2024年下半期のフィルム写真たち ふと気がつくと2024年も残り僅か。 そしてふと振り返るとこのブログに掲載する写真がGRIIIで撮ったものばかりになっていたのだけど、決してフィルムに飽きたということではなく、フィルムはフィルムで淡々と撮り続けているし、モノクロもカラーネガもいつも通り自宅で…
. 老いたる最も確かな徴候は孤独である - アモス・ブロンソン・オルコット - , --────-- 、 / \ / ` \ / 。 ヽ ´ \ ./ ─── ──\ / \ | //:::::::::丶\ ://::::丶丶 .| _= | {:::::::::::::::::| | | {:::::::::::::| | | \ヽ:::::::/ / \ヽ:::::::ノ/ .| ,/ | \ | | | | | \ ─ | | 。 | .| ヽ / \__/\_
実験は1967年にセリグマンとマイヤーが犬を用いて行った。 予告信号のあとに床から電気ショックを犬に与えるというものである。犬のいる部屋は壁で仕切られており、予告信号の後、壁を飛び越せば電気ショックを回避できるようにした。 また、前段階において次の二つの集団を用意した。 電気ショックを回避できない状況を用意し、その状況を経験した犬と足でパネルを押すことで電気ショックを終了させられる状況を経験した犬である。 実験ではその二つの集団に加え、なにもしていない犬の集団で行った。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%80%A7%E7%84%A1%E5%8A%9B%E6%84%9F 実験の結果、犬の回避行動に差異が見られた。前段階において電気ショックを回避できない犬はその他の集団に比べ回避に失敗したのである。具体的にはその他の集団が平均
fansyboxさんがだからなんで恋愛で救済されると思っているのさというエントリーを書いたけど、気になる部分があるので少し書いてみる。しかし何故アニメのキャラクターや人形などを妻にしたり子にしたりする人がいるのかね。いや、それは半分ネタで言っているだけだと思うよ。よく、オタクが「○○は俺の嫁」とか言っているけど、それは冗談というかネタでしょう。本当に「○○が自分の嫁」と思っているわけではなく、そう言いたくなるぐらい、○○というキャラが好きというだけの話で、オタクの人達だってフィクションのなかの登場人物と結婚できないぐらいよく判ってますよ。「自分のことを否定する可能性のない対象」にいくら入れ込んだって面白くないじゃん。もしかしたら否定されたりしてるのかもしれないけれど、それにしても自分の脳内で完結してる話だし。時折予定調和の世界でぬくぬくするな、この弱虫め、と腹が立ったりするfancybox
中学時代に部活動で重い物を持ったり、アスファルトの上を走ったり 筋トレしたりすると、成長が止まるのが早まるということ。 俺のいた中学は全部の部活がハードに筋トレしてたせいか 大会ではどの部活も優勝旗の嵐だったのだが 卒業生の平均身長が他の中学の連中より、明らかに低い。 20歳過ぎての同窓会でも、みんな170cm未満の奴ばっかり。
親戚にテレビを見せない、テレビゲームをさせない、お菓子を与えないという方針の家庭があります。 子どもは小学生の男の子です。 その子は、よその家では夢中になってテレビを見て、ゲームをやって、お菓子も食べています。 そういう方針でお子さんを育てた方にお聞きしてみたいのですが、親に反発などをしだす、小学校高学年や中学生くらいになってもそういうのを親も子どもも守ってましたか? また、その年頃にはどういう遊びをしていたのですか? やっぱり想像力が豊かな子に育ちましたか? その家庭のやり方に口出しをする気は一切ないのですが、大きくなったとき、懐かしのアニメの話しやお菓子などの話しに入れないだろうなあと思いました。
「自分の好みや言動を何処までもネタだって切り捨てるのは楽だけどそれって何に対してもまともに向かい合えないしマジにならなきゃいつまで経ってもゴールが見えないわよねー?君の実力はいつになったら発揮されるのかしらねー?(ゆるふわカールを指先でくるくる 「ひぎぃ(心にリンゴが刺さっています…お待ち下さい 「ゲームとかアニメとかにすら本気になれないなんてかわいそうよねー(トップコート塗り直し)君にはここだけは譲れないみたいな心の拠り所はないのかしらねー(グロス塗り直し)スイーツ脳よりネタ脳の方がゴールが見えないだけ深刻よねー(笑) 「ぎゃあああああやめてえええええ(自分の中のもう一つの人格が物凄い勢いでこちらに向かってありとあらゆるブーメラン弾を投げて来ます…コンティニューカウントダウンが終わるまでお待ち下さい) びゃあー(泣きながら夕日に向かってダッシュ(そこに突っ込んでいく一匹のクラスティハンマ
ちなみに我が家の本棚には、私が高校生時代、食費を削って揃えた徳間ノベルス版銀英伝がいつでも取り出せる位置にあります。 再読したくなってきちゃった - 舞風物欲日記 うちの本棚は本棚じゃ無い気がしますが(床に積んでるだけだし)、徳間ノベルス版銀英伝だけは、ちゃんとした本棚に鎮座していて、比較的容易に取り出せる場所にあったりします。何度も読んでるおかげで、親指の当たる本の腹(って言うのかな。背表紙の反対側)の真ん中が黒くなってきてるほどだったり。ああ、こういうこと書いてると読み返したくなってくる。 「食費を削って揃えた」ってところも何気に同じで、昼代もらって、ご飯食べずに本を買ってたあの頃がなつかしい。
少なくとも、今まさに自分は価値の無い人間だ、自分の人生は無意味で辛いものでしかないという自己嫌悪感と戦っている人間には、自分で自分を受け入れろという言葉は、ある種の「切り捨て」でしか無いと思う。とりあえず、kaienさんがどうやって自己嫌悪感から抜け出したか、その経緯を知りたいです。 ――「「不幸」と「幸福」と」 聞きたいですか? ま、べつに話してもいいんだけれど、長くて暗くて退屈な話だよ。それに、まったく、自分でもうんざりするくらいよくある話でもある。 ぼくはふだん、日記では自分語りはしない。だって、仕事で失敗して怒られただの、今日の夕飯はチキンカレーだっただの、そんなことを書いてもおもしろくないだろうから。 ぼくの日記はエンターテインメントである。読んだひとがおもしろいと思わないだろうことを書く気はない。 ただ、まあ、今回は特別に自分のことを書いてみることにしよう。たまにはいいだろうし
名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2007/07/24(火) 10:24:31 ID:MhHT1KUG0 つうかさ、爺さんが入院したんですよ。 で、病院は暇だから本屋で時代小説買って来いと。 池波正太郎や司馬遼太郎を買って、ついでに自分用のラノベも買って見舞いに行ったんですよ。 そうしたら、自分用のラノベをベットの脇に置き忘れてきてしまってwwww 「あぁ、またこんな軟弱な物読むとは何事か!!」と説教だな、と覚悟していたら 電話で 「これ面白いから、前の巻を買って持って来い」と。 但し、恥ずかしいから表紙は全てはずしてこいと。 翌日、自分の部屋のラノベを適当に見繕って表紙を外してお見舞いに行ったんですよ。 「じっちゃん、本当にこれでいいのか・?」 「おう、手間かけさせて悪いな。夜中に目が覚めたりして不安になった時 こういうのが一番良いんだよ。時代小説とかだと重くて余計に落
「世界のブログのなかで日本語がダントツ1位! その理由は?」という記事がR25に掲載された。 リンク: 日本語ブログ - R25.jp. 僕も先週新潟青陵高校で、この話題をとりあげた。ちょっと古いネタだけど高校生はあんまり知らないことだろうと思って、僕はとりあげたのだけど、R25編集部も、R25の読者層はこの話題を知らないと思ってとりあげたってことなんだろうなあ。 以下は、SHOOTI編集部の古川健介さんの分析。 「海外のブログが、ニュースを自分なりに読み解く ジャーナリスティックなものが主流なのに対し、日本は完全に日記文化になっています。およそ8割以上のブログが日記だと思いますね。日本人の、日記やメモ をしたためる文化とブログがマッチしたんでしょう。そして投稿数が多い理由ですが、携帯電話との連動により、劇的に敷居が低くなりました。モブログという のですが、若い世代が携帯電話を使い、毎日大
どうやって生きて行けばいいかわかりません。 人には、「偽善者」「自分を大切にできない人」「エゴが無い」「変にまじめ」「ながされっぱなし」と言われます。職場ではついつい回りに気を使って過労気味。身体を良く壊します。好きな人には好かれず、好きで無い人とつきあってしまいます。人のために何かをしたり役立ったりするのは好きです。厳しいことを言うのは苦手。こんな僕が少しづつ自分を取り戻していくにはどう行ったことに気をつけて、どんな信念でどう生きたらいいのでしょう。地道に変えていけることはなんでしょう。ひきこもりたい気分です。ポイントは役に立った度合いで配分しますので、真剣な回答をよろしくお願いします。
というか。 例えば。これは金田正太郎的問題。 好きな女性ができて孕ませたが出征しなければならない男がいるとする。彼が生存したい理由は、その子供に会いたい、ということである、という主張はけっこう説得力がある。 いや別に子供に会いたいとも思わないし、戦場で死んでもいいやと考える男がいるか? これは設定的に無理。というのは、男にとってその女は「好きな女性」だったから。 つうことは。 最初に愛があると、生存の理由というのは付随しちゃうもんだし、子供とかできちゃうし、人類になってしまう。 なので、その男にとって、最初に、「好きな女性」という原初のイベントがありえたか、が、とても重要になる。 もっといえば、人生の場で、「愛」に遭遇したか? で、愛とはなんぞやとかとりあえずスルー。 ここでは、愛とは、あなたの外部から突然嵐のようにやってきて、あなたがそれまで惰性的に存在した理由をすべて奪い去っていくこと
私はバートランド・ラッセルが好きで、よく読んだ。英語の勉強をかねて読んだりもした。読みやすい英語かというとそうともいえるしそうでもないとも言える。文章のリズムが現代英語的ではない。この歳こいてみると文章のリズム感は小林秀雄なんかと似ているかもと思う云々。 ほいで。 若きバートランド・ラッセルが自殺を思いとどまった理由なのだが。 数学の問題を解きたかった、 ということらしい。 ラッセルから学んだことはいろいろある。 ラッセル幸福論: B. ラッセル,安藤 貞雄 もあるが、訳はこっちのほうがよいかと思う。 こっち⇒「 幸福論: 本: ラッセル」 ラッセルをちと離れて思うのだが。 子供の頃、小学校一年生くらいだったか、同級生の女の子が、「怖くておかしくて悲しい話って知っている?」というのだ。教えてもらた。 それは、「鬼が出て、おならをして、死んでしまいました」というのだ。 私は感動して、50歳に
まいった。いや、本当にまいった。 何が参ったかというと、病気になってしまったのだ。いわゆる「うつ病」と呼ばれる病気に。 もともと4年前からパニック障害を発病し、気絶しては人に助けられる迷惑な奴だった。 うつ病という奴は人から「やる気」や「自信」を根こそぎ奪っていく。 そんな状態で、本家のダイアリーはとても更新できる状態じゃない。 最初は本家のダイアリーに書こうと思ったけど、自分がこのような状態になっていることを、いつも見ている人たちに知られたくないと、思いとどまった。 そんなわけで更新が止まりそうです…ってここに書いても仕方ないんだよな。 だけど、この病気になったことで一つだけわかったことがある。 この手の病気で知人友人を何人か失っているから、自分の中で「自殺」、それ自体が禁忌になっていた。それを肯定する村上春樹の小説は、その意味で憎んでいた。 でも実際、罹るとそういう問題ではなくなるんだ
子供たちは、たいていが2段階目だから、まだ自殺をする資格がない。 子供たちの両親や教師が、なぜ、子供たちのいじめや自殺を止めることができないかと言うと、まだ1段階目だからだ。 1段階目は、まだ「おとぎ話」を信じている状態。 「命は大切だ」とか、「いじめはいけない」とか、「額に汗して働くのは尊い」とか、「努力すれば報われる」とか、そういう「おとぎ話」を信じている人たち。親とか教師とか。 2段階目は、それが「おとぎ話」であることに気がついた状態。 「いじられる方も悪い」とか、「いじめは楽しいこともある」とか「自殺も必ずしも悪いとは言えない」とか、おとぎ話をはぎ取った状態の現実がちゃんと見えている人たち。 いまの子供たちの精神年齢は、この段階まで発達している。 だから、まだ1段階目に留まっている大人たちが何を言っても、子供たちの心に響かない。 3段階目は、自分自身の価値を打ち立て始めた状態。 す
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