プロローグ 1995年1月17日の早朝午前5時46分。神戸・阪神地域で大地震が起き、人々はその激しい突き上げによって、飛び起きた。その瞬間から、どこで何が起きたのか、どんな地震が起きたのか、どんな被害が出ているのか、多くの人はその確かな情報を探し求めた。おぼろげながら事態が見えてくるにしたがって、被害はみるみる拡大していき、想像を絶する大惨事であることがはっきりしてきた。 報道機関も、日常の機能が壊滅的に破壊された状況の中で、正しい情報を、迅速に、かつ冷静に発信することに奔走した。すべてが一刻を争う時間の勝負だった。それはいまだ経験したことのないことの連続であった。 そのとき被災地にあるラジオ局で、報道の最前線にいた三枝さんは、現場の状況を報道しつづけた一人である。何よりも現場のありのままの状況を、またそこで必死に闘い続ける人たちの生の姿と叫びを、繰り返し繰り返し送り続けた。 7年近
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