僕は子供の頃、年末に餅つきをする家で育った。 自宅の臼杵と、同居してた家族。中央の新生児がぼく。 昭和の頃の東京・九段の街はバブル前でまだ江戸の風情が残り、年末にモチをついている家は何軒かあった。 三丁目の町内会でも八百屋や酒屋の若旦那が集まった「青年団」で威勢よくモチをついていた。立ち昇る臼からの白い湯気が、年の瀬の風景として目の奥に焼きついている。 自宅の臼は、僕が生まれた年(昭和53年)に新調されたもので、「昭五三秋 かとう」と銘が彫ってあった。自分が生まれた記念に祖父が贈ってくれたかのようで、なんとも言えない愛着を感じていた。 逆さになってますが、オレンジの丸がこみ内に銘が見えます 家には大人たちがたくさんいた。 白い息を吐きながら熊のような力で杵を振り下ろす祖父や父、叔父らの姿は、大人の肉体への象徴として僕の心に憧れの刻印を残した。 寺で生き延びた実家の臼 しかし僕が大人になる前