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2016年11月24日のブックマーク (8件)

  • “プロレス”発言 官房副長官「野党がそのレベルと思ってない」 | NHKニュース

    萩生田官房副長官は、参議院の特別委員会で野党側の国会対応を「『田舎のプロレス』」などと述べたみずからの発言について、「野党の皆さんがそのレベルだと私が思っている事実はない」と説明しました。 萩生田副長官はみずからの発言について、参議院の特別委員会で、「質疑応答の中でのやり取りで、聴衆の方から、『審議拒否や採決の際にプラカードを持って騒いでいる国会議員が目につくが、そもそも国会議員が多すぎるのではないか』などという、厳しい趣旨の叱声に対して述べた発言の一部が報道されている」と述べました。 そのうえで、萩生田副長官は「野党の皆さんがそのレベルだというふうに私が思っているという事実はない」と説明しました。

    mahal
    mahal 2016/11/24
    「プロレスに失礼だ」くらいの覚悟を持って発言したならそれはそれで見上げた…って、違うんかい!
  • 「リベラリズムとデモクラシーは相性が悪い」:朝日新聞GLOBE+

    北海道大学の吉田徹教授=江渕崇撮影 まず大まかな歴史の流れを確認してみます。リベラリズムは18世紀、封建制や絶対王政に対する抵抗の思想でした。それが19世紀に入ると哲学者ゴーシェのいう「リベラル転回」が起き、産業革命と資主義の発展でリベラリズムが政治経済を動かしていく原理となっていきます。それが、19世紀末の不況、さらには1929年の大恐慌を受けて、ファシズムとコミュニズムから挑戦を受けます。政治体制をめぐって「三つどもえ」の闘いとなり、これが第二次世界大戦の要因にもなりました。 最近翻訳されたマーク・マゾワーの『暗黒の大陸:ヨーロッパの20世紀』は、第二次世界大戦後に西欧でリベラル・デモクラシーが正当性を確立したのは、たまたま戦争に勝ったからであって、リベラリズムの思想的な原理そのものが支持されたわけではないと論じています。リベラル・デモクラシーの正当化が戦後処理と対になっていたという

    「リベラリズムとデモクラシーは相性が悪い」:朝日新聞GLOBE+
    mahal
    mahal 2016/11/24
    「人権主義も民主的政体も否定する」国家が西側の対極にある現状で、これらの勢力が歴史の退歩をもたらすことを止める政治を追求する目的意識が共有されぬなら、片方が選択される以前に共倒れの結末に向かうのかも。
  • ダメモトで愛の告白をしたら予想外すぎる返事が返ってきた

    僕(Aさん)は35才のさえないおっさんである。 身バレが怖いので曖昧で申し訳ないが、趣味の場で、ある女性Bさんに出会った。 彼女は僕の10才下で、大人しそうでいっつもを読んでいるお嬢さんである。 初めはなんとも思っていなかったのだが、声が凄く可愛いのに気付いて気になり始めた。 そのうち、ごくたまにしか見せない笑顔とか、優しいところとか、恥ずかしいときに見せる仕草とか そういうのを見ているうちにとても好きになってしまった。 10才も下の女性にアプローチするのは正直どうかとも思ったが、 あまり恋愛経験がなさそうだし、彼氏もいないようだし、追い詰めすぎず押せばいけるかもしれないと踏んだ。 色々と頑張って、つい先日何度目かの二人での会合(つまりデート)を開いた際に告白をした。 Bさんは真っ赤になってうつむいて、そして思案しているようだった。 こりゃだめかな。 そう思ったとき、次のような幻聴が聴こ

    ダメモトで愛の告白をしたら予想外すぎる返事が返ってきた
    mahal
    mahal 2016/11/24
    とりあえず初回で中田氏出来るか訊いてOKなら止めとけくらいのバランスな気はするけど、その場合の後腐れコントロールが面倒そう(って何真面目に回答してんだ)
  • 「アイデンティティ・リベラリズムの終焉」by マーク・リラ  - 道徳的動物日記

    http://www.nytimes.com/2016/11/20/opinion/sunday/the-end-of-identity-liberalism.html 今回紹介するのは、ニューヨークタイムスに掲載されたマーク・リラ(Mark Lilla)の記事。リラは政治科学者兼歴史学者であるらしく、政治的立場としては左派であるようだ*1。今回の大統領選挙の後では、アメリカでは「アイデンティティ・ポリティクス」という単語とそれを批判する言説を目にする機会が増えており、この記事もそのような言説の内の一つ。 「アイデンティティ・リベラリズムの終焉」by マーク・リラ アメリカが多様性のある国になったことは自明である。そして、その多様性は眺めていて美しいものでもある。他の国から訪れた人たち…特に、異なる民族集団や信仰を取り入れることに困難を抱えている国から訪れた人たちは、アメリカ人たちがそれを

    「アイデンティティ・リベラリズムの終焉」by マーク・リラ  - 道徳的動物日記
    mahal
    mahal 2016/11/24
    アイデンティティ・ポリティクスは凡そ必然的にアイデンティティの「濃度の多様性」を疎外するので、「濃度の薄い味方」を過剰に督戦し「濃度の薄い敵」を無駄に悪魔と見立てがちなのがアカン、というお話ですな。
  • 必見としか言えん 映画『この世界の片隅に』 - 関内関外日記

    映画が終わり、シアターが明るくなる。隣で見ていた女が言う。 「あれよりもぜんぜんすごいじゃない」 おれはこう応える。 「そりゃもう、原作からして違いますからね」 ……べつにこの映画を賞賛するために、べつの作品を貶そうというわけではないが、そんな言葉しか出なかった。言うまでもないか、「べつの作品」とは大ヒットをした『君の名は。』だ。おれも観たし、女も観た。一緒に観たわけではなかったけれど、頭のなかに同じ「直近に観たアニメ映画」というものがあったのだろう。そして、そんなやり取りになった。 おれは、当にいいものを観ると、なんかしょうもない言葉しか出てこないのだな、と思った。おれは女の感性や審美眼、いろいろなものに信頼を置いている。それでも、「あれより」としか出てこない。おれにしたって、『この世界の片隅に』という映画を賛美する言葉が溢れ出ることなく、べつに比較しようのない作品を較べるような言葉し

    必見としか言えん 映画『この世界の片隅に』 - 関内関外日記
    mahal
    mahal 2016/11/24
    ところで、あのシーンに掛かった時「そういやゴルへさんも本作絶賛エントリあげてたけど、この人NTR好きだったよな」という酷い感慨が通過したことを告解するものである。 @goldhead
  • まとめよう、あつまろう - Togetter

    コミュニケーションが生まれるツイートまとめツール

    まとめよう、あつまろう - Togetter
    mahal
    mahal 2016/11/24
    毎週この手のイラスト出してこの手の話を聞かないおだじまんが、専門家とそうでない者の格の違いを見せた格好(か?
  • 中林美和、夫・Zeebraをツイッターでdis「ママは毎日子供のお世話をしているのに。ディスリスペクトだ」と強烈なパンチラインをかます

    中林美和 @miwanakabayashi 大事な仕事の会に子供のことお願いしてもイライラされる。ママは毎日子供のお世話しているのにね。ディスリスペクトだ。 2016-11-21 23:23:09

    中林美和、夫・Zeebraをツイッターでdis「ママは毎日子供のお世話をしているのに。ディスリスペクトだ」と強烈なパンチラインをかます
    mahal
    mahal 2016/11/24
    だれか瞑想運動野菜マンを呼んで来いw
  • 『この世界の片隅に(In this Corner of the World)』(2016 Japan) 片渕須直監督 こうの史代原作 日本の第二次世界大戦の戦争表現を変えてしまうような傑作 - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

    評価:★★★★★星5つのマスターピース (僕的主観:★★★★★5つ) 素晴らしい物語だった。僕は、人生で見たどんな反戦映画よりも、反戦のイデオロギーよりも、ああ、戦争はだめなんだなと痛切に感じました。別に僕は、現実的に戦争は嫌でも軍備なくして平和は守れないと思うし、とかいうリアリズムでいつも考えるんですが、、、、なんというか、そういうマクロの小賢しい話がブッ飛ばされるリアリティを感じた。戦争はいけないとかそういう抽象的な話じゃなくて、こんなことが許されていいるのかという慟哭を感じた。。。こんな風に思ったのは人生で初めてでした。凄い作品なんだろうと思います。なんだったんだろう、あれ。 戦争反対とか、そんな表現は皆無で、ただ主人公のすずの日常を淡々と追う物語なのに。だから、凄い。凄い、と思った。 2016年の邦画・アニメーションの豊作ぶりは。信じられない。見る作品見る作品、全部、もう一度劇場で

    『この世界の片隅に(In this Corner of the World)』(2016 Japan) 片渕須直監督 こうの史代原作 日本の第二次世界大戦の戦争表現を変えてしまうような傑作 - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
    mahal
    mahal 2016/11/24
    アナログ段階でジブリ辺りが追求してたハイパーリアルな風景描写が質的に進化する中で、ジブリ的なファンタジーを押し出さなくとも「惹き込まれる」世界観を実現しやすくなった中で表現のルールは変容してるのかも。