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2008年3月11日のブックマーク (4件)

  • NGワード「議論をしたいわけではありません」:ekken

    ブログに何か(ホゲホゲ)に対する批判を書いておいて反論がなされると「私は議論をしたいわけではありません」などと言い出す人がいる。 自分はホゲホゲに対する否定的見解を示すけれど、その見解を批判されるのはイヤ、という考えが自己中心的だと思う。 また、「議論したいわけじゃない」のなら、自分の意見に出された批判に対して再反論しなければ「議論」になんかならず、各人の個人的見解の確認で終わるはずなのに、どういうわけか批判に対してヒトコトフタコトは言っておきたいらしいのも謎。 Comments: 4 #3591 emi URL 2008-03-09 Sun 11:29 面と向かって言われたことがあります。男に言われたので、女なんかと小難しい話をする気は無いという意味だったと思う。 #3595   URL 2008-03-10 Mon 20:58 したくないからしょうがない。 そんなことに文句いうあんたは

    ohnosakiko
    ohnosakiko 2008/03/11
    「私は議論をしたいわけではありません」=「これは独り言なんです、ほっといて下さい」メソッド/返されると困るのでブコメとかツイッターとか>どういうわけか批判に対してヒトコトフタコトは言っておきたいらしい
  • 言葉を窒息させているのはダレ? - takoponsの意味

    はてブの人たちが偉そうにしている理由 - 琥珀色の戯言 『はてな』を窒息させる「理論派ブックマーカー」 - 琥珀色の戯言 「現実」と「当然の権利」 - 琥珀色の戯言 「権利」を持ち出されてきたようですけど、fujiponさんはご存じないのかな? 異論・反論を嫌う者が権力を持つと、ロクなことにならないのを。 (今回も長文なので、ネガコメ論争に興味のある方だけどうぞ) 最近、海外ドラマ「24シーズン5」を観ていて、そこには自分に害を及ぼす者を抹殺しようとする権力者の姿が映し出されています。まあ24はドラマでありフィクションですが、同様の事は現実でも起きています。 例えば、 中世ヨーロッパの魔女狩り(1500年〜1600年代) ナチス・ドイツのゲシュタポ(1933年〜1945年)や大日帝国の特高警察(1913年〜1945年)などの秘密警察 オウム真理教を批判していた坂堤弁護士(当時33歳)が

    言葉を窒息させているのはダレ? - takoponsの意味
    ohnosakiko
    ohnosakiko 2008/03/11
    「琥珀色の戯言」の一連の記事とそれに賛同しているブコメに感じていた違和感が、わかりやく書かれている/理論、感情の区分けは難しいが、「感情派ブロガー」は共感だけを求め批判や質問を敬遠と理解。
  • 良薬口に苦し - 素通りできなかった時のために

    ■なぜネガコメばかりに見えるのか 定期的に否定的なブクマコメ(ネガコメ)にムキになる人が現れたりする。そして決まって言うのが「ネガコメばかりしている人に限ってブログがつまらない、書いてない」だ。 だから何なんだろう、と思う。ネガコメばかりしている人が面白いブログを自ら書かねばならない理由など、何一つ私には思いつかない。そういう行為をしている人は尊敬されない、省みられない? 別にそれでいいではないか。尊敬されないリスクは他でもない、ネガコメばかりしている人が背負うのだから、いらぬおせっかいだろう。 そもそもコメントがネガコメばかりに見えてしまうという事じたいが、特段なんの不思議なところのない無理もない現象である。ここに底の浅い近視眼的な誤解があると、ネガコメ批判となってしまう。 当該記事に賛意を示す場合と批判を示す場合とでは、ブクマの仕方が違うだろう。賛意を示す場合はコメントそのものは無くな

    良薬口に苦し - 素通りできなかった時のために
  • 上から目線 - ほぼ不定期刊眉唾記

    最近、ブログのコメント欄や、はてなブックマークのコメントに対する反応として、「上からの目線で不愉快」という趣旨のものを度々見かける。 どうやら、そのような発言をする人にとって、「上から目線」というのが悪いことであり、批難されるべきものであることが自明なようである。 これに対し、私は少し違和感を覚える。 おかしいと思ったことをおかしいと指摘するときに、常に批判対象と同じ目の高さに自分を置かなくてはならないのだろうか。 意見の相違というのは、多くの場合、同じ事物を見る角度や、見る側の立場や経験の差から生まれるのだと私は思う。また、自分の中に生まれた異論を公にするということは、相手の見方より自分の見方の方が正しいという前提に立つ場合が多いのではなかろうか。つまりは、自分の視点のほうが正しいという認識であって、必然的に、「上から目線」にならざるを得ないということになる。 もちろん、その内心を隠して

    上から目線 - ほぼ不定期刊眉唾記
    ohnosakiko
    ohnosakiko 2008/03/11
    重要。クリティカルヒット。