1968年に同大学を卒業し、東京電力に入社する。最初の配属先は池袋支社で、1年後に品川支社、その後千葉支店柏営業所に転勤した。そのため検針、集金、お客様窓口対応、工事手配、資材の仕入れなどに強い印象が残ったと言う。当時清水自身も現場に出て、品川支社時代に街路灯の設置場所や本数が社内図面と不一致だった際には地元の町内会長と共に1本ずつ歩いて確認していった事もあるという。営業所時代には電柱の移設の仕事も経験し、工程管理をしないと新旧の電柱が長期間現地に立っている状態になるので気を遣ったと言う[4]。 検針・集金などの仕事を4年間担当後、横浜火力発電所に配属、当直三交替を経験、原子力発電所にも勤務しECCSの作動試験立会いの仕事に参加した[4]。 1972年、本店資材部配給課に異動し、後述する資材畑のキャリアに進んだ。当時は芝浦、千住、越中島にあった配給所のほか、各支店、営業所にも資材倉庫が点在