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2014年4月19日のブックマーク (5件)

  • 笹井さんと旧知の近藤滋大阪大学教授のコメントまとめ

    笹井さんは見事に素人の記者を煙に巻きました。巧みに質問の趣旨をずらし、核心部への質問をかわしきったようです。 笹井さんと同門の大阪大学教授・近藤滋さんが今回の件を的確にずばっと斬っております。 笹井さんも近藤さんも京大大学院医学研究科で中西研と庶研という極めて近い距離にいた旧知とのこと。 近藤滋さんの写真 笹井氏の会見。「自分はギフトオーサーであるから、責任を取るつもりはない」と言っているようにしか聞こえない。これは、研究者社会を成り立たせているルールを、根から否定しているのではないだろうか? — 近藤滋 (@turingpattern) 2014, 4月 17 @jseita つまり、少なくとも最終段階では、十分すぎるほど主導的であったわけね。どう考えても責任から免れるとは思えんけどね。記者相手だから煙に巻けた、というところかな? — 近藤滋 (@turingpattern) 201

    笹井さんと旧知の近藤滋大阪大学教授のコメントまとめ
  • 八箇峠トンネル - Wikipedia

    国道253号標識 八箇峠トンネルの十日町側坑口。 直近の建物は管理棟。 八箇峠トンネル(はっかとうげトンネル)は、新潟県十日町市から南魚沼市に至る八箇峠道路の、両市を結ぶ、延長2,840メートルのトンネルである[1]。 魚沼丘陵を横断する国道253号は、縦断斜面が8%以上の区間が2.4キロメートルあり、かつ、 カーブも多い。また豪雪地帯のために冬季は通行止めやタイヤチェーン着装といった交通規制が頻繁に起こり、通勤・通学などでの利用に支障をきたすことがしばしあった。 そこで、関越自動車道六日町インターチェンジと接続する上越魚沼地域振興快速道路(全長60キロメートル)の終点側に当たる八箇峠道路の中核部・9.7キロメートルに「中越地方の幹線道路」と位置づけようと、地元の行政などの要請を受けて2007年から工事が着手され、2017年より供用開始している。 当初の計画では約5キロメートルのトンネルを

    八箇峠トンネル - Wikipedia
    randompole
    randompole 2014/04/19
    新潟は掘れば石油や天然ガスが出てくる。
  • 第五章 中山トンネル

    上越新幹線 中山トンネルは、群馬県渋川市(旧北群馬郡小野上村)から利根郡みなかみ町(旧月夜野町)に至る、全長15km弱の山岳トンネルである。 上越新幹線ルート選定の際、高崎から大清水トンネルまでを一直線で結ぶことが至上命題となり、結果として高崎-上毛高原間に榛名・中山という15km程度の長大トンネルを2を掘ることになった。 中山トンネルは、西に小野子山、東に子持山という死火山と、その火山活動堆積物からなる馬の背のような地形の中間を、深さ400~200mをもって貫くこととなった。従って、工期短縮のために中間から掘削しようとすると、斜坑や横坑では3kmを確実に超えてしまい現実的ではない。このためトンネルのほぼ真上の地上から、前例のない350m級の立坑3を掘削し、工事が進められた。 このトンネル、上越新幹線のトンネルの中ではつとに有名である。それも実に不名誉な理由で。曰く、 以下の文章は、工

    randompole
    randompole 2014/04/19
    上越新幹線が減速する原因。「「青函よりもひどい」と言わしめたほどの難工事」
  • 第五節 鍋立山トンネル<上>

    鍋立山トンネルは、新潟県上越市大島区から十日町市松代に至る、全長9km強の山岳トンネルである。 名前の通り鍋立山(なべたちやま:標高540.6m)の北麓を通り、儀明(ぎみょう)、蒲生(かもう)といった小集落の足元を抜け、若干針路を変えて松代町内のはずれ(今は駅が中心となりつつある)で顔を出す。トンネルの中央付近には儀明信号場(34k270m)が存在し、赤倉・薬師峠トンネルと共にほくほく線の特色となっている。 工事が始まったのは、交通不毛かつ豪雪地帯のこの地に雪がちらつき出す1973(昭和48)年12月7日。当初、赤倉トンネルが最難関と見られていたためか着手は三番目であった。それがどういうわけか22年も掛かってしまったのである。気の遠くなるような歳月は、ひとたびは落胆し、ふたたびは挫折した。しかし三度目に待っていたのは、高速バイパス路線という特殊な使命を帯びた上での光明であった。 筆者は、こ

    randompole
    randompole 2014/04/19
    「我が国トンネル史上未曾有の施工困難を極めた工事」
  • 鍋立山トンネル - Wikipedia

    建設[編集] 東工区[編集] 東工区は大林組が請け負い[3]、トンネル入口側の29 km573 m50から31 km324 mまでの1,750.5 mを掘削した[35]。坑口から96.5 m(資料によっては100.5 m)までは明かり巻きとなっており、先にトンネル覆工を構築してからその上に土を盛って建設した区間である[36]。この区間の上部は後に国道253号松代道路が建設されている。 以降の区間(図中のAブロック)はすべて単線馬蹄形断面の在来工法で施工された[37]。坑口から400 mほどの区間は土被りが薄く、直上に民家や国道が位置していたことから、底設導坑先進上半工法を採用した[37]。残りの区間はショートベンチ工法を用い、上半部はロードヘッダーを用いた機械掘り、下半部は発破工法を使用して掘削した[38]。地山は良好で進捗は順調であり、平均月進は86.6 mに達した[39]。しかし全長の

    鍋立山トンネル - Wikipedia