名前を隠して楽しく日記。
変態オプションをもりもりにつけて嬢におしっこぶっかけながら「おじさんにおしっこぶっかけられてお金もらう人生になっちゃったね。おじさんと変態生徒会作ろうね。」って声をかけてあげるといい。
7歳になるのに一人でご飯食べられないの……?小学校に上がる歳だよ?給食もママに一口大にしてもらうつもり?自分の見てる範囲との比較だと7歳にしては赤ちゃんすぎると思う。
焼き芋とか干し芋とかが好き。私が好きなのは硬めでモソっとした質感の、飲み物とともにしっかり噛んで食べるタイプ。パンもふんわりとかしっとりとかのリッチ系よりリーン系のパンが好き。お米もコシヒカリとかミルキークイーンとかより、ななつぼしやはえぬきみたいなさっぱりしたお米が好き。玄米や分搗き米も好き。
パンやお米はお店や種類で割と選べるからいいけど、最近の焼き芋や干し芋はしっとり系というかなんだかネチョネチョして甘ったるいものばかりが出回ってて気に入るものがなかなか食べられなくて悲しい。
J( '-` )しカーチャン悲しいよ、そんなこと言わないで
と
とが混ざるな
ハイスぺ男はテストステロンはじめ攻撃的男性ホルモン豊潤だからハイスぺ手に入れられたはず→モラハラリスク高いとかいう連想だろうか?
むしろ低スペ男のほうが暴力振るいそうってイメージもあるだろ?
女のほうがスペック高いことでこじらせるのが男なのに?
小さい頃、特別な日に出てくるカニは全部おばあちゃんが剥いてくれて、「はい、食べな」とキレイな身を皿にこんもり盛ってくれたのだと言う。
恩送りというのかな。
自分がもらった恩を他の人に送っていくことでする恩返しみたいなのがある。
なんか、そういうのを感じた。
50歳になった。性欲はさらに衰えてきてる。夏に半年ぶりくらいに綺麗な嬢で萌えたものの、2回も会うと
グダグダ。会話も最初は面白いと思ったものの、だんだん鼻についてくるというか、、、。いわく
一番のイケメンと付き合ってた
とか。顔面よし、スタイルよし、勝気な性格とそろってて、そりゃモテるわな。昔はこういうのに好感をもって
「すごいねー」とか思ってたが、ありゃチンポが喋ってたな。ふつうにウザいし、エリート意識ばりばりやし、
周囲のミジンコなんて見てない。そんなゴミ親父のチンポなめて生活してるのに、どういうフィルターで
この年になると、普通の生活してる男女と、普通の会話をするのが一番楽しくて、それが職場なんやなと
実感してしまう。深く付き合う気はない。そもそも仲良くなる気もないし、気に入られたいとも思わない。これって
それくらいの年齢だと親と自分の関係性が一番大きいからそれでもなんとかなっちゃうからだろうけれど。
あ?他責されたときはお互いに自分の正当性を主張し合ってたから、増田の姉の対応とは全く違ったものだったけれど、他責思考がそれで修正されたことはない。
そんな子供もギャンググループを構成するようになると自分が正しいみたいなことに執着すると友人関係が破壊されて結果的に損をすることに気づいたのかそういうのは減った気がする。
というわけで、甥っ子が同年齢の子供たちとそれなりに交流をするなら問題ないと思うけれど、同年齢の子供たちとの交流を遮断されているなら気になるなって思った。
あと、結局は解決できない思いみたいなのもあったりするので、真っ向から対立するよりも気分をごまかしてうやむやにする系の対応で、自分の心の処し方を教えるのもあるかもしれない。
下方婚して10年目、子どもが生まれる前にやってた副業が当たって稼いだ400万と貯金を元手に投資してたら資産5000万超えた。
別に多く稼いでる訳でもない私よりも夫の稼ぎは更に少ないが、その分欲望も薄めであまり金を使わない。仕事に生き甲斐を見出してないので出世もしないし定時で帰ってきて家事育児はしっかりする。
世帯年収は1000万も無いが出ていく金も少ないので、夫の稼ぎは丸々貯金と投資に使ってたら資産5000万超えた。
3000万投信にぶっ込んでるが、今年は+30%で900万稼いでくれたから、世帯年収は低いが高級取りがいるのと同じでありがたい。今年は特に良かっただけで今後もこれぐらいの運用成績が続くとは思えないが、総資産が5000万超えたのはうれぴい。
夫と付き合う前は高級取りのモラハラと付き合っていたが、穏やかな夫と資産を手に入れることができてよかった。
女性の多くは下方婚しないが、その分モラハラとか、家事育児しないとかのリスクが高いと思う(優しい家事育児する高級取りと結婚できた方はおめでとうございます)。下方婚いいのにな〜と思います。
漱石を引き合いに出してるので、明治から大正の頃の大衆の娯楽は……という話だと思うけど、大正にもなると、社会の中層くらいであれば、寄席や芝居・演劇、活動写真もあればレコードもある、てな時代。また、漱石なんかは新聞の連載小説ではあるけれど、それを「個人が黙読する」ことが当たり前である現代とは異なり、家族の中に読み書きできない人や子供がいることを前提に家族に「読み聞かせる」ことを通例にしていたりする場合もあった。だから、当時の人のリテラシーや知的水準が現代よりはるかに高かった、ということは、まあ、無い。
ちなみに社会の下層と言われる人々における「娯楽」について言えば、(データを基にすると)こんな感じだそうだ。
『日雇労働者問題』に収録された内務省調査によれば、かれら(日雇労働者のこと:引用者注)の半数以上が飲酒にひたっている。かれらが娯楽対象としてあげる最大のものは酒であり、そのあとに大きく水をあけられて、寄席、活動写真(映画)、タバコ、読物、女がつづいている。大衆雑誌、小説など読物の比率は酒の8分の1ほどにすぎない。新聞を娯楽とするものは、1、300人のなかでたったひとりにすぎない。もっとも、新聞は娯楽メディアとして、他のものと比較するのは無理であろう。だが、日雇労働者のなかに新聞読者がいかに少なかったかということだけは、この調査が示唆している。
新聞読者層はリテラシーなどを考えると都市の日雇労働者のなかでは1割前後しかなかったと推測される。これらの調査は大正中期~後期に実施されたものであるが、昭和初期にもこの比率にさほどの変化はなかったと思われる。