はてなキーワード: サッカー王国とは
地歴の先生をやっているから、歴史ジョークや歴史絡めた面白い(と思う)嘘は絶対に言わないようにしている。みんな普通に信じちゃうからだ。
昔、修学旅行で奈良の東大寺に行った時に「大仏は江戸時代の再建だけど、フラッシュ撮影すると塗装や螺髪っていうパンチパーマ部分がボロボロ取れる可能性があるから写真撮影は園内一律禁止されてるんだって」ってバスでみんなに嘘説明してみんなの思い出の一つを奪った経験があるから、歴史を教える立場になった以上絶対に冗談はダメだなと思う。
コツは、ちょっと本当のことを混ぜることだ。
この他に、板垣退助の弟は進助といい大隈重信のコックをやっていた話とか、今川義元の子息氏真が蹴鞠の名手だったため静岡県がサッカー王国になった話だとか、政所の読みを考えながら北条政子の読みを考える話とか。
http://anond.hatelabo.jp/20151214092241
大政奉還し駿府に事実上の軟禁状態になった徳川慶喜が、天皇制打倒のために密かに興したのが駿府王国。
事実上のゲリラ組織で、多趣味だった慶喜が西洋から取り入れたフットボールを組織の情報共有の隠れ蓑に使った。
慶喜の遺志を継ぐ直系の子がいなかったので、組織内での公選王制がとられ、戦後に至る。
戦後のどさくさで警察や行政に食い込んだ組織は、教育委員会を乗っ取り県民にサッカーを強要、サッカーを通じた県民の組織化を図る。
「サッカー少年団」という組織がそれで、彼らが大人になるにつれ次第にサッカーの優劣が身分の優劣につながり、「サッカーやらずんば人にあらず」というサッカー王政が形作られていった。
日本政府はもちろんすべて否定していて事実を隠蔽しているけど、県内ではサッカー王国は実態を伴う組織で、サッカー手帳という事実上のパスポートもある。
Jリーグ元年は県民にとっては事実上の独立元年で、県内では平成でなくJリーグ歴を使っている。
ただ、反体制派(民主派と天皇制支持派の寄り合い)のテロが激化して、その結果はいまのエスパルスとジュビロの体たらくにつながっている。
対磐田リーグ通算対戦成績16勝5分22敗で迎えた第30節ジュビロ磐田vs清水エスパルス
ジュビロ磐田はヴァンフォーレ甲府と静岡ダービーの試合結果によっては今節で降格が決まる。
清水エスパルスサポーターにとっては今までの屈辱を晴らす一戦でもあった。
実際には試合開始前にはヴァンフォーレの引き分けは確定しており今節で降格は免れていたが…
磐田サポーターの間では、Jリーグ設立時に磐田の前身であったヤマハ発動機がJSL一部(当時)屈指の強豪であったにもかかわらず、「市民球団」を標榜する清水に参加権をさらわれた、という意識が未だに根強く、清水戦を特別視する人も多い。一方、清水サポーターはサッカー王国・清水としてサッカー文化が根付き各年代に代表選手を送り込み“サッカー王国”といわれる静岡を牽引してきたのは清水という自負がありJリーグ参加チームで唯一“サッカー王国静岡・清水”という名前のみで参戦できたことを誇りに思っている多くのサポーターがいる。
Jリーグ加盟に際して、ヤマハサッカー部も当初は初年度からの加盟を目指そうとした。しかし、清水市(現・静岡市)からも市民組織のクラブチーム・清水FC(エスパルスの母体)が結成され、Jリーグ加盟を目標に立てていた。
だが全国大会の出場歴が全くなく、資金や選手補強などの面で劣る清水FCに対し日本サッカー協会のプロ化検討会は経営資金力強化、並びに当時は静岡県に複数のチームを加盟するのは時期尚早ということでヤマハサッカー部とのチーム統合を提案するが、ヤマハはあくまでも単独チームでのJリーグ参加を目指すとしてこれを拒否。
またヤマハ自体もプロチーム設立へ向けた法人化の手続きや、ホームスタジアムの整備などの準備面で清水に遅れをとったのが災いし、結局初年度参加メンバーから落選することになる。ヤマハはこの後1992年に地元企業やマスコミ団体などとの協力によりプロ化を念頭に置いた「株式会社ヤマハフットボールクラブ」を設立し、1993年にジャパンフットボールリーグからJリーグ昇格の権利(2位以内)が与えられる準会員制度の適用第1号(他日立→柏レイソル、フジタ→湘南ベルマーレ)となり、その年のリーグで準優勝してJリーグ昇格を決めた。
この時点においては清水エスパルスサポーター側にはジュビロ磐田に対する対抗意識はなかった。
しかしジュビロ磐田側にとってはJリーグ加盟を奪われたと思われていた。
経営面や施設面で不備があったにもかかわらず…。
1994年4月6日初めての静岡ダービーが行われる。この試合は清水エスパルスが勝利した。
しかし、5月18日から1996年4月27日まで8連敗を喫する。
さらに、1997年にはジュビロ磐田が清水エスパルスよりも先にリーグ優勝をした。
このあたりから清水エスパルスサポーターに対抗意識が芽生えてきたようだ。
ちなみに初めて「蛍の光」を清水エスパルスに歌ったのが1994年5月18日。以後ことあることに歌うようになる。
年間チャンピョンを決めるチャンピオンシップにて清水エスパルスがジュビロ磐田に負け初の年間優勝を逃す。
「俺達は清水が滅ぶまで戦い続ける磐田を見て死ね」の横断幕を掲出する。
「A name of kingdom IWATA と 今までの獲得タイトル」を記した大型フラッグを掲出する。
「A shame of kingdom SHIMIZU と Empty?」を記した大型フラッグを掲出する。
「ジュビロ磐田と清水エスパルスのエンブレムを天秤に載せた」大型フラッグを掲出する。
ゲーフラでは「J2 死水」や「ROAD TO J2」などと掲出
この事件により清水エスパルスとジュビロ磐田のコアサポ間で行われていた交流がなくなる。
「降格?嘘だよね?バーカアホメガネとジュビロくんの絵」の大型フラッグを掲出する。
「ジュビロ磐田のフラッグに穴をあけJ2」と記したフラッグを掲出する。
「J2 チャレンジ 一年生」「格下」「A Shame of Kingdom?(笑)」「片道切符の島流し」などとゲーフラを掲出する。
「勝利は続くよどこまでも」を合唱する。
Yahooニュースのコメント欄にいろいろ書かれていたので増田してみました。
今回の出来事について当然賛否があることでしょう。