映画とかで、復讐を目指す人物が「この復讐心が薄れるのが怖い」と言って標的の写真を毎日眺めてたりするけど、人間ってそういうところあるよな。 嫌いなものを嫌いだと思う気持ちを強化するために、進んで嫌いなものを見に行って、悪いところを探して、「だから私はこれが嫌いなんだ」と自分に言い聞かせる。
映画とかで、復讐を目指す人物が「この復讐心が薄れるのが怖い」と言って標的の写真を毎日眺めてたりするけど、人間ってそういうところあるよな。 嫌いなものを嫌いだと思う気持ちを強化するために、進んで嫌いなものを見に行って、悪いところを探して、「だから私はこれが嫌いなんだ」と自分に言い聞かせる。
SNSが普及し始めてから色々な趣味のオフ会に参加して、リアルな生身のオタクと関わる機会が何度もあった。 至極まっとうに社会生活している人も、職業不詳の人も居たけれど色々な世界が見れて楽しかった。 そういったきっかけで知り合って、リアルで何度も遊ぶようになった長い付き合いの友人も増えたしSNSとオタクは切っても切り離せない物だと痛感した。 そんな経験の中で出会った、長くはつき合いたくないなと思った言動・行動をしていたオタクたちを紹介。 ●プライベートとパブリックを弁えてないオタク 仲間内でよくやるような身内ネタ、下ネタを公共の場で大声でやったり ファミレスで携帯ゲーム機やカードゲームなんかをやり始めたり、同人誌やグッズを広げてワイワイするようなオタク。 きっと彼ら彼女らは客観的に物事が見れないんだろう。 ●距離感が分かってないオタク SNS上でとても仲が良いって理由だけで、マブダチみたいな対
うちにも引きこもりの義弟がいた。 10月末に義父と連絡がとれなくなり、家に入ったところ、浴室であおむけに倒れて意識ないままの義父を発見した。 向いの部屋には引きこもりといわれ、「誰にも会わせたくないから」という義父に言われて結婚して以来7年間全くあったこともない(もちろんそれ以前にもあったことはない) 義弟がいるはず。おそるおそる部屋をノックして中をのぞくと、腰まで届く髪、恐ろしく長く伸びた爪、部屋の壁は四方とも穴だらけで長い年月かけて積み上げられた土壁で覆われて廃墟のようになっていた。テレビも本もパソコンも何もない。きっと誰にもいえない苦しみをぶつけていたのだろう。 彼は何もない壁に向かって座っていた。初めて言葉を交わす私と顔を合わすのがつらそうだ。声は全くでない。かすかにうなずくか首を振る程度の反応しかうかがうことはできない。 「お義父さん、倒れてるけど、いつから?気づかなかった?」尋
打合せとかでも、その人のペースについていくのが精一杯で、会社に戻った後に 共に出席した上司とのおさらいが不可欠だった。 その人にとっては小走りに過ぎないのに、俺たちは全力疾走しないとあっという間に 置いて行かれてしまう感じだった。 仕事一辺倒ではなく、ほとんど定時内に必要な作業を終わらせる能力があるので、 充実した余暇を過ごしているようだった。 頭の悪い人間が大っ嫌いのようで、その人の言っていることを一回で理解で 出来ないと、露骨に軽蔑された。 その人の唯一の弱点が、部下を育てられないことだった。 打合せの席でも、部下の人たちが気の毒なくらい怒鳴れていた。 「何でお前みないなバカの面倒を見るために、俺が残業しなくちゃならいんだ?」 その部下の人だって早稲田や慶応を出た秀才なんだけど、ほとんど潰されて しまって、他の部署に配置転換されていた。 (俺はその部下の人たちと仲良くなって、居酒屋でよ
四年前位から僕は脱オタを目指してきた。 大学に入ったし、いっちょやってみるかといった感じ。 その当時はオタ趣味の当りが辛かったし、格ゲーが大好きな典型的キモオタだったから。 (高校時代は本当に辛かった。現状を打破したいという気持ちがあった。) さすがに今のままではマズイだろうと感じ、色々変えることにした。 何よりも参考にしたのは「脱オタク恋愛庫」moteo氏のサイトだった。 http://www.geocities.jp/moteo2005/ 当時は分からなかったが、今現在から振り返ると、 脱オタに必要な自意識や劣等感のケアと、実際に自信を付ける為の処方箋だったと思う。 そこをこのサイトは上手く補完してくれてたと思う、脱オタしてる時は勇気を貰った。 さて、実際の脱オタの軌跡は沢山の回り道と沢山の失敗だらけだった。 服装分野の最初は体型が細かったこともありサロン系から入るものの 顔がサロン系
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