東京都の目黒区美術館などを取り壊し、ビルに移す再整備事業について、目黒区が計画を白紙に戻していることが分かった。資材価格や人件費の高騰で、当初399億円だった事業費が、94億円上ぶれたことが原因。新…
東京のJR渋谷駅の「ハチ公前広場」に飾られ、長年待ち合わせ場所として親しまれてきたハチ公をモチーフにしたレリーフが、再開発に伴って撤去されることがわかりました。今月中にも工事が始まる見通しです。 撤去されることになったのは「ハチ公ファミリー」と名付けられたレリーフで、1990年にJR渋谷駅前の広場が、現在の「ハチ公前広場」に名称を変更したことを記念して制作され、長年待ち合わせスポットとして親しまれてきました。 画家の北原龍太郎さんが描いた原画を元に、ハチ公を中心に大小20匹の秋田犬がじゃれ合う様子が、およそ1200ピースを超える信楽焼の陶板で表現された、縦4メートル、横15メートルの大作です。 渋谷駅とその周辺では再開発が進んでいて、レリーフの移設も検討されましたが、管理するJR東日本によりますと、陶板でできているため解体や修復が難しく、撤去されることが決まったということです。 JR渋谷駅
《新国立劇場は、すべての劇場関係者に対して個人的な発言であったとしても、責任ある言動を求めています。当然のことながら、あらゆる差別を決して許容しません。このたび、新国立劇場バレエ団の関係者によるX(旧ツイッター)個人アカウントでの不適切な投稿により、多くの方々に疑念を与え、ご心配をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます》 【写真あり】新国立劇場の公式サイトに掲載された謝罪文 11月25日、公式HP上でこう声明を発表したのは、東京・渋谷の劇場『新国立劇場』。ここで示されている“バレエ団の関係者”というのは、同劇場のバレエ団に所属するソリスト・中島駿野氏のことで、最近同氏のX上での発言が波紋を呼んでいた。 特に問題視されているのは、11月11日に中島氏が投稿した内容。中島氏は、実業家の三崎優太氏(35)が、“自国を優先”しているとする次期米大統領ドナルド・トランプ氏(78)と日本の政府を比
新国立劇場は、すべての劇場関係者に対して個人的な発言であったとしても、責任ある言動を求めています。当然のことながら、あらゆる差別を決して許容しません。このたび、新国立劇場バレエ団の関係者によるX(旧ツイッター)個人アカウントでの不適切な投稿により、多くの方々に疑念を与え、ご心配をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。 劇場は、文化芸術を継承し、創造し、発信する場であり、人々が集い、感動と希望を分かち合い、創造性を育むことで共に生きる絆を形成する、社会にとってかけがえのない拠点です。年齢、性別、国籍にかかわらず、すべての人々が誇りと潤いを感じ、心豊かな生活を実現できる場所であるとともに、社会参加の機会を提供する場として、社会包摂の役割を果たし、活力ある社会の構築に貢献していくことが求められていると考えています。 今回の事態を重く受けとめ、本劇場は、当該関係者に対し厳重な指導を行い反省を
今年のノーベル平和賞は日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に授与されるが、その結成のきっかけになったのが「ビキニ事件」だ。米国が南太平洋・ビキニ環礁で行った水爆実験でマグロ漁船「第五福竜丸」が被ばくして70年。船は夢の島公園(江東区)の都立展示館で今も悲劇を語り継ぐ。館内では現在、核なき未来へ進む希望を描いた大作が紹介されている。 第五福竜丸の左舷船体に展示された作品「ふたつの太陽」。山内若菜さんは左手前をビキニ水爆、右奥は広島原爆をイメージして描いた=いずれも江東区の都立第五福竜丸展示館で ビキニ事件 米ソ冷戦と核開発競争の中、1954年3月1日、米国はマーシャル諸島ビキニ環礁で水爆「ブラボー」の実験を実施。静岡県焼津港所属の第五福竜丸は周辺海域で多量の放射性物質を浴び、乗組員23人の被ばくとマグロなどの汚染が判明。約半年後に無線長が死亡した。この事件で原水爆禁止運動が広がり、56年に被
「松谷武判」(東京オペラシティ アートギャラリー)開幕レポート。過去最大規模の回顧展に見る創造の全貌具体美術協会での活動をはじめ、60年以上にわたって独自の表現を追求してきたアーティスト・松谷武判(1937〜)。その創造の全貌を200点以上の作品で紹介する過去最大規模の回顧展が東京オペラシティ アートギャラリーで始まった。会期は12月17日まで。 文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長) 1960年代に「具体美術協会」(具体)の第2世代として名を馳せた現代美術家・松谷武判(1937〜)。その過去最大規模の回顧展が東京オペラシティ アートギャラリーで始まった。会期は12月17日まで。 展示風景より 松谷は1937年大阪生まれ。14歳で結核にかかり、22歳までの8年間を闘病生活に費やした。この期間に日本画を学び、63年には具体美術協会に加入。松谷は当時の新素材であるビニール系接着剤を用
伊藤若冲と円山応挙がそれぞれ得意な鶏と鯉を描いた初の合作屏風が見つかったと、美術史家の山下裕二・明治学院大学教授と大阪中之島美術館が10月2日、東京都内で発表しました。山下教授は「驚くべき新発見」と強調。来年6月21日から8月31日まで大阪中之島美術館で開催の「日本美術の鉱脈展 未来の国宝を探せ!」で公開されます。 (左)伊藤若冲《竹鶏図屏風》寛政2(1790)年以前 二曲一隻 紙本金地墨絵 (右)円山応挙《梅鯉図屏風》天明7(1787)年 二曲一隻 紙本金地墨絵 新発見の二曲一双の屏風(伊藤若冲《竹鶏図屏風》、円山応挙《梅鯉図屏風》)は、左隻の若冲が鶏、右隻の応挙が鯉と、それぞれがもっとも得意とした画題を描いています。 円山応挙《梅鯉図屏風》 発表によると、若冲と応挙は江戸時代の京都で1、2を争う人気絵師でしたが、二人の交流はほとんど無かったとされ、記録上は応挙が若冲を訪ねたものの留守だ
ニューヨークのイサム・ノグチ財団・庭園美術館(以下ノグチ美術館)に務める一般職員3人と、来館者の案内係を取りまとめるスタッフの4人がパレスチナ文化を象徴するスカーフ、ケフィエを禁止する服装規定に違反したとして解雇された。これを受けアーティストや美術関係者、そしてクイーンズ区民は9月8日に美術館の外で抗議活動を実施し、館長を務めるエイミー・ハウの更迭を要求した。 抗議の参加者はケフィエを身にまとい、「私たちから発言権を奪い抑圧してきた。エイミーをクビにして閉鎖しろ」と美術館の外で連呼した。彼らはまた、「ケフィエ禁止に反対」と書かれた看板や、パレスチナ支持集会で唱和される『川から海まで』を日本語で記したサインを掲げていた。今回、解雇された従業員の一人で抗議に参加したトラソニア・アボットはこう語る。 「誰の文化が政治的であるかを恣意的に決定することは、文化機関にとって恐ろしい前例となるでしょう」
ニューヨークのクイーンズにあるイサム・ノグチ財団・庭園美術館(以下、ノグチ美術館)は8月14日、同館の職員がケフィエ(*)を着用して勤務していることを懸念し、ケフィエの着用を禁ずる新たな服装規定を制定した。これを受けて、同館で働くおよそ70人のうち50人ほどの職員が「ノグチミュージアムライツ」という団体を結成し、美術館の上層部にこの方針の撤回を求める嘆願書を提出、ストライキを行なった。同館では8月15日にも同様の抗議運動が行われている。 * ケフィエ(keffieh、または、kafiyyeh)とは、中東各地で着用されている伝統のスカーフで、近年ではとくにパレスチナの民族的アイデンティティーや抵抗を象徴するものとして捉えられることが多い。 8月19日に提出されたこの嘆願書で、ノグチミュージアムライツは、ケフィエの着用を許可すること、そしてこの抗議行動に参加した職員に対する懲戒処分を行わないこ
ホン・ヨンウ回顧展「郷愁」 /25日まで練馬で by CHANG.HE · 公開済み 2024年8月21日 · 更新済み 2024年8月22日 絵本『洪吉童(ホンギルトン)』、1996年の月刊イオ創刊号から長期連載された『ウリマル図鑑』などで知られる洪永佑さん(1939-2019年、朝鮮民主主義人民共和国の人民芸術家)の回顧展「郷愁」が8月20日から、東京都の練馬区立美術館区民ギャラリーで開かれています(25日まで)。 洪永佑さんは愛知県岡崎市生まれ。 日本の学校で育った洪さんが自身のルーツに目覚めたのは二十歳を過ぎてから。 回顧展では、洪さんが1980年代に朝鮮で描いた「妙香山 上元庵」「平壌駅」「朴淵瀑布泛桰槎亭」、朝鮮時代の庶民の暮らしを描いた「端午の節句」「市の日」「唐辛子市」「秋の風景」など29点の朝鮮画、朝鮮青年社時代に描いたマンガ(2冊)、日本や韓国で出版された絵本(25冊)
戦前のプロレタリア美術彫刻家、長谷川昂(はせがわ・こう、1901~40年、本名三角泰=みすみ・ゆたか)氏の遺作ブロンズ像「(習作)縛られた前衛」が、このほど、日本共産党本部(東京都渋谷区)エントランス(玄関)ホールに展示されました。 同作品は2003年、遺族から日本共産党に寄贈されました。野呂栄太郎・塩沢富美子記念館で03~24年まで展示されていましたが、今回、党本部に移設されました。 同作品は長谷川氏が1929年に日本プロレタリア美術家同盟の第2回プロレタリア美術大展覧会に出品。約1メートルの台座に高さ約55センチ、幅約58・5センチの胸像です。 『日本共産党の百年』の第1章「日本共産党の創立と戦前の不屈の活動」には、「(19)28年の『3・15』事件の直後、プロレタリア芸術団体の合同によって全日本無産者芸術連盟がつくられ機関紙『戦旗』が誕生します」と文化分野でのたたかいを記しています。
三島喜美代さんは6月19日、お亡くなりになりました。91歳でした。告別式は近親者で済ませました。ご冥福をお祈りします。(6月27日追記) ◇ 新聞や雑誌、チラシ、ゴミなどをテーマにした陶の作品で知られる現代美術家・三島喜美代さん(1932〜2024)の個展「三島喜美代―未来への記憶」が練馬区立美術館で7月7日(日)まで開催されています。70年にわたる三島さんの創造を約90点の作品で辿ります。三島さんの作品は、国内外の美術館で広く収蔵されていますが、東京の美術館で個展が開催されるのは本展が初となります。 「割れる」新聞やチラシ、ゴミ 本展では、初期の絵画作品から近年の作品までが4章構成で紹介されています。三島作品の代名詞ともいえる「割れる印刷物」は、1970年頃から約半世紀にわたって作り続けられてきました。 三島喜美代 《Package ’74》 1973-74年 滋賀県立陶芸の森 陶芸館蔵
戦争で命を落とした画学生たちの作品を展示する長野県の美術館「無言館」の共同館主に文筆家の内田也哉子さんが就任し、「戦争を知らない世代から影響を受けた人たちまで平和を語る機会を作っていきたい」と抱負を述べました。 美術評論家の窪島誠一郎さんが開設した長野県上田市の「無言館」は、第2次世界大戦で亡くなった美術学校の学生や卒業生の作品や遺品などおよそ700点を収蔵しています。 無言館の存在をさらに広く知ってもらおうと、文筆家の内田也哉子さんが新たに共同館主に就任し、14日、窪島さんとともに都内で記者会見を開きました。 内田さんは母親で2018年に亡くなった俳優の樹木希林さんとともに、親子2代にわたって無言館や窪島さんと交流を続けてきたといい、「戦争を知らない者として、また戦争が絶えない世界を生きる1人として、無言館というけうな美術館の存在を精いっぱいお伝えできたらと思う」と抱負を述べました。 そ
2023年5月、ビジネス総合誌「プレジデント」に頼まれて、東京大学総合文化研究科准教授・斎藤幸平(37)のインタビュー写真を撮ったときのことだ。斎藤が米政治学者の研究を紹介して語ったひと言に、宇佐美雅浩(51)は目を見開かされた。 折しも明治神宮外苑(東京)の再開発計画が進んでいた。明治神宮や三井不動産など4者が28・4ヘクタールを整備。神宮球場と秩父宮ラグビー場を場所を移して建て替え、高層オフィスビル2棟、宿泊施設が入る複合ビルを新たに建てる。こうした開発により743本の樹木が伐採され、100年かけて育まれた環境が損なわれる恐れがある。これに対し、末期がんと闘う作曲家・坂本龍一=同年3月28日に71歳で死去=が都知事の小池百合子らに手紙を送るなど、見直しを求める声が高まっていた。
公益財団法人 大倉文化財団 大倉集古館と大成建設が、「特別展 大成建設コレクション もうひとりのル・コルビュジエ 〜絵画をめぐって〜」を開催する。会期は6月25日から8月12日まで。 ル・コルビュジエは、フランスを拠点に活動した建築家。日本の国立西洋美術館をはじめ、7ヶ国にある17資産がユネスコの世界文化遺産に登録されており、20世紀を代表する建築家として評価されているほか、数多くの美術作品を残したアーティストとしても知られている。 同展では、大成建設のル・コルビュジエ・コレクションの中から油彩や素描、パピエ・コレ、版画、タピスリー、彫刻などを展示。1917年頃に画家のアメデ・オザンファンとともに提唱した「ピュリスム」の作品や、1920年代末以降に描かれた「女性」をテーマにした作品、第2次世界大戦中に制作された象徴的なモチーフをメインとした作品、グラフィック的な表
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