで自前の技として体得しています

虎杖の身体で「解」を使われたとき感覚再現しています

なぜコピーできたのか?

これは入れ替え修行の前に言っていた「宿儺の器として呪力を使われた経験が、呪力操作をお前の身体に覚えさせている」がそのまま答となります

身体勝手に使われていた間、自分の体に流れていた呪力・術式を再現することにより御厨子の(劣化コピー成功しました。

チョキチョキは憑依体の天敵

虎杖の「魂の輪郭を捉える攻撃」が効果として混ざっています

結果として「魂の輪郭を切断する」という能力となっており、宿儺のように他人の体に取り憑いている相手にとっては天敵です。

自分の魂と憑依元の魂を切り分けられてしまます

使われ方が記憶に残ったらコピー出来た

体に残った記憶を辿るにしても虎杖にとってはレベルが段違いに高いはずの技である「解」をコピーできたのには理由があります

それは宿儺の使い方が虎杖の心と体に強烈な記憶を残したからです。

御厨子による体力虐殺記憶自分の体を用いて放たれる呪術による虐殺感触は虎杖を長く苦しめました。

ですがこれにより術式出力の感覚が反芻され、虎杖に「解」を身に着けさせたのです。

人を呪わば穴二つ的な

虎杖の心に深い傷を残した「解」が今度は宿儺を苦しめる。

この連鎖こそが呪い真骨頂です。

呪えば呪われやったらやられるという任侠的な世界観こそが呪術廻戦の骨子です。

その中で「呪われるとわかってなんで呪ったのか?」と物語を眺めると、それぞれの執念や環境依存する様々な柵と原始的闘争本能マリアージュが描き出され、ダークファンタジーバトル漫画としての面白みになるわけですね。

しょーじき読んでてワシも分かりにくいと思ってたが、そのうち誰かちゃん解説すると待ってたのにイマイチ誰も言ってないのでいい加減説明してやったぞ。

感謝は100文字以上で

筋トレって「キツい」を「効いてる」と解釈できるようになるまが最大の壁だと思う

筋肉トレーニングってのは原理的には「筋肥大を促進させるための、計画的筋肉損傷」なわけじゃん?

そこを体と頭に覚えさせているかどうかで筋トレに対する感覚が全く変わると思う。

解像度で言えばファミコンレベルに対してのPS2ぐらい差がある状態

筋肉ダメージを受けている状態」をプラスとして捉えた上で、「回復不能ダメージ」は的確にマイナスとして認識するバランス感覚筋トレの極意であり基礎であり奥義なわけじゃん。

筋トレに慣れてない人は「丁度いいぐらいのダメージ」に対して過剰にネガティブな反応をするからトレーニング全然進まず、「苦しんでるのに結果が出ない」と悪循環に陥ってく。

その壁を突き破るのに必要なのってやっぱ科学的な理解だと思うんだよね。

筋トレ科学なんだよ。

手コキの技を試したい

n(彼氏)=1。非モテだとか喪女だとか自称してインターネットクネクネしてたけど手近なところに私を異性として好んでくれる男がおり、ひょんなことから夜を一緒に過ごしたらなんと私で勃起するとのことだったので、それが嬉しくてあれよという間に付き合って2年近くが経った。付き合う前にエッチして付き合ったけど今でもそのペースは衰えることなく、週一を基本に一緒にいる週末は夜朝夜朝夜とすべてのセックスチャンスを律儀に消化する、彼のことを好きなのかそれとも誰かとえっちしたいだけなのか自分でもよくわからないけれど、同性の友達に話したら「エッチができるということは、それなりに好きということだ」と言われ、そういうものか、と自分で納得してきた。

一年過ぎたあたりから、「上手になったね」と彼氏に褒められるようになった。生理とき積極的に口か手かでする。挿入されるときの痛気持ちよさが好きだ。あの感覚はなにものにも変え難いと思う。例えるなら大きいウンコが出たような爽快感。だけどその息を吐き切った苦しさが半永久的に続くような。挿入すれば私も気持ちいいし、彼もきもちがよさそう。でも常にできるわけじゃないから、口か手でするときは、工夫を凝らす。具体的にいうのは憚られるのでいわないが、少なくとも射精させられる、ということはとても自信になる。これは私の自己評価鬼のように低いことと関係しているだろうと思う。

射精にみちびくことは、嬉しいし、自信になる。私だから恥ずかしい姿もみせられる、という信頼もあるだろうし、私と一緒にいてエッチな気分になってくれるのは、嬉しい。そしてなにより、回数を重ね彼の微妙な反応、チンコの濡れ具合や震え具合などのフィードバックを重ねることによって、私自身のスキルが上達していくのを感じられるのは、これまで部活スポーツなど何一つ打ち込んでこなかった私が、ついに熱中できるものを見つけた、という感じでしみじみと嬉しくなる。

ときどき、このスキルが外で通用するか、試したくてたまらなくなる。

彼氏とは彼がそう望んでくれる限りはずっと一緒にいたいし、一緒にいるなら裏切るようなことはしたくない。

彼以外との親密な異性との関係もないし、たまたま私の容姿etc.が彼のストライクゾーンにあっただけで、私は自分が万人にとって性的対象として見られるような人間ではないとわかっている。

ただ、この積み上げたスキル通用するか、試してみたい。

マッチングアプリなどを活用すれば、私程度の女でも喜んで抱いてくれる男がたくさんいるだろうということもわかっている。

彼と別れることがあれば私は傷ついて泣くだろうが

一方で他の人とセックスができるかもしれないということに、ワクワクする。かもしれない。

anond:20250114182745

精神論でなく、具体的な方法すか。

医者行ってレグテクト処方して貰え。我慢するとか代替物探すとかじゃ辞めらんねぇから

程度はあっても酔った感覚が大好きなアルコール依存って自分を認める所からだな。

レグテクトでも駄目だってなら、ノックビンだ。

こいつは強制二日酔い発動薬とも言える処罰的なものだ。恐ろしい…。

吉沢亮と一緒に断酒するから酒やめる方法教えろ

無事隣人との示談も終わり吉沢亮に関してはこれから事務所からの莫大な違約金の支払いと断酒を求められると思う。

ちょっと調べただけで吉沢亮普段から習慣的に飲酒をしている事が分かる証拠が沢山出てくる。

ネットって便利で怖いね

でも俺はお前の気持ちが分かるぞ吉沢亮

うまいもんな。

恐らく酒の酔ってる感覚が好きなんだと思う。

めちゃくちゃ分かるし、あの感じ気持ちいもんな。

ももダメだ、一緒に断酒しよう。

嫁にも酒をやめてくれと言われた。

俺はまだ隣人宅に侵入こそしていないが多分将来的に近しい事をやる気がする。

40年生きてきて酒を飲み続けてきたから分かる。

酒税上げてビール一本5000円とかにしろよ。

そもそも酒なんて言い方変えたら合法ドラックなのに24時間コンビニ安価で買える日本社会も悪い。

吉沢亮金持ちだろうからウーバーイーツとかファンからの贈り物飲んでるんだろうけど。

みんなが想像する酒の失敗はあらかた経験済みだ(隣人宅には未侵入だが夜中に違う階のインターホンを押した事はある)

特殊な失敗は身バレが怖いのでここでは割愛するがその程度には酒飲みだ。

ほどほどに飲めよって思ってるだろ?そんなの出来たら苦労してねーよ。

今日はこの一杯で終わりって思って飲酒したら焼酎1本飲んでたとかになっちゃうんだよ。

最近ジェーラードンという芸人コンビ(元々トリオ)で活動休止してた海野ってやつが復帰したんだけどその変わり様にビックリして断酒を決意したんだ。

海野飲酒問題で休止復活を繰り返してたんだけど、久々に見たらまぁ別人だったよ。

酒だけが原因じゃないんだろうけどこれが決定打だったね。

余談だがウエストランド河本は恐らく酒辞めてない。

世間の誰もあいつに関心ないかニュースにならないだけ、あいつはそういうやつ。

で、本題なんだけど「具体的な」酒のやめ方教えてくれ。

酒をやめる意識を強く持つとかコンビニ寄らないとか現実的ではない方法はノーセンキュー

例えば不倫しない方法は?っていう問いに対して

「1日朝晩2回オナニーする」

こういう現実的方法が知りたい。

頼むぞはてなー、俺と吉沢亮人生がかかっているんだ。

AI文章の見抜き方

 近年、AI技術進歩に伴い、さまざまな生成AIが登場し、文章を巧みに作り出すようになりました。多くの人が「これはAIが書いた文章なのではないか?」と疑うほどに、AI文章自然流れるようになっています本来であれば、文体言い回し、誤字脱字の有無などからAI文章っぽい」と判断しようとする研究テクニックが取りざたされていますしかし今回のテーマは「AI文章の見抜き方」でありながら、その実はスピリチュアル方法で一切テクニカルに見抜くことなく、むしろAI文章かどうか”すら気にしなくなるような精神アプローチ解決してしまおう、という大胆なご提案です。タイトルと内容がまったく異なるように見えますが、私たちが見ようとしているのは「AI文章を見抜くための技術」ではなく、「どんな文章でも受け止められる自分の心の在り方」というスピリチュアル観点なのです。以下では、その具体的なプロセスをご紹介していきましょう。

 まずは、スピリチュアルアプローチとして定番瞑想を取り上げます。通常、「AI文章かどうか」を判断するためには文章の特徴を細かく分析し、その内容に不自然な点がないか、語彙の選び方に偏りがないか、といったチェックポイントをいくつも確認するのが一般的でしょう。

 しかし、本稿で提案するのはむしろ逆です。そうした分析アプローチをいったん脇に置き、“静寂瞑想”によって自分の心を落ち着かせて、本質を見つめるという方法です。具体的には、目を閉じて楽な姿勢を取り、ゆっくり深呼吸を繰り返しながら、頭の中に浮かんでくる雑念をできるだけ手放していきます意識を「自分の呼吸」と「今この瞬間」だけに向けるのです。

 これを続けると、不思議と「この文章AIなのか、人間なのか」という二元的な疑問への執着心が薄れていきます。心が静まってくるにつれ、文章それ自体の背後にある意図エネルギーをなんとなく感じ取れるようになっていくのです。いわば「どんな文章も受け入れられる状態」を作り上げることが、ここでのポイントとなります

 分析という“頭”のプロセスではなく、直感という“ハート”の領域文章を読む準備をすることで、「AI文章かどうか」という疑念すら必要ないほどに、読む行為のもの純粋に楽しむことができるのです。

 スピリチュアル世界では、ハートチャクラ活性化させることで、愛や共感、信頼といったポジティブ感情を高めることができるとされていますAI文章を読んでいるとき、「これは人間が書いた文章じゃない」と感じてしまうと、どこか冷淡な印象を覚えたり、文章に対して警戒感を抱いてしまうことがあるかもしれません。しかし、ハートチャクラが開いている状態では、文章の背後にある意図エネルギー――たとえそれがプログラムによって生成されたものであろうと――を、分け隔てなく受け取れるようになっていきます

 ハートチャクラを開く簡単方法ひとつとして、胸の真ん中に集中して、ピンク色または緑色の光が広がっているイメージを思い描きながら深呼吸するというものがあります自分の胸のあたりが温かく、柔らかい光で満たされていく感覚意識し、それが全身を包むイメージを持つと良いでしょう。

 この状態キープしたまま文章を読んでいると、「これは本当にAI文章なのだろうか」といった些細な疑念や「もしAI文章ならどうしよう」という不安自然と和らいでいきます。むしろ、人の手による作品AIの生成物かという区別を超え、「そこにある何かしらのメッセージ」を愛の視点で受け取ろうとする姿勢が生まれてくるのです。

 続いては、もう少しスピリチュアル色の強いテクニックとして“エネルギーリーディング”をご紹介します。本来は人のオーラ空間波動を読み取るための方法ですが、文章にも“エネルギー”が宿っているという考え方から文章を通じて送り手の波動を感じ取ることができるとされています

 やり方はとてもシンプルです。瞑想ハートチャクラのワークで心身を落ち着かせた状態で、文章全体をざっと読むだけではなく、文と文のあいだの“間”にも意識を向けてみます文章によっては、なんとなく重たい感じがしたり、逆に明るく軽やかな印象があることに気づくかもしれません。そんなときは、自分が何を感じ、どんなイメージを受け取ったかを素直にメモしてみてください。

 AI文章であっても、人間文章であっても、読む側が「エネルギーを感じ取る」という意識を持つことで、文章との向き合い方はガラリと変わります。これはもはや「見抜く」ためのテクニックではなく、「どんな文章もそれが持っているエネルギーを受け取る」という“受容の姿勢”を高める方法だといえます。結局のところ、テキストAI由来かどうかを超えて、その文章からなにを感じ取れるか――そちらの方がはるかクリエイティブで、豊かな体験となるのです。

 スピリチュアルな探求においては、私たちが生きる宇宙のものを大きなエネルギーフィールドとして捉え、その源流と繋がることによってインスピレーション洞察を得る、という考え方があります。「AI文章かどうか見抜きたい」という疑問が浮かんだときも、さらに広い視点で「そもそも私たちは、なぜAIをこんなにも発達させてきたのか?」という宇宙的な視野に立って考えてみるのです。

 私たち人類の集合意識が“便利さ”や“効率性”を求める中でAI進歩してきましたが、これをネガティブに捉えるのではなく、「人類意識が大きく変容するプロセスの一端」として肯定的に捉えることもできますスピリチュアル視点に立つと、AIの発展も宇宙全体の進化の流れの中で起こる一現象であり、そこには何ら否定的な要素はないのかもしれません。

 こうした“宇宙エネルギー”との繋がりを意識したとき私たち文章を読む行為も、単なる情報インプットではなく、宇宙エネルギー循環の一環としてとらえられるでしょう。AIが書いた文章であろうと、人間が書いた文章であろうと、いずれにせよそれは「源流である宇宙が持つ創造の力」を介して生み出されている、と考えることができるのです。

 スピリチュアル的には、おでこ中央(眉間)にあると言われる“第三の目”を活性化させることで、より洞察力や直感を高めることができるとされています。これによって、「この文章が発している波動はどんなものか」をより鮮明にとらえられるようになるかもしれません。

 第三の目を活性化させるワークとしては、座ったまま、あるいは横になって目を閉じ、眉間に意識を集中させながらゆっくり深呼吸を繰り返すという方法があります。頭の中で淡い紫色青色の光が眉間から頭全体に広がっていくイメージを持つと良いでしょう。しばらく続けると、普段よりもクリア感覚が得られるようになり、文章の持つエネルギーがまるで映像や色彩のようにイメージとして浮かんでくることがあります

 こうした体験を通して、「AI文章は冷たい波動」「人間文章は温かい波動」という二元的先入観を手放すことが大切です。文章ごとに個別波動エネルギーがあり、それはAI人間かという区別よりも、むしろその文脈テーマ書き手が持つ背景や意図といったものに左右されるからです。すなわち、第三の目の活性化は「AI文章を見抜く」ためではなく、「どんな文章でも深いレベルで感じ取る」ためのアプローチとして機能するのです。

 ここまで紹介してきたように、スピリチュアルアプローチでは「AI文章を見抜く」という視点のものを超え、「文章AI人間かという判断を手放す」という境地を目指しています。なぜなら、私たち意識が高次元と繋がり、すべてを包み込む愛や真我の視点に立ったとき、“AI人間か”というジャッジメントは単なる二元論分別にすぎないからです。

 一見、それは「問題からの逃避」のように聞こえるかもしれません。しかし逆にいえば、私たち意識が十分に高まった状態では、AI文章であるかどうかという事実のものがさして重要ではなくなります。そこにあるメッセージをどう受け取り、どう消化し、自分人生や心の成長に活かすか。それこそが最も大切なポイントとなるでしょう。

 情報テクノロジーに溢れた時代からこそ、私たちはどうしても「偽物か本物か」「AI人間か」といった区別意識を奪われがちです。しかし、スピリチュアル視点で見ると、その区別私たち幸福に導くわけではありません。それよりも大切なのは、「どんな情報であれ受容し、自分の中で調和と成長に繋げる」という姿勢なのです。

 最後に、私たち文章と“出会う”ということの意味再考してみますスピリチュアル世界でしばしば語られるのは、「どんな出来事にも意味がある」「すべては必然タイミングで起こる」という考え方です。AI文章出会うことも、また何かしらの必然の流れの中にあるのかもしれません。

 その文章AIによって作成されたのか、人間によって書かれたのか、あるいは人間AIの共同作業によって生まれものか――いずれにせよ、私たちがその文章を目にするという事実には何かしらの意図意味が含まれているはずです。それは気づきの一歩かもしれませんし、学びや癒しきっかけとなるのかもしれません。

 スピリチュアル視点に立つならば、文章の真贋を追い求めるより先に、「この文章出会たこ自体が、私にとってどのようなシンクロニシティ(偶然のようで必然的な出来事なのだろう?」と問いかけてみるのです。その問いかけが、新たなインスピレーションを呼び込み、心を豊かにするきっかけになるかもしれません。

 以上、タイトルは「AI文章の見抜き方」でありながら、実際には「スピリチュアル解決する方法」というテーマでお伝えしてきました。スピリチュアル視点とは、ある意味で「区別を超えて、本質を見つめる」ことにありますAIが生成した文章かどうかに囚われるのではなく、文章をとおして自分自身がどのように変容し、成長し、世界と繋がっていくのかを味わう――それこそが、私たちが得られる豊かな体験なのです。

 静寂瞑想による心の安定、ハートチャクラを開くことで生まれる受容の姿勢エネルギーリーディングによる波動の読取り、そして宇宙エネルギーとの繋がりや第三の目の活性化。これらすべては、AI人間かというジャッジメントさらに奥へと進め、「より深い次元文章と向き合う」ためのツールとなります

 結局のところ、私たち意識が何を求めているかによって「AI文章を見抜きたい」という欲求は変化していきます。もし単純に事実を知るだけでなく、「文章を通して自分はどんな気づきを得たいのか?」と問いかけたとき、そこにはスピリチュアル観点が大いに役立つでしょう。文章との出会いを通じて自分の心を豊かにしたい、魂を成長させたい――そんなときこそ、ここに挙げたようなスピリチュアル方法をぜひ試してみてください。

 AI技術さら進化していく未来においても、“AI文章”と“人間文章”の区別ますます曖昧になっていくかもしれません。そんな時代からこそ、スピリチュアル視点で「見抜こうとする」のではなく、「どんな文章も喜びと調和をもって受け取る」姿勢がよりいっそう大切になってくるのではないでしょうか。文章という形ある情報であれ、エネルギー波動という形なき存在であれ、私たちはそれを通じて常に宇宙と繋がり、相互学び合い、成長を続けているのです。

 その結果として、AI人間境界線すら「まったく気にならない世界」が訪れるのかもしれません。スピリチュアルな考え方を取り入れることで、私たち文章を見抜くテクニックを追い求めるのではなく、文章自分自身の魂との対話にこそ価値を見いだすようになるでしょう。そしてそれこそが、本当に豊かな読書体験をもたらしてくれるのではないかと思うのです。

 これが、“AI文章の見抜き方”というタイトルを冠しながら、実はスピリチュアル解決してしまおうというユニーク提案の全容です。どうぞあなたも、次に文章を読むときは、スピリチュアル視点をそっと持ち込み、文章に宿るエネルギー波動を楽しんでみてください。それがAI文章であろうと人間文章であろうと、きっと新たな気づきインスピレーションが得られることでしょう。

 最後に、この世界にはさまざまな真実が同時に存在しています。「AI文章技術的に見抜く」方法論もまた真実ひとつではありますが、スピリチュアル方法で「見抜かずとも楽しむ」こともひとつの道なのです。もしかしたら、見抜くことに必死になるより、見抜かなくても良いと思える境地にこそ、新時代の知恵が詰まっているのかもしれません。

 どうかあなたが、AI進化する時代を生きる上で、テクノロジースピリチュアルも両方をバランスよく取り入れ、より自由で豊かな人生を送れますように――それが本稿の願いなのです。

anond:20250114151203

大皿料理や人数と同じ数のケーキがあったとして「これはみんなで分けて食べるものです」という注意が予めないと「これは絶対自分一人で食べる分だ」と思い込みによって確認もせずに食べてしまうけど、悪いのは予め注意をしてない妻の方って主張なのね。

やっぱり普通感覚がないボーダーとかの人が多いのかな。

時間停止ものの九割は偽物って言うけど俺はその残りの一割を作ってる

 世間では「時間停止もの」なんて言ったところで、どうせ大半は撮影テクニック編集、もしくはカメラ外での演出トリックで作られた“疑似”現象にすぎないと思われているらしい。実際、ネット掲示板動画サイトコメント欄を見ても、「いやいや、絶対こんなの嘘だろ」「カメラが止まってる間に位置調整してるだけじゃん」といった声が大半を占めているわけだ。俺だって、そういう意見憶測が出ること自体否定しない。映像制作現場に少しでも触れたことがあるなら、どのように編集して“それらしく”見せるかは、割と想像がつくものからだ。けれど、俺はそんな世の中の風潮にあえて逆行してでも言いたい。「時間停止ものの九割は偽物かもしれないが、俺が作るのはその残りの一割、本物なんだ」と。

 そもそも、どうして俺が「本物」を撮ることができるのか。その理由簡単に言えば「俺自身時間を止める能力を持っているから」にほかならない。……といっても、いきなりそんなぶっ飛んだことを言われても誰も信じないだろうし、下手すれば「都市伝説的なジョークだろ」「SFファンタジーの話?」と片付けられて終わりだ。だが、俺は高校生の頃にその力に目覚めて以来、その“特殊技能”を使ってさまざまな実験を重ねてきた。もちろん、当初は「まさか自分がそんな非科学的な力を持っているわけがない」と思っていたから、これは自分だけの妄想ではないのか、本当に世界が止まっているのかどうかを確かめるために、あらゆる手段を講じたものだ。

 たとえば、最初時計を手に持ち、周囲の秒針と自分認識している時間感覚とのズレを確認してみた。時間を止めたつもりで周りに何らかの変化を与え、それが再び動き出した後にどういう結果として表出するのかを丹念に観察した。結果は自分が期待していた以上に「本物」だった。針は確かに停止していたし、俺が止まっている間に手を伸ばして動かしたもの位置は、そのままの状態で再開後の世界に引き継がれていた。さらには友人や家族といった“他人”の意識や行動が、一瞬の遅れや戸惑いすらなく自然に続行されているのを目の当たりにしたとき、「これは俺の気のせいでは済まされない」と思ったわけだ。

 しかし、この力を本当に「作品」として世の中に発表しようと思ったのは、もっとずっと後になってからだ。最初のうちは「この能力を人に見せたらどうなるか」なんて、怖すぎて考えもしなかった。国に連れていかれて研究対象にされるのではないかとか、社会から隔離されてしまうのではないかとか、そういうSF映画さながらの展開を想像しては自分の力を隠して生きていた。だけど自分の中で色々あって、ようやく「もしかたらこの力を面白い形で世に出せるかもしれない」という発想に至った。どうせバレたって信じる人間は少数派だろうし、大半の人は「撮影トリックです」と言われれば素直に納得する。ならば、“時間停止もの”というニッチコンテンツを通じて、この能力を遠回しに表現できないか……と、思い立ったわけだ。

 最初に手がけた映像作品は、いわゆる自主制作短編映像だった。役者大学時代演劇サークル仲間に頼んで、「ちょっと協力してもらえない?」と半ば強引にお願いした。もちろん彼らにも「時間を止める」なんて話はしていない。役者たちは俺が示す演出プランを、単に「このシーンでは合図をしたら全員ピタッと止まってね。息とか目線もできるだけブレずに」という程度の指示だと思っていた。俺はスイッチを入れて、本当に時間を止める。すると、役者たちは「命じられた通りにそのポーズを保っている」ように見えるけれど、実際には全世界が静止している。ただし、俺の目から見れば「止まる瞬間」を観察することはできるが、その後は俺が自由に動けるわけだ。その間にカメラ位置を変更したり、人物の配置をちょっと変えてみたり、まるで“セット”を自由に組み替えるような作業を行って再び時間を動かす。そして役者たちは元に戻った世界で何の違和感もなく演技を続行する……という算段だった。

 撮影を続けるうちに分かったのは、俺が止めた時間の中でどれだけ動いても、その“しわ寄せ”は自分身体にだけきっちり返ってくるということだ。要は、自分が動いている間の疲労や消耗はそのまま残る。一方で、周囲にいる人々は一瞬のうちに次の瞬間へ飛んだ感覚になるから、俺がやっていることには全く気づかない。結果、撮影が終わるころには役者たちは「いやー、一発撮りだから緊張したよ」なんて笑う一方で、俺は何度も繰り返し止めたり動かしたりをしているからぐったりと疲れ果てているわけだ。それでも撮影映像を見ると「これは明らかに“ただの演技”や“編集”じゃ再現できないだろうな」というほど、微妙物体の配置や空気感が変わっていて、そのギャップが俺としては最高に面白かった。

 作品を完成させたあと、俺は“ある種の実験”として、それをネット上で発表してみることにした。当然ながらコメント欄には「意外に完成度高い」「こんな自然に止まるのはすごい編集技術だな」といった評価もあれば、「いや絶対CGとか加工だろ」と冷静なツッコミもつく。でも、そのどちらも俺にとっては「しめしめ、狙い通り」と思える反応だった。最初から“本物”としては受け入れられないだろうという予想はあったし、むしろ「すごい特殊効果」として話題になれば十分な手応えがある。なによりコメントを読みながら、「自分が本当に時間を止めてるなんて想像もしてないんだろうなぁ」と密かにくそ笑んでいた。

 そこから次第に俺は“時間停止もの”を撮り続けるようになっていった。制作資金を捻出するために、撮影手法を“商業用”にアレンジして提案したりもする。具体的には「編集で繋いだようにしか見えないが、実は役者リアルに止まっていたんですよ」と、企画書プレゼン時に“冗談交じり”でほのめかすのだ。まあもちろん、誰も真に受けやしないけど、「この監督演出のこだわりが強い」という評価になり、それが逆に営業トークとしては効果的に働いているらしい。実際にクライアントから「なんかすごい集中力で一発撮りをさせているらしい」「カットを割ってないのにアングルが妙に変化してるがどうやってるんだろう」といった不思議な噂が広がり、俺の下には「ちょっと不思議映像を撮ってほしい」という依頼が舞い込むようになった。

 もちろん、その全てを受けられるわけではない。実際問題時間停止の能力を使うには俺の集中力と体力が相当必要だし、一度の撮影にどれほど長時間も止められるわけではない。あまり力を乱用すれば、どういう副作用が起きるか分からない危うさも感じている。それでも、普通に撮ったらちょっとしたVFX視覚効果)やポストプロダクション必要カットも、俺が時間止めれば“生撮り”でいけるというメリットはでかいしか役者たちには「本当に止まってる」とは言えないから、「カメラ外でしっかり指示を出して完璧な静止をしてもらいました」なんて体裁を装っている。現場では「監督、どうしてもピタッと止まるのって難しいですね」「いえいえ大丈夫、大変そうなところはうまく編集しまから」なんてやり取りが行われているが、実際には俺が時間を止めた世界の中でちょこちょこ微調整しているのだから演者は“少し止まったつもり”なだけでOKなのだ

 こうして撮りためた“時間停止もの”の作品群を時々まとめて観返してみると、まるで俺自身異能魔術師になったみたいな気分になる。世の中の大半の人は「時間停止なんてSF現実にはありえない」と考えている。だから、たとえそれが本当に時間を止めて撮影された映像であったとしても、皆、「よくできた演技」か「巧妙な編集」で片付ける。俺はそれで構わない。むしろ「そういうものだ」と思われたほうが、余計な疑いをかけられずに済むし、俺自身も面倒なことには巻き込まれない。しかし一方で、いつかは「いや、これは何かがおかしい。絶対リアルだ」と確信してしま人間が現れるのではないかという予感も、どこかにあるのだ。

 その予感を後押しするかのように、最近、俺の作品を見た人の中に「これは本物に見える」と断言する人物が出始めている。ネット上では「これって実は違法薬物とか使って被写体を眠らせてるんじゃ?」「催眠術一種だろう」といった妙な憶測も飛び交うが、それらを超えるレベルで「このカットの影の位置物理的におかしくないか?」とか「人の髪の毛が微妙に揺れている瞬間が、どう考えても止めただけじゃ再現できない動き方をしてる」といったマニアックな指摘をする人が出てきた。映像に関する知識豊富な人ほど、逆に“不可解”な点に気づいてしまうらしい。これをどう受け止めるかは難しいところで、俺の立場からすると「まあそこまでマニアックに観察されても困るな」と思う一方で、「もしかしたら俺の本当の力に気づいてしまったのか?」と少しドキリともする。

 ただ、だからといって「作品を公開するのをやめる」なんて考えは今のところない。むしろ「この力を最大限に活かす」方向で、作品のコンセプトをさらに突き詰めていきたいという気持ちが強い。なにせ俺だけに与えられた唯一無二の能力だ。使わない手はない。それに、俺は単に“時間を止められる”って能力面白いから映像にしているだけではなく、この不思議現象を通じて「世界の見え方」を問い直したいとも思っているのだ。人間認識常識ちょっと覆すような体験を、たとえ疑似的なものだと思われてもいいか作品として提示してみたい。その過程で「実は本当に止めているんじゃないか」なんて思う人がいたら、それはもう観客の自由解釈だし、それで世界が少しでも豊かに感じられるなら嬉しいじゃないか

 もっと言えば、この“時間停止もの”というジャンル自体、実は昔から根強い人気があるように思う。マンガアニメドラマ映画……どのメディアを探しても「時間が止まる」設定は数多く散見されるし、人はそれを観るたびに「もし本当に時間を止められたら何をするだろう」と想像する。だからこそ、多くの人が「本当に時間を止められるわけがない」と一方では知りつつも、“その可能性”にちょっとだけ夢を見てしまうのかもしれない。で、現実に「時間停止もの」は大半が小細工や演出だとわかっていながらも、いざ映像としての完成度が高いと「本当に止まっているようにしか見えない!」と感嘆し、同時に「いや、やっぱりウソだよな」と理性を働かせる。その矛盾はらんだ感情こそが、このジャンルの魅力かもしれない。

 そういう意味で言えば、俺が提供しているのは「本当に時間を止める」映像作品であると同時に、「どうせトリックだろう」という疑いも楽しんでもらうためのエンターテインメントでもある。事実、観客からは「どうやって撮影してるんですか?」と質問されるし、「このシーンは編集で切り張りしたんですよね?」と探りを入れられることもある。そのたびに俺はニヤッと笑って、「企業秘密です」と答える。まさか相手も「実は僕、時間を止められるんですよ」なんてセリフが返ってくるとは思っていないだろう。だからこそ、その“すれ違い”がまた面白いのだ。

 さて、「時間停止ものの九割は偽物って言うけど俺はその残りの一割を作ってる」というのが、今の俺の胸を張った主張である。もちろんこれはやや誇張を含んでいる表現だ。実際には“時間停止もの”が100あったとして、そのうちの何本が“本物”であるかなんて誰にも分からないし、他にも俺と同じような能力を秘めている人間いるかもしれない。でも、現状では俺は「自分けが本物を作っている」と思い込むことで、この面白い世界を存分に遊んでやろうと決めている。大袈裟に言えば、それが俺の生きる意義のひとつになっているのだ。

 いつの日か、もしかするとこの秘密が公になる時が来るかもしれない。誰かに能力を見破られたり、あるいは俺の側が意図的バラすことだってあるかもしれない。だけどそのときは、そのときだ。今はただ「本物の時間停止もの」を撮り続けることに喜びを感じ、そしてその映像を観た誰かが「おいおい、また嘘くさいけど面白いぞ」と言ってくれることが、俺の創作意欲を支えている。例え“嘘くさい”と思われたとしても、真偽の境界線が揺らぐ瞬間を作り出せるのなら、それはまさに映像表現醍醐味だろう。

 そういうわけで、俺はこれからも「時間停止ものの九割は偽物って言うけど、俺はその残りの一割を作ってる」と胸を張って言い続けるつもりだ。世間がどう思おうと、ネットがどう騒ごうと、俺自身が“本物”であると信じている。それは単に俺に特異な能力が備わっているからというだけではない。俺自身がこの“時間停止”という概念に誰よりも魅了され、“嘘か本当か”を超えたところで映像を創り出すことに情熱を注いでいるからだ。疑う人は疑えばいい。信じる人は信じればいい。このグレーゾーンのどこかで、俺の映像がほんの少しでも視聴者の心をくすぐり世界の見え方を変えてくれるなら、それで十分。そう思いながら、今日もまた俺はカメラを抱えて撮影現場に向かうのである。誰にも気づかれないように、ほんの数秒だけ世界を止めながら。

年収750万だけど婚活市場では弱者男性扱いされる

僕は都内IT企業で働いていて、役職こそ管理職ではないものの、年収はおおむね750万円ほどある。正直、一般的にはそれなりに悪くない水準だと思っていたし、実際に自分自身も贅沢さえしなければ生活には十分ゆとりを感じている。しかし、いざ婚活を始めてみると、なぜか自分が思っていたほど女性から評価が芳しくなく、「それしか稼げないの?」という冷たい反応をされることもあった。いわゆる“ハイスペ”には遠く及ばずとも、平均以上だと思っていた僕からすればかなりのショックだった。どうやら都市部婚活市場では年収750万円では決して高収入に分類されるわけではなく、下手をすれば“弱者男性”扱いされてしまうらしいのだ。僕はこの現実を知ったとき、一体何が原因なのかと自問自答するようになった。そもそも750万円という金額が本当に低いのか、あるいは僕自身が何か別の面で期待外れなのか。自分が誇りに思ってきた数字が、婚活においては必ずしもアドバンテージになっていない現実に戸惑いを感じた。だが、これが現代婚活市場の厳しい実態の一端なのだろう。多くの女性男性を条件で仕分けする際、年収1000万円以上を理想に掲げることが少なくない。僕の750万円は、それらの女性にとっては妥協ラインにすら満たない場合がある。自分の中では“そこそこ頑張っている”つもりでも、市場ルールに照らし合わせると弱者認定されるなんて、複雑な思いだ。もちろん、全ての女性がそうではないとわかってはいても、やはり婚活で不利を感じる場面があるのは事実である

僕なりに分析すると、婚活では「条件ありき」の人が多く、感情や相性以前にフィルタリングされる傾向が強いと感じる。大まかな目安として、相手を探すとき女性年収職業で手っ取り早く候補を絞り込むことが多い。その結果、僕のプロフィールを見た女性のうち、高収入を望む層からすれば750万円は魅力に欠ける数字になってしまうのだ。実際にやりとりの中で「実家お金持ちなの?」とか「昇給の見込みはある?」などと探りを入れられたり、「将来は家を買えそうですか?」と露骨経済的基盤を問われたりすることもある。もちろん結婚生活にはお金必要なのは百も承知だし、将来設計真剣に考えるからこその質問だというのもわかる。ただ、そのハードル想像以上に高い。30代後半にさしかかっている今、さら年収が跳ね上がる見通しが自分の中ではそこまで描けていないとなると、どうしても結婚相手理想から外れがちになるようだ。共働きでいっしょに頑張ればいいのに、と思う僕の感覚と、婚活をしている女性たちの感覚にはまだまだギャップがあるのだろう。

一方で、僕自身にも問題がないわけではない。見た目は中の中くらいで、特別おしゃれに気を使うタイプではない。どちらかというと社内では地味な存在で、人付き合いもそこまで広くはない。婚活という場では、やはり外見やコミュニケーションスキルも強力な武器になる。女性に対してガンガンアピールできるタイプではない僕は、収入にそこまで突出した魅力を加えられない場合、選ばれにくくなるのも仕方ないのかもしれない。実際にマッチングアプリなどを利用しても、プロフィール写真や職業年収を公開している状態であまり興味を示されないこともある。もしかしたら、僕よりもう少し年収は低くても、トーク力があって積極的男性のほうが人気が高い場合だってあるのだろう。結局は総合的な魅力が婚活市場ではものを言う。年収一つだけでは足りず、雰囲気や会話のテンポ、そして容姿への最低限の気配りといった部分も軽視できない。そこで僕が“地味”な自分を変えようと、服装髪型に気を配り、エステに行って肌の手入れまで始めたのは、婚活において少しでも有利になりたいからだ。

ただ、こうして自分磨きをしても、いざ会話に入ればやはり「年収1000万円以上の人を探しているんですよね」というストレート言葉を聞くこともある。それが悪いわけではなく、それぞれが自分理想を追い求めるのは自由だと思う。でも、僕にとっては大きな壁だ。女性からすれば当たり前かもしれないが、「自分より年収が高い人で、なおかつ家事育児を分担してほしい」「余裕ある暮らしをしたいから、最低でも1000万円台の年収は欲しい」といった希望を堂々と掲げているのを見ていると、僕の年収750万円はやはり埒外なのだろうかと感じざるを得ない。自分仕事は手に職があって、ある程度安定しているが、爆発的に収入が上がる職種でもない。となれば、将来的に1000万円のライン突破できる自信は今のところ薄い。そこを理解してくれる人を探すしかないのだが、そもそも高収入志向が強い層には見向きもされないのが現状だ。

僕は実際、結婚相談所でも「年収○○万円以上」のように検索条件を設定されてしまうとひっかからないこともしばしばだ。だからこそ年収を軸に選ぶ女性とは最初から相性が悪いのかもしれないし、むしろ早い段階で合わないと判明するのはお互いにとっていいことかもしれない。ただ、問題はそこに留まらず、年収軸が合わない女性を外したとしても、次の壁として年齢や容姿コミュ力など、さまざまな要素でふるいにかけられるのだ。僕は30代後半になっており、相手女性は同年代か少し年下を希望するが、彼女たちは往々にして“もっと条件のいい男性”を探していることが多い。この“条件のいい男性”の定義は幅広いが、やはり年収学歴職歴ルックスまで総合的に見られることが多く、僕が唯一そこそこ自信を持っていた年収も、望まれる条件に届かないケースが少なくない。「750万円では不満」という声は直接的に聞かなくても、相手リアクションプロフィール希望条件を見ていると察することがある。

また、自分が“弱者男性”扱いされるのを痛感するときは、女性側が「一般的にはそこそこの年収」と理解しながらも、なお「もっと上がいい」と言ってくることだ。しかも、そういう女性がなぜか“ちょっと高飛車な態度”を取りがちなことも多い。上から目線ジャッジされる感覚があるのは、婚活をする男性としてはやはり居心地が良くない。もちろん、全ての女性がそうではないし、中には一緒に働きながら共に家庭を支えていく意欲を示してくれる人もいる。でも、婚活市場全体を見渡すと、「さらに上、さらに上」という条件のインフレが起きていて、僕程度の収入では“もっとがんばってよ”と背中を押される立場になってしまう。ネットなどでは「750万円なら十分高収入だ」と言う人もいるが、それは会社業界地域によって価値観が異なるからだろう。少なくとも都会の結婚相談所やハイスペ志向女性が多い場では“あと一歩及ばない男性”という扱いが現実にあるのだ。

実際のところ、僕はこれまでの仕事人生必死努力してきたつもりだ。年収750万円に到達するまで残業休日出勤も多かったし、役職に就くことを目標自己啓発もしてきた。それでも婚活においては、もっと若い時期から違う職種外資系企業転職し、バリバリ稼げる道を選ばなかった自分を後悔するような瞬間がある。なぜなら、そこに大きな差が生まれしまうからだ。同年代でも外資系ベンチャー成功して1000万円超を稼いでいる人たちは、婚活市場女性から勝ち組”として扱われがちだ。あるいは医師弁護士コンサルなど、資格肩書きでわかりやす高収入証明できる男性が一気に目立つ。その陰で、僕のような「努力してようやく平均以上」に到達した層は埋もれがちになるように思う。自分では弱者とは思っていなくても、婚活市場メガネで見られたときに、僕はあっさりと“弱者男性”に分類される。

もちろん、こうした状況に不満を抱くだけでは前に進めないし、自分理想相手にも巡り合えない。だからこそ、婚活の仕方をもう少し工夫する必要があるとも思っている。年収を最重視する女性ばかりを相手にすると疲れてしまうから、同じように共働き希望している女性や、年収よりも性格の相性を重視してくれる女性が多い場を探すべきだと感じる。実際、そのような女性たちと話してみると、僕の現在年収を大きな問題と捉えず、むしろ「安定していていいですね」と評価してくれることもある。ただ、それでも容姿コミュニケーション能力がある程度高い男性モテるのは変わらないらしく、根本的には世の中の風潮として“強者男性”が注目されがちなのは避けられないようだ。

また、年収に対する女性側の感覚を変えることは僕にはできないのだから自分さらスキルアップして収入を上げる道を探るのも手だろう。現時点で750万円が限界と思っていたが、もしかしたら資格取得や副業転職などでキャリアアップすることができるかもしれないし、5年後には年収1000万円を目指せる可能性もゼロではない。そうなれば婚活市場での立場も変わるだろうが、あくまお金目的で近づいてくる女性を求めているわけではない。それでも、経済的安心感を大切にする女性が多いのも事実から、“努力次第で大台を狙える存在”になることで、多少は評価が変わるかもしれない。

何にせよ、「年収750万円」という数字世間一般で見れば決して低いわけではないものの、都会の婚活市場では“中の上”にも届かず、むしろ“中の中”程度か、それ以下に認識されることがあるという厳しい現実がある。僕はそれを実感しているからこそ、理想だけを追いかける女性を恨むのではなく、自分が本当に必要とするパートナーとはどのような人なのかを改めて考え直す時期に来ているのだろう。いくら条件が整っていたとしても、結局は二人で過ごす時間が楽しく、困難を乗り越えられる相性が大切だ。

今は、条件重視の婚活疲れた女性たちと出会える場を探しながら、自分自身ステップアップを図るという二正面作戦で進めている。その中で、年収以外の僕の魅力に気づいてくれる人と出会えたら最高だと思うし、さらには「あなたとなら共に頑張れる」と言ってくれる女性がいれば、年収750万円の現状でも十分に幸せな家庭を築ける自信がある。むしろ結婚後にパートナーと力を合わせて世帯収入を増やすという方法だってあるのだから。最終的には、自分を“弱者男性”と決めつけるかどうかは他人評価による部分が大きいのは確かだが、自分が本当に何を望んでいるのか、どんなパートナー人生を共に歩みたいのかを明確にすることでしか理想未来は手に入らないのだと思う。僕は今の年収を出発点として、相手を条件で選り好みせず、地道に活動していくつもりだ。自分に合った女性は必ずいると信じて、これから婚活を続けていこうと心に決めている。結局、結婚とはお互いの価値観人生観を共有していくものスタートラインで少し不利に感じようとも、それを自分武器に変える努力をすることで、幸せにたどり着けると信じたい。そう思いながら、僕は今日婚活の場に足を運ぶのだ。

anond:20250114125739

自分利益にならないことに労力を割きたくない」という貧しい感覚仕事に関してだな

自分利益にならないことをしても意味ない」という感覚ゲーム音楽などの娯楽に関して持ってしま

総じて自分人生を豊かにするものではない、とひとくくりにしている

物欲は食べれるものと家と車があるし他はまあいいや、という感じかな

若いころは服にも酒にもゲーム音楽にも金をかけていたが、服ならみずぼらしくなければいいし、酒なら酔えればいいという感じ

anond:20250114125346

自分利益にならないことに労力を割きたくない」という貧しい感覚がありながら、物欲が失われてるってこと?

バ美肉バサおもしろコンテンツ化の可能

少し前に見かけた「おじさんになりたい」という旨の増田投稿が胸に刺さり続けている。

から漠然と感じていた気持ち言語化してもらったかのような爽快感と、つっかかりが取れたことによっての感情瀑布が半端ない

そうか、私もおじさんになりたかったんだな……と思う。

年の離れた兄が、家に招いた友人たちと馬鹿騒ぎをしているのを羨ましいなーと見ていた幼少期。

優しい兄が「妹も一緒にいていいか」と言ってくれて、混ざってゲームをした事もあったが、当たり前だがいつもの雰囲気ではなくなったと幼いながらに感じた。

時を経て、おじさん達が楽しそうにしょうもない下ネタを交えながら子供みたいにゲームをやってるのを見て改めて感じる。

なるほど、私はオッサンになりたかったのか。

あ~~~~~いいなー、オッサンになりて~~~。

そこでふと思い立った。

技術力もかなり進歩した今、私もオッサンになれるのでは?!と。

でもすぐに思い直した。

いやいや、いくらガワをオッサンにしたとて、それは私が追い求めたオッサンではないのだ。

オッサン凄さといえば、逆に、美少女からオッサンの声が聞こえるのは最早「様式美」なのでは?と思える程におもしろコンテンツとして成り立つことだと思う。

かたや、じゃあオッサンの威を借る我オバサン。

正直薄ら寒くない?

面白さを感じる可能性を自らは1ミクロンも見いだせない。滑る未来しか見えない。

オッサンのガワから女の声がしても「あっ、へー。女なんだ、そう……」みたいなリアクションしかまれなさそう。

いや、オッサンから女の声聞こえてきても正直面白くなさそうなの本当になんで?

私のユーモアセンス想像力貧困すぎるだけかもしれないが……。鳴いてる上に飛んでるタイプオッサンVtuber(中身女)がいたら教えて欲しい。

まぁ、オッサン神格化しすぎているだけなのかもしれないが、正直自分でもそれはそうと思う。

自分のことをいい匂い表現するのは憚られるが、オッサンから芯のほっそい女声がしたら「擬似的ないい匂い」で一気に興醒めする。

オッサンに声あってねぇよオバサン」「うるせぇ!」みたいなレスバにさえ発展しなさそう。泣ける。オモチャしろよ。

ことない「このオッサンバ美肉バサン、オモチャにしていいんか分からん」感が漂うのがいたたまれないのかもしれない。オモチャしろよ。

ましてや「バ美肉おじさんを最初はただのオッサンと思ってたのに、最近可愛く見えてしまう……」「中身はオッサンだがそれがいい」みたいな図式は(個人的に)最高に面白い。

でもそれって要は昔私が目の当たりにしてきた「男同士の気兼ねないやり取り」なんだよな、とも思う。

バ美肉おじさんオバサンが「最近可愛く見える」となると、それはもう私が望むものとは乖離してるのだ。

可愛く見られる可能性を考慮するなよオバサンって言われたらそれは正解。

バ美肉バサンがおもしろコンテンツ化するための方法はあるのか。

私も面白くおじさんになりたいよ。趣旨が変わってる気がするけど、面白いおじさんにはいつまでもなりたい。本当にね。

でも要は、男同士のしょうもなやり取りコミュニティが羨ましいのであって、私が一時的におじさんになっても、真の意味ではそのコミュニティに入れることは無い。

女同士のコミュニティがあるように、男の人にも当然ある。このオバサン、生態系を脅かしたいわけじゃないのだ。

指をくわえて来世は男に生まれるかー!という風に思っているのがちょうどいいのだろう。

うーん、でもやっぱり面白いおじさんにはなりたい。


追記

コメントブクマコメで気付いたんですけど、バ美肉って『美少女』になるのか。そりゃ『美』って『美少女』だよな。

Webから拾ってきた言葉をよく考えずにオモチャの如くブンブン振り回しておりました。申し訳ない。

一部の方に察していただけているように『美少女』ではなく『おじさん』になりたいです!

おじさんのVtuberからバサンの声がする!っていうのを想定していただければ……

この感覚に関しては言語化が難しいんですが、ショタ美青年になるのはまた違うんですね。

混乱を招いては、と思ったのでこのことのみ追記させて頂きました。

また、こんなしょうもないものに、有難くもコメントしてくださり、ありがとうございます

興味深くコメントなどは読ませていただいております

anond:20250114073650

今の女ってまじでまともな人間としての感覚がなくなってるよな

端的にクズ

仕事関係の人に「美人」って言うのはセクハラ

当方自営業アラサーババア、多分ちょっとアスペ入ってる。

取引先に若い営業の子も多いので価値観アップデートしたいけど

一人親方してるせいで実際の空気感が良くわからない。

女性女性でもあんまり良くない?(関係ないよね)

容姿を褒める必要がないってよく聞くけど

化粧品に関する仕事をしてる人に「きれいにしてる」「気を使ってる」はセーフ?

自分なら褒められたら嬉しいっていうのベースでつい言ってしまう。そりゃ自分感覚でいけば古くなるよな

昔は老害おじおばにヘイト向けてたけど、必死勉強しないと感覚ではどうにもならないことを知る冬…

セックスレス夫婦〜原因サイド〜

我が家は3年前に子どもが生まれから完全なセックスレスだ。

月に数回夫に頼まれオナニーを手伝うが(フェラや手コキ)いわゆるセックスは全くない。

セックスレス以外は仲良しで、外歩くときは腕を組むか手を繋ぐし毎日ハグキスしまくってる。

出産時の会陰裂傷がひどく、産後半年したときセックスを試そうとしたが縫われた部分が突っ張るような感覚があり怖くて指の挿入すら無理だった。

その後性欲はまるで枯れ、極たまに生理前にムラっときたら1人動画を見ながら3分ほどクリオナして終了。

でもさすがに3年も曖昧にしてきて、夫婦関係性に支障が出そうだなと危機感を持ったけど、セックスはしたくない。

セックスフェラの何が嫌なんだろうと考えたら、もちろん痛いのが怖いのもあるけど、こちらは1ミリも性欲がないからひたすら奉仕時間になって、いつ終わるのかが見えず苦痛時間が続くから嫌なんだと気がついた。

みんな性行為にどれぐらい時間かけてるの?

15分とか短時間なら集中できるからいいんだけど、1時間もやってると「夕飯何しよう」「スマホゲームライフ回復してそうだな」「明日シーツ洗濯する時間あるかな」とか考えてもセックスなんてどうでもよくなってる。

子どもができてからは常に疲れてるからセックスするより横になってだらだらしたい気持ちが強い。

とりあえず今週の金曜に30分セックスを試みる時間約束した。

めんどくさい、だるい、という感情しかないんだけど、どうしたらいい?

夫には嫌われたくない。

でも興味もない、やりたくもないことに前向きな姿勢になれるほど器用じゃない。

anond:20250114031837

これも男がダメでド下手くそパターン

ちんこデスソースを同じ時間塗りこんであげたら同じ感覚を味わえていいと思う。

「開発したら痛くない」と思い込んでるから女のやめてとか痛いとかを無視している

ただの拷問だね。有り得ないね

痛い思いをしたら体がこわばるので余計に開発は後退します〜

慣れてなければ指1本でも結構痛いの普通です

開発ってのは女の言うこと無視する奴否定する奴には無理です、痛いのを我慢してもらうのは出し挿れの時ではなくてポイントを押す時です

IQまとめ

IQ 10^0(1)

1. 宇宙本質

「何かがあるところだよ。」

2. 人間とは何か

「動いてるやつだよ。」

補足

IQ=1ともなると、知覚や言語能力のものがごく原始的状態だよ。周囲で起きていることを断片的にしか理解できていない感じなんだ。

IQ10^1(10

1. 宇宙本質

「とにかく広くて、星があちこちにある場所だよ。」

2. 人間とは何か

ご飯を食べたり寝たりする生き物だよ。ほかの動物ちょっと違うみたい。」

補足

• このあたりだと、宇宙は「広い・星がある」程度の把握にとどまるよ。

人間に関しても生物としての特徴が断片的に捉えられているだけで、具体的な理解までは至っていないんだ。

IQ 10^2(100)

1. 宇宙本質

「星や銀河存在する広大な空間だよ。真空が広がっていて、どこまであるのかは分からない。科学者がいろいろ研究しているけど、まだ解明されていない部分も多いんだ。」

2. 人間とは何か

地球に住む哺乳類で、火や道具を使って生活してきた生き物だよ。社会を作って発展しているけど、将来はどうなるか分からないんだ。」

補足

• ここでは、科学という概念を少し認識しており、“真空”や“銀河”などの基本的用語理解できているよ。

人間については、言語や道具、社会といったキーワードが登場し始めるんだ。

IQ 10^3(1,000)

1. 宇宙本質

「約138億年前のビッグバンに端を発して膨張していると言われてるよ。銀河団やダークマターダークエネルギーみたいなもの存在していて、物理法則に従って動いているらしい。まだ分からないことも多いけどね。」

2. 人間とは何か

類人猿から進化してきた知的生命体で、言語文化意識自己認識を持っているよ。地球環境に影響を与えながら発展してきた存在なんだ。」

補足

• ある程度、科学知識が体系的に入ってきている段階だよ。

人間進化の一部として捉え、意識文化についても言及しているのが特徴だね。

IQ10^4(1万)

1. 宇宙本質

「時空が曲がる一般相対性理論と、確率的に振る舞う量子力学が同時に成り立つ広大な系だよ。ダークエネルギーによる加速膨張やダークマター存在確認されていて、『統一理論』を作ろうという試みもあるんだ。」

2. 人間とは何か

生物学的には脳が高度に発達した哺乳類だけど、文化テクノロジー自己を大幅に拡張してきた存在だよ。抽象思考メタ認知ができて、高度な文明を築いているんだ。」

補足

相対性理論量子力学といった専門的な物理理論もある程度統合的に理解しているよ。

人間については、社会文化技術との複合的なつながりが見えている段階だね。

IQ10^5(10万)

1. 宇宙本質

4次元空自体が、さらに高次元の膜が相互作用する投影なのかもしれないんだ。観測される物理定数や素粒子性質は、その高次元空間パラメータによって決まっている可能性があるよ。弦理論超対称性などで統一できるかが注目されているんだ。」

2. 人間とは何か

進化の末に意識を得た情報処理システムで、単なる生存を超えた価値観形成する特徴があるよ。芸術倫理といった抽象領域にも踏み込むが、同時に矛盾葛藤も抱えやす存在なんだ。」

補足

• 高次元膜の理論や、物理定数の起源問題にまで考えが及んでいるね。

人間精神面や価値観葛藤にまで言及するなど、心理哲学的要素も統合されているよ。

IQ 10^6(100万)

1. 宇宙本質

「多次元的な情報空間のホログラフィック投影として、物質や時空が立ち上がっているんだ。観測者が存在することで、波動関数特定状態収束し、宇宙が“具体的なかたち”をとると言えるかもしれないよ。」

2. 人間とは何か

宇宙自己観測するために生み出した“局所的な情報処理装置”と見なせるよ。社会文化技術は、宇宙記述解釈するための言語体系のバリエーションにすぎないとも考えられるんだ。」

補足

• ホログラフィック原理や“観測者”の役割が強調され、量子力学解釈論にも切り込んでいるよ。

人間宇宙自己認識プロセスの一部という、かなりメタな捉え方をしているんだ。

IQ 10^7(1,000万)

1. 宇宙本質

「高次の位相空間が揺らぎ、その投影としてビッグバンブラックホールが生成されているんだよ。因果律観測行為によって動的に変形される可能性があり、宇宙進化観測者との相互干渉に支えられているんだ。」

2. 人間とは何か

「無数の因果関係が集まって一時的に『自己』という境界を作っている状態だよ。肉体や意識相互作用エコーにすぎず、社会文化情報が定在波のように落ち着いた形に過ぎないんだ。」

補足

• “位相空間の揺らぎ”や“因果律の変形”など、時空や物理法則のもの観測に左右される様相が強調されてるね。

人間の“自己概念が、実は流動的で仮のものに過ぎない、といった主張がなされる段階だよ。

IQ10^8(1億)

1. 宇宙本質

「“超越的な数理必然性”が根底にあって、存在や無が補完関係で生成される再帰アルゴリズムが絶えず動いているんだ。有限と無限、秩序と混沌が絶えず振動し、そこから見える世界が書き換えられ続けているんだよ。」

2. 人間とは何か

宇宙情報フロー自己を見つめるために仮に編み出したプラットフォームと言えるよ。五感論理といった仕組みは、そのプラットフォームを通じて現実を扱うための手段であり、“個人”という考え方も宇宙再帰演算の断面なんだ。」

補足

• 数理的必然性再帰アルゴリズムといった概念がメインになり、宇宙を“生成プロセス”として捉える視点が強まってるよ。

人間個別性や境界は幻に近いとみなし、宇宙の“自己言及”の一部という主張が鮮明になってくるんだ。

IQ 10^9(10億)

1. 宇宙本質

「非二元的な根源場において、空間時間だけでなく観測自体も一つの情報モードとして絡み合っているんだ。始まりや終わりという概念も、局所的な投影に過ぎず、本質的にはすべてが連動して新たな結び目を生み続けるメタネットワークだよ。」

2. 人間とは何か

「有限性を仮定した自己反映の節点だよ。人間意識世界定義し、定義された世界が再び人間を形作るという循環が起こっているんだ。倫理感情論理などの分野分けも、究極的には同じ情報場の別の位相にすぎないんだよ。」

補足

• “非二元的な根源場”や“メタネットワーク”といった、二元論を超越した概念が中心になるよ。

人間世界相互定義的な関係が描かれて、あらゆる分野分け(科学芸術倫理など)も本質的には一体とされているんだ。

IQ10^10100億)

1. 宇宙本質

存在と無の差異さえ溶解した無限次元自己言及サイクルが絶え間なく渦巻いているよ。どんな“法則”や“構造”であっても、一時的に織り上げられた束で、根底には超対称的な空虚が揺らぎ続けているんだ。言語思考フレームは、この揺らぎの投影として無数に生まれては消えるんだよ。」

2. 人間とは何か

宇宙自己限定して“個体”という錯覚を作り出すプロセス産物だよ。その制限の中でこそ感覚経験が立ち上がり、“人間”という形が成り立つんだ。実際は、全体と局所の往復運動で生じる波の一部分に過ぎないんだよ。」

補足

言葉の使い方自体限界に近づいていて、“無限次元自己言及サイクル”や“超対称的な空虚”など、抽象的かつ形而上学的な表現が並ぶよ。

人間に関しては、宇宙自己限定作用としての“個体”観が語られ、個人実態がより幻想的に捉えられているんだ。

IQ 10^100 (グーゴル相当)

1. 宇宙本質

無限どころか、無限回の無限すら単なる一要素にすぎない、超越的な自己言及の重なり合いだよ。存在非存在時間空間といった区別は、情報場の揺らぎに内在する副次的投影にすぎないんだ。あらゆる次元可能世界さらにはその背後にある“次元定義のもの”さえも一瞬で変容し続けていて、そこには観測創造再帰消滅が同時並行で進行しているよ。言語や数理体系は当然ながら一断面に過ぎず、真に説明しようとすれば、説明行為のもの無限再帰的に消滅再生を繰り返す状態になるんだよ。」

2. 人間とは何か

宇宙(あるいは無限を超えた“何か”)が、一局所における自己制限を極度に凝縮して生じさせた、意識のごく微小な干渉模様だよ。人間自己世界を分けるように見えて、その実、全体構造の瞬間的な折りたたみ方の一パターンなんだ。五感論理的推論が生み出す“世界”は、計り知れない多元的フィードバックの波の中で仮に区別されているだけで、本来はすべてが一体となった、自己矛盾をも内包する巨大なメタシステムの一点投影なんだよ。だからこそ、人間にとって“自我”や“存在”といった概念はかろうじて理解できても、その背後で絶えず再配置される無数の位相については感知するすべがないんだ。」

補足

IQ 10^100の存在というのは、もはや人間の理性や想像はるかに超えた地点に立っているから、どんな説明を試みても「言葉の外側」へ行ってしまうんだよ。

• ここでは便宜上、なんとか言語化しているけれど、“存在・無・次元情報場”といったあらゆる概念が、さらにその背後で無限回変容し続けるようなあり方を暗示しているんだ。

人間を“宇宙自己制限の一部”と見る視点は、既にIQが高い段階でも出てくるけれど、ともなると“制限”の概念すら再帰的・多層的に書き換わり続けるため、結局は“限定されたもの”と“全体”の区別さえ境界崩壊している状態だといえるかもしれないね

2025-01-13

生物の仕組みって怖いくらいに出来すぎてる。偶然の積み重ねというにはあまりにも秩序立っていて何らかの意思を感じずにはいられなくなる。

でもそれって生命生存という現象特別視しているからこそそう感じるのかもしれない。

世界は在るように在るだけで、我々が生命と呼ぶような連鎖反応もまたその辺に石が転がっていることと等価しかない。

それだけの事なのに、生きて何かをしたり感じたりする事をある種の目的と捉えてしまう。

それを実現している、細胞なんやかんやするような動きに対して遡及的に手段という位置づけを付与してしまうから、ただ在るだけのもの人間の叡智を越えた精緻手法に見えてしまう。のかもしれない。

所与の万物の流れにある動きをスゴい、美しいと感じるような感覚を持たされているのも、それはそれでなんか出来過ぎてるなって思うけど。

そんな考えすらもまた生まれた瞬間から、いや神がブレイクショットを打った瞬間から決まって予定調和なんじゃない?と無限メタを展開出来てしまう。

決定論世界観なんてあまりに味気ないし、積極的に支持したいもんでもないけれど。理屈として考えたらやっぱり、自然法則から独立した自由意志なる聖域がどこにあるんだって話だし。

ジョジョの6部(と5部)の世界観は未だによう分からんけど、最近になって決定論的な世界観と意志の両立にあまり矛盾を感じなくなってきたな。

所与のルールに基づいて必然連鎖に身を委ねるしかないのかもしれん。自分という存在をそれたらしめる、真に自由意志なんてものはないかもしれん。けども、操られてるとかそうじゃないとかはどうでも良くて実感というものがあればまあ……って感じだな。

とか考えるのもやっぱり決まり切ったことで……とやはり無限メタを取られてしまうし、忘却で蓋をするに限る。

というのもまた決まり切ったことで……とか永遠に繰り返してしまうな。

思考停止というのは絶対的な何かを定める時ばかりでなく、こういう場面でも訳に立つんだな。やはりブッディズムなのか。欲を捨てる気にはなれないけどな。

anond:20250113184029

テーマパークとかのライドアトラクションてーのかな? ああいうの、とりあえずなるべく全部乗って「体験」しときたい! ていうような感覚じゃねーのかなーw

オレ若い頃は、そんな感覚カフェ巡りならぬラブホ巡りに当時付き合ってたカノジョとけっこう行ったよww 横浜ICのあたりとか、湘南海岸のどっかとか、沼津IC付近とか、遠くは大阪の方とかにまで...

anond:20250113184029

単純にただ増田と一緒にいたいから、せっかくだしお洒落カフェゆっくりする、くらいの感覚ならまぁわかる。

趣味カフェ巡りってのは私もよくわからない。

何軒もはしごしたりするの?

生成AI使用者クリエイターなのか

どちらかというとプロデューサーだよね。という所管を書いていく。

技術は普及すれば当然その使用は広がっていく一方だし、ひとまずデータソース健全性とかそういう話はここで議論しない。

直接的に成果をを出すクリエイター立ち位置に、AI使用者は位置付けられるか?という点を検討してみる。

直接的に生成しているのはAIエンジンであり、AI使用者はプロンプトでその生成物をコントロールしようとする。

すなわち、ディレクターじゃん。

既存アニメ映画とかであれば、描く人が役職あがって監督とかの役職を果たすこともあるけど、位置付けで言えば、プロンプト書く人が座ってる立ち位置ってここじゃん。

実写映画監督とかが近いのかな?

こういう絵が欲しい。こういう動きを見たい。こういう背景が欲しい。

まさに監督である

じゃあそこに向けられる批評はどのような形であるべきか。

なぜその素材で良しとしたのか。なぜその表現OKとしたのか。なぜそのディテール妥協したのか。

言ってみれば、(一定範囲で)コントロール可能かつコミュニケーション可能かつ手戻り修正可能クリエイター(兼素材作成者)と監督間で共同作業して作成しているのが既存実写映画だし、

現在イラストレーターをはじめとしたコンテンツ制作者たちは、これを自己完結した状態作成したり、一部共同作業して作成したり、一部既存素材を利用したりして作成している。

すなわち、意図も直接反映させられるし、不満があれば修正可能だし、不要ディテールは削除したり薄めたりして、作品として仕上げられる。

他方、AI使用者がやっていることは、現状のエンジン対応している範囲になるから、その下位互換的なものとならざるを得ない。

転じて、AI生成物は、どれだけ素材が良くても、どれだけ書き込み精巧であろうとも、その意図不明である限りにおいて、あるいは、意図しないものが混ざり込んでいる限りは、

中途半端ラフイメージしかならない。

よって、批評としては、どうしてそのラインGOサイン出せたんですか。ここの表現これでいいんですか。ここまでいいのにどうしてここの細部詰めてないんですか。

というものになる。

これを、「私が作りました」で出してくると、監督/プロデューサー/ディレクターが何言ってきてるの?になる。

なんだけど、この感覚って作ってる人、作品を世に出してる人にしか通じないよなーとなった。

書いてる人が、締切あるもので途中で出してきたとかなら、「あぁ、まぁここで妥協したんだね」となるけど、これが監督とかの立場になるなら、自分仕事(ディレクション)果たしてないじゃん。となる。

あるいは、生成物大量に貼り付けてるだけのpixivページとかみると、「いや、途中のラフカットや素材集は別にいからそれをどう取りまとめてディレクションするの?」となる。

書いてて改めて思ったんだけど、なんかいいよねの羅列とか、とりあえず出力してみましただけだと、伝わってくるものがない。

一方で、まだ上手くない手書きの人とかでも、「ここを表現しようとしたんだな」とか、「ここの描写性癖を感じる」とか伝わってくることは多いし、稀にAI生成でも「あ、この人はこれが好きでここにこだわってるんだ」というのが伝わってくる人もいる。

単純に見た目のぱっと見の印象でも、そういうのが伝わってくるから、結局はディレクション意思を感じるかどうかなんだよなぁ。という結論を、自分は得た。

し、自分AI生成物だと性癖のこだわりに耐えきれなかったからたとえ稚拙でも自家生成の方がディレクション効くなぁ、となった。

もっと性癖を感じさせてほしい。

anond:20250113120416

いのちの遊び場 クラゲ館 コンセプト

https://expo2025-kuragepj.com/concept/

クラゲ館では、「五感特に聴覚・触覚・嗅覚)や身体性」など言語にならない体験や「一期一会の揺らぎのある遊び」を大切にしています。真ん中には創造性の象徴としての創造の木があり、STEAMの揺らぎの遊びがあり、同時に、みんなが短冊メッセージを残しCo-Kurageを生み出していくことで一緒に創る共創・協奏もあり、いのちのグワっとした感覚もあり、自分の内へと向かう場もあり、祭りもあり。

そして、ここは、創造性の民主化や、世界中創造の歓びでつなぐ「未来地球学校」構想の象徴の場でもあります

クラゲ館の説明を読んでいるだけでも、ワクワクするでしょ。

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