アーリントン国立墓地に埋葬された日本人女性がいる。2010年に亡くなった彼女の名は、キヨ・ヤマダ。ペンタゴンがよく見える場所に眠る彼女は、生前、CIAで30年以上もスパイに日本語や日本文化を教え、対日工作にも関与したが、その経歴は「消され」ていた。 そんな彼女の知られざる人生をジャーナリスト山田敏弘氏が追った。著作『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』(新潮社)より、一部抜粋してお届けする。 2015年8月、米バージニア州アーリントンは抜けるような青空が広がっていた。 筆者は首都ワシントンDCで、前日まで開催されていたシンクタンクの会議を終え、あとは当時暮らしていたマサチューセッツ州ボストンへ戻るだけだった。だが、帰途に就くまえに、以前からどうしても気になっていた場所に立ち寄ることにした。 DCのすぐ西側にある、アーリントン国立墓地である。 朝9時になったばかりだというのに、墓地の
日本固有のスギが台湾の山にある理由 森を歩き始めてすぐ目に入るのは、樹上の着生植物オオタニワタリ、大きなバナナやクワズイモの葉、不思議な形状の木性シダ……いかにも亜熱帯の森だ。 ここは台湾・台北市の南約30キロの烏来・亀山地区にある標高 916mの大桶山。今年6月下旬に在台邦人と台湾人とともに登ったのだ。森の風景に南国風情を感じるが……ほどなく目に映ったのは馴染みのある樹木だった。 スギだ。亜熱帯の山に似合わぬ真っ直ぐな幹が林立した一帯に踏み入れたのだ。 大桶山の山腹はスギ林で覆われていた。(筆者撮影) この登山行を主催するソンさんこと曽根正和さんが、参加メンバーにスギについて解説するよう促したので、私が即興で説明した。「スギは日本固有の樹木で、学名はクリプトメリア・ヤポニカ。“日本の隠された宝”という意味です。もっとも日本ではどこにでも植えられています」 私の言葉をソンさんが訳してみんな
この記事の末尾につけたリストは、内務省が旧出版法(明治26(1893)年制定)に基づき検閲を行い、「安寧秩序妨害(禁安)」「風俗壊乱(禁風)」に当たるとして発売禁止処分にした図書の一覧である。 国立国会図書館蔵書検索・申込システムで、 (1)請求記号が特501-で始まるもの(内務省から米軍が接収し、1976年から1978年までに米国議会図書館から返還されたもの) (2)同じく請求記号が特500-で始まるもの(昭和12(1937)年以降、内務省から移管された帝国図書館蔵のもの) を抽出してマージして作成した。 ただし押収した図書を保管していた内務省保管書庫は、関東大震災により焼失しているため、(1)(2)とも大正12(1923)年秋以降に処分を受けたもののみで、それ以前のものは残っていない。 発禁書は、「アカ」(マルクス主義に限らず労働運動等にも)と「エロ」(井原西鶴、ゾラから性科学まで)と
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本日8月9日は長崎の原爆の日。広島とも合わせ犠牲になった全ての犠牲者のご冥福と、ご遺族の心の安寧をお祈りしたいと思います。 さて、長崎の原爆の日ということで、今回は長崎に投下された原爆で使用されたという原子爆弾「ファットマン」について考えてみたいと思います。 ファットマン ■ファットマンの起爆構造 ファットマンでは爆薬にプルトニウムが用いられることは有名ですが、その起爆装置に爆縮レンズが使用されていた(とされている)ことは、どれくらいの方がご存知でしょうか?要するに、分散配置されたプルトニウムを、一般のレンズが光を一つの焦点に集めるが如く、火薬の爆発力で一点に集め、それによって超臨界状態を起し、核爆発を誘発させようとするものです。 色の濃いコブ状の部分が「遅い火薬」。これにより点火位置と中心を結んだラインでは到達速度が遅くなる。また、点火位置から点火ユニットの端を通り、遠回りして中心に至る
シルクロードをへて広がった仏教美術の源流をうかがわせる極彩色の人物壁画が、中央アジア・ウズベキスタンで発見された。立正大学と現地の研究者による共同調査団が見つけた。2~3世紀の作とみられ、仏教が日本に伝来する前にいろいろな文化に触れながら変容してきた姿がわかる貴重なものという。 壁画はウズベキスタン南部、アフガニスタンとの国境の街テルメズ郊外の仏教遺跡「カラ・テペ」(カラ・テパともいう)で2016年秋に見つかった。丘の上数百メートル四方の範囲に仏塔や僧院がある遺跡で、北端の仏塔の脇を約2メートル掘り下げて見つかった石室内に描かれていた。壁画の全体像は解明に至っていないが、このほど提携先のウズベキスタン芸術学研究所から画像の公開が認められた。 縦横1メートル余の範囲に複数の人物が描かれており、赤や青の鮮やかな色彩が残る。この遺跡では、様式などから2~3世紀のものとみられるギリシャ・ローマ風の
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1 隋の煬帝は、漢音の「ようてい」ではなく、呉音で「ようだい」と読むのが通常である*1。その理由について、煬帝は悪帝であるため、「皇帝でありながら、その資格はないという意味」(陳舜臣*2)をこめたなどと説明されることがある*3。他方、これは特に理由のない読み癖にすぎず、「悪いやつだから帝(たい)だというわけでもない」(高島俊男*4)と明示的に「悪帝」説を否定する指摘もある*5。 後説が妥当と思うが、悪帝を理由とする見解も、少なくとも江戸時代に遡るため、直ちに切り捨てることはできず、その関係を検討しきれていない。しかし、本年3月、「悪帝」説を前提に、これを正面から論じた松下憲一「隋の煬帝はなぜヨウダイと読むのか」(史朋50巻37頁)という論文(以下「松下論文」という。)が発表されたので、ここで若干の整理をしたい。 2 我が国の漢字音は、古くは呉音が用いられた。しかし、奈良後期から、遣唐使や留
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