世代差ができる理由はオタクというのが権威主義(学術的アプローチ、歴史の堆積)ではなく優越感ゲーム(その場限りの悦楽=シニカル)で出来てるからに他ならない。 江戸時代の大衆文化が栄えた頃の考えとオタクが相性がいいのはそういう理由かもしんないね。 ▼「キャラクター小説」って読み方は優越感ゲームを権威主義から見た形に過ぎない 優越感ゲームを権威的に読み解けば「(テクストの悦楽という)形式を無視してて、断片的な読みにすぎないから本来ならナンセンスだよなあ」って話になるからね。 さて『オタク=優越感ゲーム』という相対主義に俺の鑑賞法が権威だっていう絶対主義を持ち込んだから、惑星開発なんたらってのが一時期、バカなオタクどもに「そんなん余計なお世話だよ」って肩を叩かれたわけで。 オタクが惑星開発委員会や東浩紀のみこしを担いだ理由は「権威だから」ではなくて「ブームだったから」に過ぎない。 だか