●日本における磁器の駘蕩 中国で漢代の末期に現れ、唐代、明代に発展した磁器の技術は、17世紀に朝鮮系帰化人、李参平によって日本の有田に伝えられました。 磁器の放つ、冷たく白い妖しい輝きは日本中を魅了し、多くの産地がその影響を受けました。瀬戸や京都、九谷など、陶石が採掘出来る地方では早速磁器の技法を学び、生産を開始し、磁器が生産出来無い地方では、それに近い白い陶器を工夫し、時代のニーズの応えられるように改良して行きました。しかし、それさえもが出来ない産地では、それまでの「野暮ったい」陶器が売れずに壊滅的な打撃を受け、廃業に追い込まれる窯元も多かったようです。 意外に思われる方もいるかも知れませんが、志野、織部、備前、唐津など、現在では日本を代表するやきものが、磁器の興隆に押され、18世紀から20世紀初頭まではほとんど忘れ去られた存在にまでなっていました。 それほどまで磁器は日本人を釘