2024/12/27 ベイスターズのドキュメンタリー映画「勝ち切る覚悟」を見た! シーズン終盤~日本シリーズ優勝までの舞台裏を抑えたドキュメンタリーで、ベンチ裏での映像がメインとなっている。ナレーションは無く、説明がほとんど無いので「いつ何があったか」があらかじめわかって…
・Masaoの感性は中性的で、恋愛の天才だという話 http://blog.livedoor.jp/yuikoinu/archives/50836160.html 僕の感性が中性的(女性的)だっていうのは自分でも自覚していて、武器に使ってる部分は確かにありますね。僕がAndAとか中性的なファッションを好んで着るのも、自分の中性的な部分にしっくりくるっていう理由もあるし。外見的にも内面的にも。だから逆に、マルイ系DQNファッションは、着ていて違和感ありまくりなんですが…… でもこういう感性って女友達や恋人を作るには有利なんですけど、男社会では不利なんですよ。なんか話がやノリが合わなくて排除されやすいし、僕も楽しくない。だから僕は実際、男と話するより女と話したほうが、気楽だし楽しいんですね*1。 特に学生時代は、中性的性格だとキッツイですよ。スクールカーストっていうのは、まず同性間ヒエラルキー
↑の記事に書いたように、僕は中性的で男社会が苦手なので、「男性性から開放され、オンナのように生きたい」と思うことが時々ある。僕がジェンダーフリーの思想に結構興味があるのは、それが「オトコのように生きたいオンナ」による、女性性からの開放運動であるからなんだろう。 で、僕のような「オンナのように生きたいオトコ」が生き辛さを感じるのは男社会に対してなんだけど、「オトコのように生きたいオンナ」が生き辛さを感じる対象は何かって言ったら、これもやっぱり男社会になるのかなぁ?たぶん。女社会ではなくて。 この非対称性はどこから来るんだろう?って考えてみたんだけど、そもそもジェンダーという規範を作っているのが「社会」であるのだから、それを逸脱した生き方を望む人間が直面するのはどっちにしろ「社会」であり、その「社会」を構成しているものが「男的なもの」である限り、ジェンダー論が常に「男社会」との闘争になるのは当
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く