小説家としては駄目だな、と自ら悟った田中チェンチェイ(このチェンチェイいう他人を揶揄する言葉は田中康夫チェンチェイがお作りなりました)は、エッセイ、しかも他者に喧嘩を売るスタイルのエッセイに移行していったんですねえ。そこで全日空、日航、講談社、大企業は勿論、評論家、学者にも喧嘩を売ってきたわけです。 ところが不思議なことにいつの間にか和解している。康夫ちゃんは講談社のことを戦時中は軍部に協力してきた、「大日本雄弁会講談社」と皮肉っていたのに、いつの間にか「和解 」。JALともいつの間にか和解、その矛先は全日空に向かうわけです。宮台真司氏に対しても研究費でテレクラ通いの宮台チェンチェイと揶揄するも、宮台氏から論理的にコテンパンに論破され、「和解」。以前は散々「地上げ屋顔」とけなしていた小沢一郎ともいつの間にか仲良しになられたようで。 更にバブル時代に一世を風靡した美食評論家Y氏も罵倒。Y氏が