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織田信長の妻・帰蝶は“本能寺の変の後も生きていた”と思える理由
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織田信長の妻・帰蝶は“本能寺の変の後も生きていた”と思える理由
斎藤道三の娘・帰蝶(濃姫)は、15歳で織田家に嫁ぐ。絵に描いたような政略結婚だったが、夫は〈大うつ... 斎藤道三の娘・帰蝶(濃姫)は、15歳で織田家に嫁ぐ。絵に描いたような政略結婚だったが、夫は〈大うつけ〉とも噂される織田家の嫡男・信長だった。 いつ実家と婚家が敵対するかわからない緊迫した状況のなか、帰蝶は信長とどのような生活を送っていたのか。 小説『帰蝶』で、織田家の奥を取り仕切った妻の奮闘を描いた著者が、その謎多き人生をひもとく。 ※本稿は、『歴史街道』2023年3月号の特集「織田信長と斎藤道三」から一部抜粋・編集したものです。 謎多き信長の正室・帰蝶とは 織田信長の正室、帰蝶(美濃から嫁いだので濃姫とも呼ばれた)の人生は謎が多い。とりわけ後半生については没年も墓所も不明で、諸説が入り乱れている。伝承の類がないことを生存の証とするか早世の証とするかは、大きく意見の分かれるところだ。 ただし前半生についてはある程度、足跡をたどることができる。帰蝶は天文4年(1535)、美濃国で、稲葉山城主