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2015年1月6日のブックマーク (5件)

  • 60歳くらいで救急車で運ばれてきてさ。結婚してない、両親は死んでる、兄弟は田舎に住んでて連絡はとってない。趣味は友人と飲むこと。仕事はまぁまぁ。 検査の結果結構な肝硬変で入院になるわけ。その時に入院中お世話してくれそうな人いますか?急変時連絡したほうが良い人いますか?って聞くのよ

    りんご酢 @KOMAINU1211 よく彼女欲しいならそのおたく趣味で知り合った女の人はどうなの?って聞かれるけどなんか違うねんな。おたく趣味で知り合った人はあくまでおたく友達であって性別は超越してるというか、手を出すのはタブーな感じというか、せっかくの貴重なおたく友達を色恋沙汰で潰したくないというか。うーん。 2015-01-01 23:51:44 りんご酢 @KOMAINU1211 みなさんはどうなんですかね。確かにおたく友達だけども魅力的な女性は多いですけど、そういう目で見るのは相手にも失礼かなって思ってしまう。 むしろおたく同士で付き合ってる方達はどんな馴れ初めなのかキニナル。 2015-01-01 23:53:44 りんご酢 @KOMAINU1211 話巻き戻るけど、結局のところ彼女が欲しいとかそういう事じゃなくいつまで好きな事だけやって生きていくのかってこと。 特にミリオン界隈

    60歳くらいで救急車で運ばれてきてさ。結婚してない、両親は死んでる、兄弟は田舎に住んでて連絡はとってない。趣味は友人と飲むこと。仕事はまぁまぁ。 検査の結果結構な肝硬変で入院になるわけ。その時に入院中お世話してくれそうな人いますか?急変時連絡したほうが良い人いますか?って聞くのよ
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    rAdio 2015/01/06
  • ナンシー・フレイザー「フェミニズムはどうして資本主義の侍女となってしまったのか」 | おきく's第3波フェミニズム

    アメリカの社会主義フェミニスト、ナンシー・フレイザーの文章を訳したものを紹介します。 これは「The Guardian」のサイトに寄稿されているものです。2013年10月に掲載されたようです。翻訳に間違いがあるかもしれません。ですが、非常に重要な議論をしています。多くのひとに読んでほしいと思うのでここに紹介します。 できるだけ原文にあたってもらうことをお勧めします。(→ココ) ただこの主張自体は、以前からフレイザーが論じているもので、ここでは簡略化したものが寄稿されています。日語に訳された論文もありますので、関心のある人は、CINIIで検索して読むといいと思います。 なお、掲載にあたっては著者ご人の承諾をいただきました。ありがとうございます。 ※1/6 ご指摘をいただき、第4段落「with the benefit of hindsight」の訳を直しました。 ※ほかにも読みやすいように

    ナンシー・フレイザー「フェミニズムはどうして資本主義の侍女となってしまったのか」 | おきく's第3波フェミニズム
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    rAdio 2015/01/06
  • インターネットに疲れたら、別のインターネットを探しに行こう - ぐるりみち。

    なんか、もっと、こう、自由になれないかなって思う。 最近のサイトをみても、みんな一般論しか述べていなくて、自分は間違っているだろうけれどもこう思うとか、こうしか生きられないからこう生きてる。っていうブログとかサイトがない。あっても、すぐ、“お前はおかしい”ってリプがついて、消えて行ってしまう。 (最近、ブログが不自由になってきたと思いませんか? - orangestarの雑記) 各所で話題になっている、ブログに代表される「インターネット」の話。だいたいどの意見を読んでも、「あるあるー」「わかるわー」と頷いてしまう自分だけど、インターネット歴は15年程度。「初めてのネットはギリギリで電話回線だった」くらいの経歴です。 それでもやっぱり “昔と比べて” 、現在のネットに息苦しさを感じてしまう気持ちにはなぜだか共感できてしまう。 振り返ってみれば、当時は最低限のマナーさえ守って、あとは荒らしだけ

    インターネットに疲れたら、別のインターネットを探しに行こう - ぐるりみち。
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    rAdio 2015/01/06
    「自由」のかたち、あり方について、自由であれ、という呪縛にとらわれ、仕様やシステムによって規定せず「運用でカバー」してきたが故の「不自由」化、という結果なのかも知れないな、と思っている。
  • ブログが息苦しくなったのは「物理的に刺してくる」隙と手段ができてしまったから - 太陽がまぶしかったから

    photo by flyone ネットが息苦しくなった問題 読みました〜。ネットが息苦しくなった問題について、自分の中では増田コンビニ店長?)の内容に一番シンパシーを感じました。正直なところ、ネット上でいくら文句や悪口を言われてもネット上で終わっている限りは何も痛くないんですよね。 思うに、「炎上したり批判されるのが怖いし、そんなことされたらネット上で文章表現するの続けられない」っていう人は、そうやって批判してくる人のことを「大事に思いすぎ」なんじゃないでしょうか? 熱心に批判とか罵倒をして来る人は「14歳のヤンデレ少女」だと思うと心が安らかになります。僕なんかの事を熱心に注目してくれる上に、物理的に刺してこないヤンデレ少女はまったく最高だぜとしか言いようがありません。 なので今後ともどんどん適当な事を書いていきたいと思うのですが、僕を封じるものがあるとすれば「リアルへの攻撃」に関しての

    ブログが息苦しくなったのは「物理的に刺してくる」隙と手段ができてしまったから - 太陽がまぶしかったから
    rAdio
    rAdio 2015/01/06
    これはよいまとめ。 / エントロピー増大に、個人としてどう立ち向かうか。
  • ネットを窮屈にする側の論理 - あままこのブログ

    新年あけました。めでたい人もめでたくない人も、今年も一年よろしくお願いいたします。 さて、新年早々はてなでは、「ネットは昔と比べ寛容性がなくなり、窮屈になってきているんじゃないか」という議論が話題を集めているようです。 最近、ブログが不自由になってきたと思いませんか? - orangestarの雑記 ネットは“コミケ”から"“テレビ”になった。 - シロクマの屑籠 インターネットの空き地 ネットが窮屈に感じる原因はfacebookルールと拝金主義 - かくいう私も青二才でね で、はてブも含めて議論の大勢は、「確かにネットが大衆化するにつれて、尖った発言や、社会では受け入れられにくい発言って、すぐに炎上したりして、しにくくなったよね。それってしょうがないことかもしれないけど、なんかつまらないよね」という流れになっているようです。 でも、僕は思うのです。 「これって自分にとってはむちゃくちゃ違

    ネットを窮屈にする側の論理 - あままこのブログ
    rAdio
    rAdio 2015/01/06
    「ネットを窮屈にする」のは、「個々人の能動的な追及」による炎上などのネット現象そのものよりも、様々な理由により「現実社会との全人格的紐付きが生活の全方面に及んできた」ことの方が大きい。