イチローさん(51、マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が18日、母校である愛工大名電高校を訪れた。「想像以上にレベルが低い」母校へ厳しい印象を語ったイチローさん。データ野球が主流となってきてい…
まめっち @mametchidesu キャッチャーってバッターの後ろにいる人だよね?ってことはバッターは敵の中に1人で乗り込むってこと?野球ってむずいな 2024-10-21 23:11:25 茶色いワンコ🐶 @takigawa_w @lazystudentAGU 「恐ろしいことに、バッター以外のフィールドプレイヤー全員がグルで、バッターをOUTにしようと虎視眈々と狙っています。ピッチャーはあなたにボールをぶつけることもできますが、故意の場合にはピッチャーは退場になります。その場合、もっと元気なピッチャーが登場します。」 2024-10-21 22:15:48
先ごろ楽天の早川隆久が太田光のリードに不満を表したことが話題になった。4月19日の西武戦で先発し、太田とバッテリーを組んだ早川は三回までに5失点。四回から捕手が石原彪に代わると、早川はそれ以降の4イニングを無失点に抑えた。試合後、早川は序盤の3イニングについて「自分は要求された球を投げただけ」と話したという。同僚の配球への批判ともとれる発言が波紋を呼んだこともあり、早川は太田に謝罪。5月3日の
中日の大野雄大投手が9日、ナゴヤ球場内で契約更改交渉に臨み、20年オフに締結した21~23年までの3年契約に加えた24年シーズンのオプションとなる条件を、昨季のうちにクリアしていたと明かした。来季、4年契約の最終年として、現状維持の3億円プラス出来高5000万円でサインした。 球団との話し合いは「6分」で終わったというが、記者会見ではチームについて「ガラッと変わらないと勝てへんやろなと思いますね」などと25分にわたって熱弁を振るった。全文を掲載する。 (放送各社向けのインタビュー) ―契約について 「20年のオフに、オプションをクリアしたらもう1年(の3年プラス1年の契約を結んだ)。それ(オプションの条件)を21年シーズンにクリアしたので、現状維持で(4年目の)24年もいきます」 ―今季は悔しい1年 「春先に手術して1試合しか投げられなかった。手術のタイミングは難しかった。もちろん野球選手
伊集院光さんを文春野球にお迎えすることになった。ご存知、筋金入りの日ハムファンだ。かつて不人気だった東京ファイターズを伊集院さんが応援してくれてると知って、どんなに心強かったことか。いつも、どんなときも「伊集院さんがこんな見方をしている」というのが僕のモノサシになった。僕も伊集院さんもただのファンではなくて、(昔流に言えばサブカルチャー寄りの)メディア側の人間だ。たとえばラジオで、たとえば新聞や雑誌のコラムで、ファイターズをどう扱うか、ファイターズとどのようなスタンスを取るかをひとに見られている。 球団の北海道移転が報じられたとき、僕は消極的ながら賛成にまわった。翌年、球界再編騒動が巻き起こる。移転反対の署名活動を始めたファンもいたけれど、それには与しなかった。内情を聞いて、このままじゃ将来、ファイターズが潰れるんじゃないかと思ったからだ。僕はそれを率直に書いた。単に賛成するのじゃない。僕
今夏、横浜高野球部をキャプテンとして率いた緒方漣。「1週間ぐらい家から出られませんでした」と語るあの神奈川大会決勝の敗戦、のちU-18野球ワールドカップ日本代表で“蘇生”ともいえる世界一とMVP……。激動の夏を終えた今、緒方を直撃した。#1は「神奈川大会決勝の絶望」(全3回の#1/#2、#3へ)。 いま明かす「あの決勝」 ――U-18ワールドカップの決勝、台湾戦は、最後の打球はセカンドの緒方君が処理し、2-1で逃げ切りました。どんな思いが頭を過ぎりましたか。 緒方 今までにない感覚というか……。どん底から世界一になれたので、ほんとに報われたな、と。やってきてよかったなと思いましたね。あのときは、(アウトは)1つずつだぞ、1つずつだぞって、ずっと言い聞かせてたんです。慶応戦のこともあったので。 ――この夏は、本当に「どん底」からの栄冠でしたよね。思えば、夏の神奈川大会の決勝は、横浜サイドから
須江は今まで見たどの監督ともタイプが違った。どんな試合の後でも快活で、雄弁だった。そして、プラス思考の塊だった。 3回戦の履正社戦では、3回にエラーが3つも集中した。ただ、その回は幸いにも1失点でしのいだ。とはいえ、普通の指揮官だったら、次戦に向けて反省が口をつきそうなものだが須江はそうした素振りを微塵も見せなかった。 「あれだけミスをして1点しかとられなかった。奇跡みたいなものですよ。神様が勝てと言ってくれているのかと思いました」 続く準々決勝の花巻東戦は9-0のリードで迎えた9回裏、負けているチームに過度に肩入れする甲子園特有の球場の雰囲気も手伝い、打者一巡の猛攻に遭って4失点。大量リードに守られて逃げ切ったが、後味の悪さも残った。だが、須江はあくまで前向きだった。 「今日もいい経験をさせてもらいました。甲子園は最終回、やっぱりこういう雰囲気になる。それを経験できたというのが大きかった
三塁側アルプス席は、ランナーが出たり、点が入ったりすると、まるでエネルギーが投下されたかのように、応援のボルテージが一段上がった。鈴木が続ける。 「点数が入ったりしたら、球場全体が応援しているような感じになって……。相手のリズムになってしまうので、聞かないように、流されないようにしていたんですけど、少し飲み込まれてしまった感じです」 実際には三塁側とライトスタンド、つまり、球場半分が慶応の応援席のようになっていたのだが、鈴木のポジションにいたら「球場全体」と錯覚しても不思議ではない。 浴び続けて…「クラクラしました」 仙台育英は春のセンバツ大会でも慶応と対戦していて、やはり同じように三塁側から応援の圧力を受けたが、今回は、それを上回っていたという。慶応サイドからは、それなりの距離があったライトの斎藤陽でさえこう言った。 「選抜のときも、すごいなって思ってたけど、それ以上の応援が来た。すっご
仙台育英の須江航監督が振り返る。 「うちの先発は湯田、相手は鈴木(佳門)くん。うちが先制点を取らなければいけない展開で、先頭打者の丸田くんに本塁打を打たれてしまいました。あの本塁打が球場の雰囲気を一気に慶応へと変えました。丸田くんを褒めるしかないです」 仙台育英の先発・湯田統真投手は初回、慶応の先頭打者・丸田湊斗選手と対峙する。2球で追い込んだ後、ボールが2球続いた5球目。甘く入ったスライダーをバットの真芯で捉えられる。打球はレフトからライトへ強く吹く風に乗ってライトスタンドへ。ぎっしりと埋まった三塁側のアルプス、さらには三塁側スタンドや外野スタンドでも慶応のチームカラー青と赤のメガホンが揺れる。地面を突き上げるように歓声が聖地を包んだ。 単なる先制点ではない。最も乗せてはいけない打者、丸田に浴びた先頭打者本塁打は仙台育英にとって最大の敵となる慶応の応援団を勢いづかせた。応援の域を超えた騒
昨夏の甲子園、注目はただ一点に絞られていた。どこが大阪桐蔭を止めるのか――。そのダントツの優勝候補が、下関国際の前に準々決勝で散った。なぜ大阪桐蔭は土壇場9回に逆転を許したのか。なぜ下関国際は異様なまでに冷静だったのか。西谷浩一と坂原秀尚。両校監督へのインタビューから、ノンフィクション作家・中村計氏が迫った。【NumberWeb集中連載「計算された番狂わせ」全7回の#3】 本州の最西端、下関市の先っぽの小高い丘の上に立つ下関国際高校。野球部寮「立志貫道館」は、そこから50mほどの距離のところにある。2020年に完成したばかりだ。 寮内に掲げられた2022年用カレンダーの8月18日のところが、何重もの赤い丸で囲まれていた。その年の夏の甲子園の日程が予定通り進めば、18日は、準々決勝が行われる日に当たっていたからだ。 2022年夏は、4年振りに雨天順延がなく、試合は順調に消化されていった。つま
To Read in English (Published Feb 12, 2020), please click here. 僕は球界で「何でもずけずけ言うやつ」と思われている。言い方を変えれば、僕が球界を混乱させているということだ。でも、「何でもずけずけいうやつ」というのが僕に対する正しい表現なのかわからない。僕はただ真実を語ろうとしているだけだ。事実に基づいたことをいつも言っているつもりで、決してでたらめを言っているわけではない。もし僕が間違っているなら、それは素直に認めるつもりだ。ときには、真実を話すことが誰かを困らせたり、怒らせたりすることは理解している。でも、それで自分を変えるつもりはないし、自分が正しいと思っていることを引っ込めるつもりはない。 真っすぐに生きていくのは大変だ。人は孤独でいる時間が長いし、それはかなりしんどいものだ。しかし僕は孤独に慣れていた。温かい家族のもと
まずは、僕が野球を嫌いになりかけた話から始めさせてください。 幸運にもプロ野球選手になれて、好きなものを仕事にできて、それなりに1軍で結果を残せて。満ち足りた野球人生を送らせてもらいました。 でも、結果的に現役最終年だった2020年、僕はあんなに好きだったはずの野球が嫌いになりかけていました。調子がよくても、結果を残しても使ってもらえない。1軍に上がるのは若い選手ばかり。プロ9年目、31歳になった僕も「これがプロの世界だ」と理解していたはずでした。 元プロ野球選手の就職活動 最初に頭に浮かんだのは家族のこと。僕には妻と息子、娘の家族がいます。現役時代は家族との時間が取れなかったので、半年近くは仕事もせずに家族サービスの時間にあてました。一緒に買い物に行ったり、娘の幼稚園の送り迎えをしたり、息子の学校行事に参加したり。 それはそれで楽しかったのですが、さすがに仕事をしないと家族を養えません。
ダルビッシュ有が考える、日本野球界の問題「時代遅れの人たちを一掃してからじゃないと、絶対に変わらない」 全4回にわたる独占インタビューの第1回で、メディアへの本音を語ってくれたダルビッシュ有。その強いメッセージには、ファンだけでなく選手からも大きな反響を呼んだ。続く第2回のテーマは、「日本野球界の問題」についてだ。日本の野球人口はここ数年で大幅に減少し、育成年代における指導者の暴言・暴力に関する問題も数多く起きている。 こうした日本野球界の現状を、ダルビッシュはどう見ているのだろうか。その本音を明かしてくれた。 (インタビュー・構成=岩本義弘[『REAL SPORTS』編集長]、撮影=小中村政一) 前回記事はこちら 「自分たちぐらいの年代が、監督・コーチになっていかないと変わらない」 今、日本の野球人口が減っているのが大きな問題になっています。少子化による人口減少の比率以上に少年野球の人口
決勝前夜1時半、ダルビッシュから村田コーチに電話「資料持っていきます」 トラウト攻略法見い出す 拡大 侍ジャパンの村田善則バッテリーコーチが26日、日本テレビで放送された「真相報道バンキシャ!」の取材に答え、WBCの決勝戦でアメリカ代表を攻略した裏側を明かした。 村田氏によると、準決勝(メキシコ戦)が終わってホテルに戻ったのが午前1時ごろ。午前1時半ぐらいに部屋の電話が鳴ったという。「すみません、今から資料持って行きますので」。ダルビッシュ有投手からだった。 ダルビッシュは「かなりしっかりしたデータを持っていた」といい、ダルビッシュの資料とすりあわせて検討したところ、「昨年のMLBのデータとか見てても、意外とフォーシーム(ストレート)がはじけていなかった(打てていなかった)」という。 「イメージとしては怖いじゃないですか、まっすぐ(ストレート)を強打者に投げるのは。(でも)そこを勇気持って
地中海の国にある野球の世界は驚きに満ちていた。 セリエBといえば聞こえはいいが、もちろんプロじゃない。トップチームの仲間たちは当時30歳になったばかりの僕とほぼ同年代で皆、本業を持っていた。 主将で遊撃手のアントニオは印刷屋。アメリカかぶれなので「俺のことは“トニー”と呼べ」と全員に命じていた。控え捕手のフランチェスコは薬剤師で、いつも練習帰りに「乗ってくか」とベスパの後ろに乗っけてくれたナイスガイだ。もう一人いる別のフランチェスコは無職の主戦投手で、本人曰く「俺のストレートは最高速130キロ」だが、スピードガンがクラブにないので信憑性がなかった。ついでにスタミナもなかった。 練習は週3度で、週末に試合というルーティン。移動は分乗。決まった集合時間はなく、各自が仕事の都合に合わせて可能な時刻に三々五々集まった。スーパー店員、運送屋、PCサービス等など、それぞれの職業はバラバラだったが、野球
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