川島栗斎(りっさい)(1755~1811)は江戸後期の儒学者で神道家だ。その思想は幕末の志士にも影響したが、ほとんど知られていない。菩提(ぼだい)寺の傳光院(でんこういん)(大津市)でも、無縁仏とし…

東南アジア研究が専門の慶応大学名誉教授が三味線と長唄を織り込みつつ講演会を粋の世界に誘っていた。お題は「明治時代の『空気』に触れる試み」。日本国史学会の会員を相手に大津絵節の黒船来航や鉄道唱歌までお披露目した。 小唄ファンの筆者は、講演を収録したDVDを見ながら、思わず拍手を送ってしまった。演者の野村亨さん(71)は「楽しくなければ学問じゃない」とばかり落語、漫談調で会員たちを引き込んでいく。 いったい明治の庶民生活の空気感とはどんなだったか。野村さんは12歳まで同居していた祖母、友山ふくから聞いた口頭伝承を「疑似オーラルヒストリー」として再現していく。一般に近現代史のオーラルヒストリーは、政治指導者からの口述記録が多い。いわば上部構造の歴史で庶民の時代感覚にまでは及ばない。 歴史を動かす人々の考えと、それを見つめる庶民の肌感覚は違う。どうやらこれが、三味線と長唄を巧みに操る野村先生の問題
江戸の町は100万都市でありながら、幕末に訪れた欧米人から「庭園都市」として評価されていた。英国のプラントハンター(植物収集家)、ロバート・フォーチュンは次のように江戸を評した。 「江戸には(英ロンドンの)聖パウロ大聖堂やウエストミンスター寺院もないし、(仏パリの)エリゼ宮殿やベルサイユ宮殿もない。パリのブールバールやロンドンのリーゼント街のように見るべきものはない。(中略)にもかかわらず、江戸は不思議なところで、常に外来人の目をひき付ける特有のものを持っている。江戸は東洋における大都市で、城は深い堀、緑の堤防、諸侯の邸宅、広い街路などに囲まれている。城に近い丘から展望した風景は、ヨーロッパや諸外国のどの都市と比較しても、勝るとも決して劣りはしない。それらの谷間や樹木の茂る丘、木々で縁取られた静かな道や常緑樹の生け垣などの美しさは、世界のどこの都市も及ばない」 幕末の駐日英国公使、ラザフォ
(月刊「正論」5月号より) 篠原 章・評論家日本における軍歌の事始めは、慶応4(1868)年2月に遡ることができる、というのが通説である。起点の歌は、幕府征討のために東上した新政府軍が歌う「宮さん宮さん」である。「トコトンヤレ」という囃子の歌詞に着目して、「トコトンヤレ節」「トンヤレ節」と呼ばれることも多い。 軍歌の起源については諸説ある。記紀歌謡に現れる久米歌が元祖であるという説、東北地方で広く歌われる民謡「さんさ時雨」が最初であるという説などがある。行軍の際の身体的律動や戦争・戦闘の際の士気を高める効果を期待されるのが近代の軍歌だが、前記2説は近代の軍隊を想定したものではない。行軍の曲として利用され、一般国民の人気も得た「宮さん宮さん」を事始めと考えたほうがよさそうだ。 作詞は、吉田松陰の門下で明治政府の要職を歴任した品川弥二郎(1843〜1900年/山口県萩市出身)、作曲は、緒方洪庵
明治五年の学制による近代教育制度の創始は、わが国教育史上に一時期を画するものであった。しかしわが国においては、明治以前に多数の近世学校が設けられていた。近世学校の発端は室町時代に認められるが、江戸時代にこれらの学校が発達し、近世学校の体制がつくられていた。江戸時代の社会で指導的役割を果たしているのは武士であって、高い水準の学問・教養が求められ、子弟を教育するために学校を設立していた。幕府や諸藩は武士の子弟を教育するため学問所を設けたり、学者の家塾に通学させたりしていた。江戸時代の中期から大藩は、近世武家学校を整備して子弟の教育に努めることとなった。これらの学校が藩校であって、寛政ころから多くの藩は藩校を設けるようになった。幕末維新期には小藩も学校を開設する情勢となり、全国の藩校数は二七〇校ほどに達していた。また、藩内の主要な町などには郷学を設け、ここで地方に居住する武士の子弟の教育を行なっ
まず本戦前日9月14日から15日の開戦時までの両軍の動きをフォローしておこう。すでに関ヶ原の西方、山中村のあたりには9月3日から西軍の北陸方面部隊を指揮していた大谷吉継が布陣していた。東軍は三成らのこもる大垣城に当てられた本隊とは別に、三成の居城である佐和山城攻略に動く可能性があった。その通り道に大谷隊がいる。 その向かいの松尾山には小早川秀秋が8千の大軍をもって盤踞(ばんきょ)しているが、秀秋は東軍に内通していることが疑われており、頼りにはならない。大谷一隊をもって、東軍の別動隊と対峙することになるが、兵数的に圧倒されてしまう。 三成としては、自己の佐和山城を守ることと、盟友大谷を無駄死にさせないためにも、大垣城を出て大谷隊と合流することが必須の課題となっていたはずである。そこで三成ら大垣城の西軍は14日の夜中から城を出て関ヶ原へと移動することになる。 行程は、東軍が密集している中山道は
封建制度を撤廃できる条件が整うまで 前回の歴史ノートで、明治初期において政府に非常なる危機が何度も起きたことを書いた。当時のわが国の最大の問題は、国内各地は昔と同様に多くの大小各藩独立状態にあり、それぞれが兵力を蓄え、中央進出の機を狙っていた藩が存在した一方で、当時の中央政府に兵力がなかった点にある。 政府としては、版籍奉還後も実質的に存続していた封建的藩体制を廃絶させると同時に、大規模な反乱を鎮圧できるだけの兵力を中央に整えたかったのだが、政府軍を編成するには、倒幕に貢献した薩摩・長州・土佐の三藩の陸軍と、肥前の海軍の力を頼るしかない。しかしながら薩摩藩の島津久光・西郷隆盛や長州藩の毛利敬親に二度にわたり上京を要請したにもかかわらず、なかなかそれが実現しなかったのである。 ところが、明治三年(1870年)十二月に岩倉具視が勅使となって再び上京を要請すると、薩摩・長州両藩ともついに朝命を奉
井伊直弼肖像画(豪徳寺蔵)1カ月前、安倍晋三元首相が奈良市で銃撃され、死亡するという衝撃的な事件が起きました。この行為について「テロ」と表現する記述もありますが、私は違和感を覚えます。 テロとは「テロリズム」の略称であり、「一定の政治目的のために、暗殺や暴行、粛清などの直接的な恐怖手段に訴える主義。暴力主義。また、その行為」とは『日本国語大辞典』の記述です。また興味深いことに、テロリズムの同義として挙げられている「テロル」の項を引きますと、「テロ」の項と同様の説明のあと、「特に、権力をもつ側による大がかりな弾圧についていわれる。恐怖政治」との文言が付されています。 私の専門である幕末維新期には、政治目的の達成という明確な「大義」を掲げるテロが頻発しました。新聞報道などによりますと、今回の事件の犯行動機については政治的というよりも個人的な要因が濃い一方、「なぜその銃口が安倍元首相に向けられた
『幕末社会』。須田努1959年、群馬県に生まれる。1997年、早稲田大学大学院博士後期課程文学研究科日本史学専攻修了。博士(文学)。現在、明治大学情報コミュニケーション学部教授 幕末を描いた歴史書は数多くある。けれど、『幕末社会』(須田努、岩波新書)が注視するのは、中央政局で活躍する雄藩領主や著名な志士たちではない。教科書ではほとんど触れられてこなかった在地社会の様相、時代感覚を、そこに生きた民衆の視点から取り上げる。特に、封建社会を内側から揺るがす要因となったさまざまな社会的ネットワークや個人の動向である。 「日本近世・近代史の中でも民衆史が専門ということですが、なぜ民衆史を?」 「時代時代において名もない人々が何を思い、行動したか、民衆の心性に関心があるんですね。それを歴史的に位置付けたい、と」 本書で言えば、百姓一揆の変容がある。従来なら、「恐れながら」と在地の窮状を訴える訴願が大半
淀城跡から見つかった家老屋敷跡。幕末戦乱の痕跡をくっきり残す=2月、京都市伏見区江戸幕府が西国の抑えとして、3つの河川が合流して淀川を形成する要衝に築いた淀城(京都市伏見区)。その跡地から、明治新政府軍と旧幕府軍が争った戊辰戦争の緒戦「鳥羽・伏見の戦い」(1868年)による火災で焼け落ちた家老屋敷の遺構が、京都市埋蔵文化財研究所の発掘調査で初めて確認された。敗走中の旧幕府軍が、淀城への入城を拒否され、城下に火を放ったと文献にあり、遺構はその記録を裏付ける。藩主の稲葉正邦は幕府老中で江戸に滞在しており、藩主不在の中で、家臣らが選択したのが入城拒否。焼け落ちた屋敷の遺構は、明治維新の大局を決めた戦(いくさ)の中で、中立を守り続けた〝証し〟ともいえそうだ。 鳥羽・伏見の戦い痕跡遺構が確認されたのは淀城本丸東側の東曲輪(くるわ)に該当する場所で、江戸時代後期(18世紀中頃~後半)の礎石建物3棟が出
「義」によって皇室と神聖性の回復を目指した江戸時代中期の儒学者、三宅観瀾の墓=東京都文京区本駒込の龍光寺正統は義にありて器にあらず 『中興鑑言(ちゅうこうかんげん)』 儒学者、栗山潜鋒(せんぽう)の推薦で水戸藩の修史事業に参画した三宅観瀾(1674~1718年)は、父が京(現・京都府)の儒学者、三宅道悦(どうえつ)、兄も大坂の有力町人が創設した学問所、懐徳(かいとく)堂学主(学長)の三宅石庵(せきあん)と学者一家に育った。潜鋒と同じく京にルーツを持つ儒者で、尊皇思想を水戸に持ち込んだとされるが、そう単純な話ではない。 観瀾は、山崎闇斎(あんさい)門下で「崎門三傑」とされた朱子学者、浅見絅斎(けいさい)に学んだ。 「理」の絶対性を主張した絅斎は、日常生活における人倫にこそ道があると説いて「理」の閉鎖性を批判した伊藤仁斎を「ボケ老人のたわごと」と罵倒し、仁斎の著作を論難する書物を書いて粘着質に
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