搾取を語るなら論文を読めそういうわけで、Atul KOHLIの"Japanese Colonialism and Korean Development:A Reply"を読んでみた。どうやって読んだかというと、google scholarで「Japanese Colonialism and Korean Development:A Reply」で検索してみると、全4バージョンのうち、2番目に同論文のHTMLバージョンが見られるので、それを利用したのだ(そのままだと読みにくいのでワードで編集した)。で、一通り読んでみたのだが、これを読んで日本の韓国統治が善政だったかどうかはともかく、「その植民地政策が、他の帝国主義国家の政策とは明らかに異なる、有益なものであった」ことについては、学者の間である程度のコンセンサスがあるという考えにはとても同意できないな、と思った。植民地における「収奪と開発」な
行政刷新会議の「事業仕分け」で事実上の凍結と判定され議論を巻き起こした文部科学省の「次世代スーパーコンピューター開発」は、従来の計画では「世界一」になれないと昨年春の時点で内部評価されていたことがわかった。 昨年7月に公表された表向きの報告書では、この事実は伏せられていた。同省が22日、発表した。同省の担当者は「海外に手の内を明かしてしまえば世界一にはなれず、やむを得なかった」と話している。 事業仕分け後の昨年末、「世界一」のスパコンに固執しない方針に変更したことから、内部評価を隠す必要がなくなった。内部評価の報告書には、米国の開発状況や、海外との競争に勝つためには追加経費が必要になること、完成時期を前倒ししなければ目標は達成できないことなど、詳細な戦略が記されていた。
稲葉振一郎先生が、 http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20100119/p4(「メモ」「人間力」「職業能力」「学校教育」) >hamachan先生や金子良事氏や労務屋さんがあれこれ言っているのを脇に見ながら。 といいつつ、 > 本田由紀は公教育の政治的側面、人格陶冶の機能を強調するある種の主流派左翼教育学を批判し、公教育における職業教育の復権を高唱するが、・・・ と、職業レリバンス論に対する側面的批判をされています。 何と申しましょうか、稲葉先生はやはり本質的に「哲学の人」であるのだな、と感じました。これはいかなる意味でもペジョラティブなインプリケーションはありません。時々ここで漏らしているように、私も本音では哲学って好きなんですよ。ただ、それはプラーベートスフィアでのことであって、世の中に対して労働問題の専門家としてものをいうときは、徹頭徹尾、「
置き忘れ議論のひとつに、池田信夫氏の提唱した「複雑な問題に簡単な答はない」という比喩がある。池田信夫氏の賢さと、それに基づいたある種の欺瞞はここに凝縮されていると思う。 複雑な問題に簡単な答はない* http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51308005.html 複雑な問題に簡単な答えはない http://progre2033.blog27.fc2.com/blog-entry-628.html 「デフレ対策」論争についての雑感 http://eurofunda.dtiblog.com/blog-entry-754.html 反デフレ政策FAQ中のFAQ http://www31.atwiki.jp/anti_deflation/ 池田のブーのブログ http://ameblo.jp/ikedagagabaka/ ■[economics]金融政策
オバマ大統領が演説で「政府の大小が問題なのではない。機能するかどうかが問われているのだ」と発言し、それを聴いた聴衆が最初は「まあそうだな」と思ったものの、オバマ政権が健康保険の問題とかで実は大して機能してなかったと思われたので支持率が急落した逸話を思い出したのが以下の議論です。 [雑記]「大きな政府、小さな政府」など存在しないよ http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20091030/1256911673 もちろん、比喩としての大きな政府、小さな政府というのは厳密な定義がされているわけではないですが、政治思想の観点から言うならばおおよその意味は決まってます。高熱とは何度か? という定義を求めるようなもんですけれど、政治過程から考えますに夜警国家(ラッサール)が主権国家の最低限の小さな政府である、という暗黙のルールがあるんで、存在しないよと豪語しちゃうのは馬鹿の極みと
charis氏の拙著に対する3回シリーズの批判が終わったようですので、若干のコメントを述べておきたいと思います。 http://d.hatena.ne.jp/charis/20090804 http://d.hatena.ne.jp/charis/20090805 http://d.hatena.ne.jp/charis/20090806 まずはじめに申し上げておきますと、charisさんはいささかわたくしを急進的な改革論者という風に認識されすぎておられるのではないかと感じました。わたくしのモットーは、認識論的にはラディカル(根底的に考えるということ)に、実践論的にはリアリストであれ、というところにありますので、 >長期雇用・年功賃金制という屋台骨を破壊しなければならないほどの積極的な理由を、私は濱口氏の叙述の中には読み取れなかった。 などという急進的な主張をした覚えはないのですが。むしろ
調停装置の在処 - 地を這う難破船 先にケンカを売ったのはこちらだし、まあ粗い書き方をしているのは認めざるをえにゃーので、「誤読」をされても仕方のにゃーところですにゃ。謝ってもらうようなことではにゃーです。 また、今回のsk-44の応答には感謝していますにゃ、おかげでこちらも先に進むことができそう。このエントリにおいては、いままで書いてきたことにいくつか重要な修正をしながら応答させていただきますにゃー。 被差別マイノリティのための表現の自由 「フィクションをエクスキューズに陵辱を楽しみたい」人々と、性犯罪被害者は、コミュニケートできますか。すべきと思いますか。できるしすべき、とお答えされるのであれば、議論は前に進みます。「フィクションをエクスキューズに陵辱を楽しみたい」人々にとって、現実の性犯罪被害者もまたエサたりうる。時に、性的な意味でも。口に出すのがDQNです。「これは討議である」をエ
tikani_nemuru_M 困ったもんだ "「淘汰されるための枠組」について考えておられる。それが「公共圏」です。" 失笑した。 はてなブックマーク - 性的搾取の後始末 - 地を這う難破船 「失笑」ですか。そんなブコメ番長なレトリックを書き付けている暇があったら、正面切った反論をエントリとして上げてください。sk-44は問題の所在についてコレとコレとコレとコレがわかっていない、ココとココとココとココを踏まえていない、と、そういう話を。存分に反論してほしいので、待っているんですけど。そして待ちくたびれかけています。「自分はそんなことを言っているのではない」という話なら了解です。確かに読み違えていました。申し訳ありません。改めて、tikani_nemuru_Mさんの一連の発言を確認しました。議論の軌道を修正するべきでしょう――むろん私の責任なので、私が。 このところ挑発的なエントリを書
この週末にこの話題を追いかける余裕がなかった分,何か見落としているかもしれませんが,以下のエントリの特に「5」についての話. 個別の犯罪が関連を持って継続する系統的な被害 - 地下生活者の手遊び 僕の先日のエントリおよびそのコメント欄において,今回の話題において『人権侵害』というタームは使うべきではなく,また,法令や裁判の判例を繰り返し用いるべきではない,と僕は述べました.コメント欄や上のエントリでにおけるtikani_nemuru_Mさんの意見では,『人権侵害』という呼称を意図的に使用しているとの事なので,私は反対意見を改めて説明してみようと思います.ただ,当然ながら僕は『人権侵害』という呼称に反対する人の代表者ではなく,他の方はまた別の理由で『人権侵害』という呼称に反対しているのだろうと思います. 先立って,tikani_nemuru_Mさんが指摘する問題の存在について同意し,そこに光
本来、佐藤亜紀氏への応答を先に行うべきなのですが、tikani_nemuru_Mさんへの応答をひとまず先に行います。佐藤亜紀様、「後回し」にして申し訳ありません。次回のエントリで応答させていただきます。 ⇒スターリニストなのでスターリンになりたくない(追記アリ - 地下生活者の手遊び だから私には「社会意識は言論や表現とその流通のあり方をメッセージとした表象に対する読解の文脈として反映される」がわからない。最初この一節を読んだときは、ただの言葉遊びだと思ったことを正直にいっておきます。今は、それが言葉遊びでも詭弁でもないことはわかりますが、その意味するところは正直なところ腑に落ちてはまだわからない。私にとって表象は、それはそこにあるもので、読み解くものではない。読み解く主体は私にとって同志スターリンになってしまう。 私も正直に申し上げるなら、『言論・表現への法規制に抗するために』を一読した
昨日の記事に付け加えることはあまりないのだけど、「読み解く」のは難しいのでしょう。同じ事を別様に言うというのは嫌いじゃないので、書いておく。 僕は「愛好家・擁護者がこの程度である限りは、こんなものは規制さるべし」の述べているのだが、重要なのは前半の条件節の方。脚注でも述べているように、ここまでラディカル・フェミニズムをなぞって論を立てても、規制に100%賛成するわけではないのだ。僕は、どちらかと言えば、原則論的な「言論の自由」信奉者だ。規制には「最大限」反対。100%ではないけどね。 性も、性暴力も、暴力も、差別も、殺人も、その他どんなものであれ、表現の対象にしうる。表現したらいい。表現の内容は問題にしうる。問題にしたらいい。表現も、表現を問題にする言説も、原則としては、言論の自由という土俵の上で互いにぶつかり合うことができ、それを通じて、私たちの認識は磨かれる。それでこそ「言論の自由市場
おそらく人文学系の方で、きちんと研究されているものだと思うのですが、私は人文系の話は疎いため、自分の経験から感じたことを元に書いていきます。id:dlitさん辺りがもっと適切な話*1を出してくれるのではないかと期待してエントリを上げます。 書いていないことを勝手に読み取るな 議論ではよく「書いていないことを勝手に読み取るな」といったことが言われます。 そもそも「異なる前提」を持った人同士が話をするのですから、「勝手に読み取った」行間は、不正確な場合が多いわけです。なぜなら、行間を読むためにはなんらかの補足情報が必要であり、その補足情報が「異なる前提」だったりするからです。 不正確な読み取りが頻発すれば、「そこはそういう意味じゃない」「いや、そう読める」という、不毛なやり取りが延々と続くことになるわけです。 文脈を読め また、「文脈をきちんとよめ」といわれる場合もあります*2。 自然言語とい
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