はてなキーワード: 広瀬章人とは
id:BigHopeClasicです(元増田ではない)
ブコメの中に「10年前はどうだったんだろう」というのがあったので、ちょうど10年前のを同じ基準(レーティングトップ20+A級棋士)で作ってみました。
年齢別の方がわかりやすい面もあるのでそちら基準で(名前の横のカッコ内は順位戦クラスとレーティング順位です)
年齢 | 棋士 |
---|---|
50 | 高橋道雄(A級/31位) |
49 | |
48 | 谷川浩司 (A級/15位) |
47 | |
46 | |
45 | |
44 | |
43 | |
42 | |
41 | |
40 | 佐藤康光(B1/6位) |
39 | 羽生善治(名人/1位)丸山忠久(A級/4位)森内俊之(A級/9位)藤井猛(A級/12位)郷田真隆(A級/14位) |
38 | 深浦康市(B1/7位) |
37 | 木村一基(A級/18位) |
36 | 行方尚史(B1/16位)三浦弘行(A級/17位) |
35 | |
34 | 久保利明(A級/2位) |
33 | |
32 | |
31 | |
30 | 松尾歩(B1/11位) |
29 | 山崎隆之(B1/5位) |
28 | 阿久津主税(B2/13位) |
27 | |
26 | 渡辺明(A級/3位) |
25 | |
24 | |
23 | 広瀬章人(C1/8位)戸辺誠(B2/10位) |
22 | 佐藤天彦(C2/20位) |
21 | |
20 | 豊島将之(C1/19位) |
羽生善治(名人・棋聖・王座:三冠なので不調と半ばマジ気味にネタにされてた時代ですね)/深浦康市(王位:ちょうどこの時期広瀬章人と王位戦を戦い広瀬が初タイトルを獲得します)/渡辺明(竜王:敵なしの6連覇中)/久保利明(棋王・王将)
十七世名人の谷川については多くを語る必要もないですが、50歳でA級を堅持していた高橋道雄については説明を。
昭和55年度(1980年度)は、今とはシステムが違うとはいえ1年度で8人もの棋士が四段に昇段し、かつその中で5名ものタイトルホルダー(高橋道雄、中村修、島朗、南芳一、塚田泰明)を輩出するという将棋史上でも空前のビンテージイヤーとなりました。そこでついた名前が「55年組」です。ただ、彼らとほぼ同じ年齢の谷川浩司は彼らより4年も早くプロ入りしていたためか「谷川浩司と同じ世代」というくくり方にはされることがありませんでした。この辺は「実年齢でくくるのか」「プロ入り年度でくくるのか」というくくり方で「羽生世代」と大きく異る部分ですね(ありていにいえば「くくる側の願望や思惑」が出るところでもあります)。
さて、谷川には及ばないものの17歳18歳で早々に四段昇段した他の4人と比べると、高橋は一歩遅れて20歳で四段昇段となりました。将棋界は面白いもので、このわずかな昇段年齢の差がその後のキャリアで大きな差を生むことが知られていますが、高橋は他の誰よりも早く23歳で初のタイトルを獲得し、そしてやや早枯れの傾向のあった同期たちの中では一人熟年まで力を保ち、48歳でA級に復帰し52歳までA級にとどまりました。「棋界における世代」の一挿話として特筆した次第です。
いやもう、さすがに呆れるしかないですよね、森内こそ順位戦から撤退してフリークラスに転籍しましたが、10年後の表から名前が消えたとはいえ行方はB1にとどまっていますし藤井猛もB2でまだまだ力強さを見せています。この分厚さと力強さが、20歳年下の豊島の世代まで重い蓋になったのがよくわかると思います。
この時点ですでに、松尾・山崎・阿久津(と橋本崇載)の4人は「もう若くないぞ、そろそろ一花咲かせないとあまり時間の余裕がないぞ」と言われ始めていたはずです。とはいえ、この4人でタイトル獲得どころか挑戦に届いたのさえ山崎1人、A級昇級すらままならないことになるとはまださすがに予測されていませんでした(松尾と山崎はA級に上がれず、橋本は1回、阿久津は2回昇級したもののすべて1年でB1に送り返されています)。それでも山ちゃんを諦めない。
上記の通り、この年のこの直後に広瀬が初タイトルを獲得するのですが、その翌年羽生に奪い取られてしまいます(なお「魂を抜かれた」のはさらにその4年後になります)。
もちろん天彦、豊島は渡辺に続く新鋭としてひとかたならぬ期待はありましたけど、初タイトルはともに28歳のときでした。広瀬も含め30歳手前で「実力と実績の均衡が取れて充実の盛りを迎えた」のですが、特に豊島についてはそれでも「遅れてしまった」感はあります。
というわけで、10年前にさかのぼってみると、「渡辺の孤独」により見えてくる部分があるのではないでしょうか。というかむしろ「谷川浩司の孤独」のほうが浮かんでしまうのかもしれないなこれ、とここまで書いて思いました。
追記:
元増田と同じくレーティング上位20人+A級棋士のみ(現役棋士169人中の上位22人)の集計です。
三段リーグ出来る前とか編入試験とか含んでるので三段リーグ突破に限定すればもう少し低いとは思います。
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ブコメでプロ入り年別のほうがわかりやすそうという意見があったのでスプレッドシートでLEFT JOIN + CONCATする練習も兼ねて作った。
プロ入り年 | 棋士(プロ入り時の年齢) |
---|---|
1985 | 羽生善治 (15歳2月) |
1986 | |
1987 | 佐藤康光 (17歳5月) |
1988 | |
1989 | |
1990 | 丸山忠久 (19歳6月), 郷田真隆 (19歳0月) |
1991 | 深浦康市 (19歳7月) |
1992 | 三浦弘行 (18歳7月) |
1993 | 久保利明 (17歳7月) |
1994 | |
1995 | |
1996 | |
1997 | 木村一基 (23歳9月) |
1998 | |
1999 | |
2000 | 渡辺明 (15歳11月) |
2001 | |
2002 | |
2003 | |
2004 | |
2005 | 広瀬章人 (18歳2月) |
2006 | 糸谷哲郎 (17歳5月), 佐藤天彦 (18歳8月) |
2007 | 豊島将之 (16歳11月) |
2008 | 稲葉陽 (19歳7月) |
2009 | 永瀬拓矢 (17歳0月) |
2010 | 菅井竜也 (17歳11月), 佐々木勇気 (16歳1月) |
2011 | |
2012 | 斎藤慎太郎 (18歳11月) |
2013 | 千田翔太 (18歳11月) |
2014 | |
2015 | |
2016 | 佐々木大地 (20歳10月), 藤井聡太 (14歳2月), 大橋貴洸 (24歳0月) |
2017 | |
2018 | |
2019 | |
2020 |
年齢 | 棋士 |
---|---|
50 | 佐藤康光 |
49 | 羽生善治・丸山忠久・郷田真隆 |
48 | 深浦康市 |
47 | 木村一基 |
46 | 三浦弘行 |
45 | |
44 | 久保利明 |
43 | |
42 | |
41 | |
40 | |
39 | |
38 | |
37 | |
36 | 渡辺明 |
35 | |
34 | |
33 | 広瀬章人 |
32 | 佐藤天彦 |
31 | 糸谷哲郎・稲葉陽 |
30 | 豊島将之 |
29 | |
28 | 菅井竜也 |
27 | 永瀬拓矢・斎藤慎太郎・大橋貴洸 |
26 | 千田翔太 |
25 | 佐々木大地・佐々木勇気 |
24 | |
23 | |
22 | |
21 | |
20 | |
19 | |
18 | |
17 | 藤井聡太 |
現在の四強。
タイトル戦もほぼこの四人で回している。
藤井は既に大山康晴・中原誠・羽生善治といった「時代の支配者」の系譜に連なることが確定している感がある。
30代後半から40代前半にかけてが大きく空白になっているあたり、羽生世代による長きに渡る支配の爪痕がうかがえる。
羽生世代に対して孤軍奮闘していた渡辺を筆頭に、現在キャリアのピークを迎えた脂の乗った棋士たち。
天彦・広瀬・糸谷らは「平成のチャイルドブランド」と呼ばれた世代(もともと「チャイルドブランド」と呼ばれたのは羽生世代である)。
これまでは羽生世代に押さえ込まれ、ようやく自分たちの出番だと思ったら下から藤井が登場。
次代を担うであろう若手グループ。といってもほとんど20代後半である。
いまのところ永瀬が頭一つ抜けた感があるが、今後はまだ分からない。
20代前半の有力棋士を挙げるなら増田康宏・近藤誠也・本田奎といったあたりだが、現時点で藤井に対抗できている感じはしない。
去る12月20日・21日に行われた第31期竜王戦七番勝負第7局は広瀬章人八段の勝利に終わり、
4勝3敗で広瀬八段が羽生善治竜王から「竜王」のタイトルを奪取しました。
これに伴い無冠となった羽生善治氏の肩書きが「九段」となることが連盟から発表されました。
なんで肩書きでこんなに騒ぎになっているのか?と訝っている方や、
そもそも仕組みが分からんという方のために、将棋棋士の段位・肩書きの付け方について解説していこうと思います。
以前も増田で書いたような気がするのですが、将棋棋士の段位は四段からスタートし、複数ある条件のいずれかを満たすと昇段します。
のうちいずれか1つを達成すれば晴れて五段に昇段です。
多くの棋士はこういった昇段規定に従って四段~九段の段位を肩書きとして名乗ります。なお、原則として降段はありません。
先程「多くの棋士」と書きましたが、例外があります。全ての棋士たちの中から勝ち上がり頂点に立ったタイトルホルダーたちです。
将棋界には数ある棋戦(大会)の中でも特に権威ある8つのタイトル戦があり、「8大タイトル」と称されています。
これらのタイトルを勝ち取ったわずかな棋士だけが段位ではなくタイトル戦の称号を名乗ることが許されるのです。かっこいい!
ただし、タイトル戦の称号を肩書きとして名乗っている間(タイトルを保持している間)も昇段規定は適用され続けるため、タイトルホルダーも内部的には段位があります。
従って、今回の羽生九段のようにタイトルを全て失った場合、内部的に保持している段位を名乗ることになるわけですね。
さて、数ある棋戦の中で上記の8大タイトルを制した者だけが特別な称号を名乗るということはお分かりいただけたと思います。
更にその上で8大タイトル間にも序列があり、それによって肩書きが変わることがあります。
8大タイトルの細かい序列はスポンサーとの契約金で決まるとされているため、契約内容によって序列は変動しますが、
基本的に「竜王」と「名人」が特に格上であり、肩書きとしても他タイトルより優先されます。
以下が現時点の8大タイトル(序列順)とその保持者・段位一覧です。
現在の将棋界は8大タイトルを何人もの強豪棋士が分け合う戦国時代とされています。
今期は豊島将之八段が王位と棋聖の二冠を手にし「豊島将之二冠」と称されるようになりました。
このように、複数タイトル保持者の肩書きはタイトル保持数(漢数字)+「冠」とするのが通例です。
しかし、複数タイトル保持者が「竜王」「名人」のいずれかを併せ持つ場合は「竜王」「名人」の肩書が優先されます。
一応は竜王が格上とされているので「竜王・名人」と称されますが、名人戦を主催する新聞社の紙面では「名人・竜王」になるとかならないとか…(大人の事情)
以上が棋士の肩書きの付け方になりますが、ごく一部イレギュラーなパターンがあります。
将棋界の最高峰タイトルである「竜王」と「名人」は、タイトル保持者が失冠してから1年間「前竜王」「前名人」を名乗る資格が発生します。
私もつい最近まで知らなかったんですが、これらは準タイトル保持者として扱われ、通常の段位持ちに比べシード権など待遇も変わるそうです。
↑初タイトルの竜王を失った後に名乗るも、その4ヵ月後に棋王を獲得し、以後27年間タイトル保持を続けたので超レアな肩書き。
永世称号とは、8大タイトルのうち叡王を除く7つのタイトル戦において、連続または通算で規定の回数以上タイトルを獲得した棋士に与えられる特別な称号です。すげー難度高い実績解除みたいなもんですね。羽生九段は現行棋戦の永世称号をただ一人コンプしてます(永世七冠)。
これらの永世称号は原則引退後に名乗ることができますが、連盟に認められれば現役から名乗ることができます。
【ここまでのまとめ】
さて、前置きが長くなりましたが本題です。
今期竜王戦で敗れて無冠となった羽生善治氏の肩書きには以下の選択肢があります。
①「九段」
②「前竜王」
③永世称号の襲位
これが最も自然なもので、実際羽生氏本人もこの現段位を肩書きとして名乗る意向とのこと。
羽生氏が九段に昇段したのは1994年のことなので、九段昇段から実に四半世紀を経て初めて名乗ることになるわけですね。
Twitterとか見てると「『前』などという未練がましい肩書きを望むのはバカな政治屋か経営者だけ!羽生さんともあろう方が選ぶわけがない!」みたいな人がぼちぼちいたので、その手に持ってる板でググればいいのになぁって思いました。
既に述べていますが、羽生九段はかつて初タイトルの竜王を失った後、次のタイトルである棋王を獲得するまでの4ヵ月間ほど「前竜王」を名乗っています。
従ってこのレア肩書きが再度生まれるかどうかは(一部の)将棋ファン的にはそこそこ注目どころだったんですよ!!(そうか?)
そもそも「前竜王」の肩書きはさほどネガティブなものではなく、以前はそれなりに使われていました。初代竜王の島朗九段、現連盟会長の佐藤康光九段も竜王失冠後の1年間「前竜王」を名乗っています。
(まあ敗北が前提の称号なのであんまりカッコがよろしくないというのは分かります)
しかし、近年は資格のある棋士でも「前竜王」を名乗ることはなくなりました。
一説によると、1998年度に竜王と名人を失い「前竜王・前名人」を名乗る資格を得た谷川浩司九段が双方を辞退し、通常の「九段」表記を選択したことが影響を与えているのではないかと言われています。
さすが光速流は度量が違うぜ。
原則引退後に名乗るものなので最も可能性は低かったものの、最も浪漫溢れる選択肢でした。以下、羽生九段の持つ永世称号一覧です。
称号 | 棋戦 | 永世称号獲得条件 | 羽生九段の戦績 |
---|---|---|---|
永世竜王 | 竜王戦 | 5連覇 or 通算7期 | 通算7期(2連覇) |
十九世名人 | 名人戦 | 通算5期 | 通算9期(3連覇2回) |
永世王位 | 王位戦 | 5連覇 or 通算10期 | 通算18期(9連覇) |
名誉王座 | 王座戦 | 5連覇 or 通算10期 | 通算24期(19連覇) |
永世棋王 | 棋王戦 | 5連覇 | 通算13期(12連覇) |
永世王将 | 王将戦 | 通算10期 | 通算12期(6連覇) |
永世棋聖 | 棋聖戦 | 通算5期 | 通算16期(10連覇) |
永世七冠 | ぜんぶ | ぜんぶとる | ぜんぶとった |
さあ好きなのを選べ!!!
(おまけ)
「名誉NHK杯選手権者」←羽生九段しか持ってない激レア称号(NHK杯通算10回優勝)
「国民栄誉賞」←すごい
「将棋星人」←すごい?
羽生善治といえばやはり言わずと知れたレジェンドであり、無冠に後退してもなおこれほどまでに豊富な肩書き候補を持つという点が、人々の厨二心もとい興味関心をかき立てて話題となっているのではないでしょうか。
さて、今日のところは以上です。
最後に、
広瀬章人新竜王、8期ぶりのタイトル獲得おめでとうございます!
インターネットの片隅から両者の今後のご活躍を祈念しております!
あ、はてなの皆さんには良くも悪くも本年はお世話になりました。よいお年をお迎えください。
実を言うと「十段」という肩書きはかつて実在しました。昔、将棋棋士の最高段位は八段だったんです。
そこにタイトル戦として「九段戦」が設立され、その勝者が称号「九段」を名乗ったのですが、その後「段位としての九段」も定められ、両者が並立する時期が続きました。
その後「九段戦」は「十段戦」になり、称号「十段」が生まれ、その「十段戦」が発展解消という形で最高峰棋戦「竜王戦」が生まれたのです。
こういった経緯があるため、羽生九段がすぐに「十段」を名乗れるかというと、連盟内部のみならずかつての「十段戦」主催者(読売新聞社)など関係各所との調整が必要になるので難しいかもしれません。
将来的に新たな段位として定められる可能性は無きにしも非ずといったところか。でも響きがかっこいいね!
これは肩書きの付け方①でも述べましたが、
棋士はタイトルを保持して称号を名乗っていても昇段規定が適用されているので、タイトル保持中も規定を満たせば昇段します。
従って「六段から七段八段をすっ飛ばして九段へ」という認識であれば誤りです。
「七段・八段だった時期はあるが、名乗る機会がなかった」というのがより正確です。
あくまで「既に持っている九段を名乗る」のであって「無冠になったから九段昇段」ではないので。
昇段日 | 段位 | 適用規定 |
---|---|---|
1985年12月18日(15歳) | 四段 | 13勝4敗:史上3人目の「中学生棋士」 |
1988年4月1日(17歳) | 五段 | 順位戦C級1組昇級 |
1989年10月1日(19歳) | 六段 | 竜王挑戦 |
1990年10月1日(20歳) | 七段 | 前年の竜王位獲得による昇段 |
1993年4月1日(22歳) | 八段 | 順位戦A級昇級 |
1994年4月1日(23歳) | 九段 | タイトル3期獲得 |
23歳九段ってのもなかなかとんでもねえですが、実は今の最年少九段昇段記録保持者は渡辺明棋王(当時21歳)です。まあ昇段規定の改定も多少影響してますが。
単純に注目度が高い案件だったので話題作りもあるでしょうけど、
一発どーんと発表しておけば今後の報道における敬称表記も混乱しないのでまあよいのでは。
まあ一般的にはそれでいいんですけど、実際の棋戦運営にあたっては肩書きがそのまま棋士の序列になるのでひとまずは何か決めないといかんのですよ。
例えば今回の三択①「九段」、➁「前竜王」、➂永世称号襲位の場合、
序列は上から➂➁①となります。この序列に従って対局時の上座下座を決めたり、上手下手(うわて・したて)を決めたりするわけですね。
これに加えて、前竜王や永世称号襲位者は一部棋戦でシード権が与えられたりもするので、連盟的には「今更肩書きなんて必要ない」というわけにはいかないんですね。
連盟の内部事情はあまり分かりませんが、インターネット上では見出しでネタバレを避けた説が囁かれていますね…
いやそれにしても「当連盟所属棋士・羽生善治」とか単に「棋士・羽生善治」とかいろいろ書きようあったでしょとは思った。
そういえば以前「団体職員」という肩書きでTVのクイズ番組に出演した十八世名人(当時八段)がいてぇ…一体何内俊之なんだ…
今期の彼の調子を鑑みれば今回の竜王戦、敗れはしたものの好調広瀬八段相手に最終局まで持ち込んだのはある意味驚きだなというのがいちファンとしての個人的な感想です。ただ、全盛期と比べるとさすがに衰えは否めませんが、まだまだ強豪の一角であることは間違いないです。
参考に12/26時点のレーティング上位10名置いておきますね。
最年少は16歳(藤井)
最年長は48歳(羽生)
平均年齢は29.2歳
順位 | 氏名 | 年齢 | レート | 今年度増減 | 前年同月比 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 広瀬章人竜王 | 31 | 1927 | 93 | 153 | 今期絶好調で唯一の1900台と1位をキープ |
2 | 渡辺明棋王 | 34 | 1874 | 104 | 79 | 昨年の不調から完全に復活 |
3 | 豊島将之二冠(王位・棋聖) | 28 | 1872 | -7 | -8 | 二冠を獲得し戦国時代を一歩抜け出すか |
4 | 永瀬拓矢七段 | 26 | 1852 | 1 | 1 | そろそろ初タイトルが欲しいところ |
5 | 藤井聡太七段 | 16 | 1851 | 55 | 115 | きみほんとに高校生?周回プレイしてない? |
6 | 羽生善治九段 | 48 | 1837 | -10 | 14 | 将棋つよつよおじさん@無冠 |
7 | 佐藤天彦名人 | 30 | 1834 | 51 | 24 | 名人3期目だがそろそろ複数タイトルも… |
8 | 千田翔太六段 | 24 | 1825 | 55 | 39 | 今期8割超の高勝率男 |
9 | 斎藤慎太郎王座 | 25 | 1818 | 26 | 12 | 今期は初タイトルを獲得し飛躍の年に |
10 | 稲葉陽八段 | 30 | 1793 | -48 | -20 | 一昨年の名人挑戦者も今期は苦戦 |
有給休暇を取りました
追記
△豊島 将之八段(6勝3敗) | - | ▲広瀬 章人八段(5勝4敗) |
▲久保 利明王将(6勝3敗) | - | △深浦 康市九段(4勝5敗) |
▲稲葉 陽八段(5勝4敗) | - | △行方 尚史八段(3勝6敗) |
▲佐藤 康光九段(5勝4敗) | - | △屋敷 伸之九段(2勝7敗) |
△渡辺 明棋王(4勝5敗) | - | ▲三浦 弘行九段(4勝5敗) |
[A級成績一覧] ( )内は順位
【6勝4敗】羽生(2)
【3勝6敗】行方(5)
【2勝7敗】屋敷(6)
【挑戦権争い(挑戦1人)】
久保利明王将と豊島将之八段は、11回戦で一方が勝ち、一方が敗れれば、勝者が名人挑戦となります。両者とも勝った場合は、久保王将と豊島八段が7勝3敗で並び、この2人でプレーオフが行われます。
久保王将と豊島八段がともに敗れた場合は、羽生善治竜王と広瀬章人八段を含めた4人のプレーオフが確定。さらに稲葉陽八段と佐藤康光九段も勝った場合は6人によるプレーオフとなります。
なお、3人以上のプレーオフは、下位の2人がプレーオフ1回戦を行い、その勝者が上位の棋士と順に対戦していく「パラマス式トーナメント」で挑戦者を決めます。(上位・下位は順位で決まります)
【残留争い(降級3人)】
屋敷伸之九段の降級がすでに決まっています。さらに、渡辺明棋王、深浦康市九段、三浦弘行九段、行方尚史八段の4人うち、2人が降級となります。行方八段を除く3人は自力残留の目があります。渡辺三浦戦は直接対決です。
「渡辺棋王の残留」と「三浦九段の降級」が決定。深浦九段が敗れて行方八段が勝った場合は深浦九段が降級、それ以外は行方八段が降級。
「三浦九段の残留」と「行方八段の降級」が決定。残り1枠は深浦九段の結果次第となり、深浦九段が勝てば「深浦九段=残留、渡辺棋王=降級」、敗れれば「深浦九段=降級、渡辺棋王=残留」。